仕事に対する考え方

何故はたらくのか2

最後の更新から早2年。

前職を退職して3年弱になりました。この3年間、いろいろあったようななかったような。
客観的に見ると、ほとんど何も生み出しては来なかった、そして何の責任も担って来なかったような気がします。

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一流の会社を見分ける方法

創業者は夢と希望を持って、新規事業を立ち上げます。

しかし、その大半が夢半ばのまま頓挫していきます。

事業領域やサービス・製品そのものに問題があり、ビジネスとして立ち行かないという例も多いのですが、実際には、同じサービス・製品を扱いながらも、ある企業は成功し、ある企業は失敗して解散または吸収されていくことが少なくありません。

コンサルティングファームを立ち上げたとします。通常は、他社のスター級コンサルタントを引き抜きますから、コンサルタントの質やサービスの質は他社に引けを取らないと考えられます。しかし、現実には、どれほど優秀なコンサルタントを引き抜いたとしても、きわめて卓越した業績を残すことができる企業と、残せない企業に分かれることになります。

事業戦略があいまいであって資本投下が不十分であった、といった理由ももちろん影響します。しかし、それは創業時にはなかなか見分けることができるものでもありません。

しかし、先日、戦略コンサルティングや投資アナリストといった親友と話して気がついたのですが、私たちのように企業の内側に入り込むビジネスをしてきた人間は、創業時にこの成否を肌で感じることがあるのです。

ある友人は「日本に外資系証券会社が進出してきたその瞬間には、すでにA社とB社の二社がずば抜けて勝つことが自明であった」と言い切りました。

「どの会社も、アナリストや外交員は一流だった。でも、A社とB社だけは、人事・総務・IT・経理財務といったバックオフィスの管理職も超一流、スタッフも一流だった。バックオフィスにいる人であっても、一定のトレーニングを積めば、間違いなく現場で一流のパフォーマンスを発揮できるだろうと思われた。しかし、C社になると、バックオフィスに超一流の人はいなくなり、そこそこ優秀ではあるものの、現場では優秀なパフォーマンスを発揮できないだろうな、という人が配属されていた。D社に至っては、現場に出すことはできないと思われる人しかいなかった。」

これが、そう感じた理由だそうです。間接部門の優秀さなんて、どうやって判断できるの?と思われるかもしれませんね。でも実は、間接部門の優秀さといのは、外からも比較的簡単に判別できるものなのです。

  • ウェブサイト(ホームページ)の見やすさや情報の的確さ
  • 人材採用に応募した際に面接の可否や結果の返信が来るスピード
  • 人材採用時に人事部門が募集中の職種の業務をどの程度明確かつ正確に伝えることができるか
  • 契約書の内容や文章の適格性
  • 見積書や注文書のフォーマットの分かりやすさ
  • 見積依頼・注文などをした際の返信が来るスピード
  • コールセンターや営業マンに対して、経営指標や事業ビジョンや機密保持に対する考え方など、商品・サービスと直接関係しない質問をした際の回答の質とスピード

もし、オフィスを見ることができれば、さらに簡単に判断ができます。

  • 机上の整理整頓(クリアデスクと呼びます)ができているか、できていないとしても十分な什器類が用意されているか
  • 集中して行うべき作業を行う場合や個人情報・機微情報を取り扱うスペースが他のスペースと隔離されているなど、現場がセキュリティやIT機器の制約を意識せずに業務に集中できるファシリティ設計になっているか
  • 社内の本棚にどういう書籍が置いてあるか、書籍に埃がかぶっていないかなど、社員の情報へのアクセスを誘発するレイアウトや仕掛けになっているか
  • 間接部門の社員が、こまめに積極的に直接部門のスペースに顔を出しコミュニケーションをとろうとしているか

新規ビジネス・新規事業を立ち上げれば、可能性を信じて多くのチャレンジングな人たちが集まります。特に創業期の直接部門には、セルフスターターで自律性・自立性が高い優秀な人たちを集めることができます。

しかし、残念ながら、多くの経営者は直接部門の拡大にのみ注力し、間接部門・バックオフィスが卓越したパフォーマンスを発揮する必要性を軽視しがちです。

先日、「うちで働く以上、間接部門の能力が低いのは所与の条件だと思ってもらわないといけない」と言っている人がいました。おそらく、そちらの会社ではそれが真実なのだとは思います。ただ、よく考えてみてほしいのです。

どれほど優秀な現場社員を雇用したとしても、この現場社員達が、非効率な業務プロセスや不透明な経営判断に翻弄され、社内向け業務(多くの場合が会議や書類仕事)に相当な時間をとられるとしたら、前職にいたときの同じだけの高パフォーマンスを発揮することができるのでしょうか?

私自身が、管理部門出身者なので、もちろん自分の職種を正当化している可能性はありますが、それでもやはり、現場でも超一流のパフォーマンスを発揮することができる人間が管理部門に多く在籍している組織ほど、将来性は高いと感じています。

企業の成長期に経営者が「優秀な社員には外貨(売上)貢献をしてもらいたい」と考えるのは自然なことです。しかし、それでもなお、踏みとどまって長期的視点に立って、経営の骨組みを整備するために優秀な人材をバックオフィスにとどめる勇気を持ってほしいと思います。

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多くのコンサルタントには「本気度」が足りない

研究(組織心理学)関連の調べ物をしていて、面白い会社を見つけました。

wealth shareという会社です。新卒でコンサルティングファーム(アクセンチュア)に入社後、人事組織関連のエンゲージメントに従事した人が立ち上げた会社です。

どうやら、代表取締役の方と私は、同じ時期に同じ研究所で研究員をしていたようです。しかも、現時点でも同じ領域を研究していて、同じ学会に所属しているようです。しかし、全然顔が思い浮かびません。何かの面白い偶然で、全く顔を合わせずに来たようです。(もしかしたら、単純に指導教官同士が仲が悪かっただけかもしれませんが・・・・・)

この偶然も面白いのですが、最新の記事で書いていることが、私が日ごろコンサルタントやコンサルティングファームの経営陣に対して腹立たしく思い、このブログでも何回も記事にしてきたことだったことにも興味をひかれました。

以下に、該当の記事を引用します。

これは私自身の過去の会社員時代の反省ですが、コンサルティング会社に勤務していたとき、決して「本気」ではなかった気がします。上司・同僚も含めて、私もです。もちろん、そのプロジェクトの成功に向けて全力を尽くしているわけですが、なんとかしよう、というねばり・執念・意志や、これをやらずにはいられないという使命感が大きく欠けていたと、正直思います。それもそのはずで、大体3-6か月の期間で、大手コンサル会社では、様々な業界、様々なプロジェクトを渡り歩かざるを得ないので、執念や使命感は生まれないのです。もちろん、あくまでの私の経験であって、そうでない方もいるのかもしれませんが。

私自身は、コンサルタントというのは「事業会社の社員が自社に注ぐのと同じだけの愛情と愛着を、全クライアント企業に注げる人だけがなって良い職業」だと信じています。

現職でも、前職でも、私のこの思いを「それは単なる理想論だ」「かえってコンサルタントが委縮するから、そんなことは言うな」などと批判されることが多いことは十分に承知しています。

しかし、それでもなお、コンサルタントたちには、クライアント企業に対して強い愛着を感じて、いざという時には自分のキャリアよりもクライアント企業の成長を優先させるだけの思いを持ってほしいのです。

執念や使命感。たとえば、何が何でもインターネットだ。何が何でもこの会社を成功させるんだ。そういうもの。渋谷道玄坂にいると、そういうものを、あくまで私が勝手に感じるときがあるのです。丸の内や赤坂のスマートな成績優秀者が集う場所にはないような、執念や使命感。

こういう思いを、自社(コンサル会社)とクライアント企業の双方に対して維持し続けられる人、それは優秀な「コンサルティングファームのマネジメント層」なのだと信じています。

また、自社またはクライアントに対する情熱のどちらかでも、維持することができなくなった時が、私が現場から身を引く時だと自分自身を戒めてもいます。

この会社、自分の本気度の低さを振り返って反省している人がトップに立っているわけなので、コンサルティングファームとして、面白い会社になっていくのではないでしょうか。

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知的生産に特化するか装置産業化するか、スタンスを明確にしよう

5月20日に「シグマクシス」というコンサルティングファームができました。

元PwCCの倉重氏が社長に就任するとのことです。

コンサルティングファームには2種類あって、少数精鋭で純粋に知的生産をする集団と、誰かが作った知的フレームワークをなぞることで知的生産を装置として「実施する」ことに重きをおいている集団です。

前者の企業規模は1つの国内ではせいぜい200人以下、後者は最低でも300人以上が必要です。

コンサルタントと一言で言っても、前者でコンサルタントを目指すのか、後者でコンサルタントを目指すのかで、求められる資質も性格もまったく異なります。入社してから、どの程度勉強したり訓練を受けなければいけないのかも、まったく異なります。

どちらが優れているとか劣っているということではなく、ビジネスモデルが違い、志向性が違うのです。

倉重氏は私がこの記事を書いた10年前に、装置産業化することができずに苦しみ続けている多くのコンサルティングファームを尻目に、PwCCでコンサルの装置化を成功させ、企業規模を10倍にした立役者です。

なので、コンサルティングファームとは言いながらも、超エリート集団というよりも、一部の超エリート集団と95%の装置産業という組み合わせの組織になるのかな、と想像しています。発表されている規模を見ても、最終的には2000人を目指すとのことなので、少数精鋭のコンサルティングではなく、装置産業系だと考えられます。

コンサルティングファームを志望する人達は、自分がどちらに行きたいのかをしっかりと考え、適したビジネスモデルの組織に入る必要があります。

また、コンサルティングファームの経営者は、自分の会社がどちらを目指すのかをしっかりと考え、自社のビジネスモデルに適した人材教育・訓練を行わなければいけません。

しかし、今年の1月に書いたとおり「コンサル業界で空恐ろしい事態が発生しています」という状況が発生しています。

本来コンサルティングファームというのは、事業会社では不可能なほど人材育成に時間をお金を投入し、短期集中で人材育成をすることで、高品質のサービスを提供するというビジネスモデルです。当然、そこに集うコンサルタント達も、肉体的・精神的にギリギリなまでに徹底して自分のビジネススキルを高めることで、事業会社では得ることができない高給を得るわけです。

これは、200人以下の少数精鋭で知的生産に携わるというビジネスモデルのコンサルティングファームを意味しています。装置産業系ではありません。装置産業系を目指すのであれば、人材教育に心血を注ぐよりも、資本政策を見直し、急激に企業規模を拡大することのほうが大切です。

徹底したコンサルタント訓練を貫くことも、急激な企業規模拡大を成し遂げることも、どちらも容易ではありません。多くの新興コンサル会社が、どちらの戦略を採用するか選択せず、中途半端なままで、創業から数年後に吸収合併されていきます。

冒頭で紹介したシグマクシスは、企業当初から装置産業系での成功を目指していることが明確であり、この時点ですでに、他の新興コンサル企業と比較すると、目指している姿・ビジョンが分かりやすいと言えるでしょう。また、三菱商事とRHJ(旧リップルウッド)が資本を提供している(資本金10億円・資本準備金10億円)、ということからも、資本政策の重要性を理解した経営布陣であることがうかがえます。

数年後に、アクセンチュア、べリングポイント、IBMコンサルティング、日立コンサルティング、アビームに並ぶ、世界有数の装置系コンサルティングファームに成長するのか、どういう会社を買収・吸収していくのか、資本政策をどのように変えていくのか、今から楽しみに動向をウォッチしていきたいと思っています。

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時間がないから正直にならざるをえなかった

「言っていることと本音が違う。人というのは大体がそういうものだ。」先日、職場でそう言い切られました。それに対して「嘘をついたり誤魔化しても時間がかかるだけで、言っている側にも聞いている側にも何のメリットもない」と答えました。この私のコメントに対して「それはそうだけど、そういうものだ」と笑っていました。

もちろん、私もそれは良く分かっています。

ただ、それはあくまでも「時間が極端に限られていない、しかも単一文化背景の人だけが集まっている組織でだけ通用する常識なのだということにも、気がついて欲しいなあ」と思いました。

本音を隠したり、人や自分の失敗を隠したり、そうやって本当に伝えるべきことと、言葉にしていることが違っていると、後から問題は大きくなり、対処に時間がかかります。

表面を取り繕い、誤魔化すという態度、言っていることと考えていることが違うという態度をとっていると、問題が小さいうちに芽を摘むことが困難になります。

会社以外ではこれといった責任を担っていない猛烈サラリーマンであれば、問題が大きくなったら残業をして問題に対処し続ければ良いことでしょう。

しかし、会社員としての役割以外にも多くの役割を担って、それをこなそうとしている人にとっては、そんな時間は与えられていないのです。

言い訳や嘘につきあっていて、保育園のお迎えや、病院の面会時間に間に合わなくなるのはあまりにもばかげています。

もちろん、正直にネガティブな考えやマイナスの意見を伝えることに対してためらう気持ちは、私にだってあります。ですから、言いにくいことを誤魔化して察してもらいたい、という気持ちはとても良く分かります。

しかし、理解はしたうえで、なお、やはり1分で済むことは1分で終わらせて欲しいのです。言い訳やごまかしのために10分かけないで欲しい。この差の9分間で、病院の会計窓口が締まってしまったら、薬は受け取れなくなるし、着替えを届けてあげられなくなります。それは、やはり、とても迷惑なことなのです。

「勉強します。努力します。やります。」

職場でも、NPOでも、こう言い続けてやらない人がたくさんいます。

やらないことは、本人の自由です。好きにすれば良いと思います。

しかし、それならば「勉強しません。努力しません。やりません。」と言って欲しいのです。

例えば職場で「勉強します」と言われたら、勉強することを前提とした仕事を用意します。結果として勉強していなければ、仕事を担当してもらうことができなくなります。できる人が残業して対応しなければいけなくなりますし、本人も仕事がなくてボーッとしていなければいけなくなります。

「やります」と言われたら、やり終わっていることを前提として他の仕事を組み立てます。結果としてやっていなければ、その後の仕事の段取りが全て崩れます。多くの場合、本人以外が緊急で残業をして対応をしなければいけなくなります。やらない、と言っておいてくれれば、事前に段取りを組み直して、仕事を割り振ることが可能になります。

「本音を隠して表現し、なんとなく本意を察して欲しい」という態度は、私にとっては「円満に物事を薦めるための処世術」ではなく「時間を盗む行為」です。

私が仲良くさせていただいている多くの方々が、子育てをしている、介護をしている、ボランティアをしている、歌を歌っているなど、さまざまな活動をこなすために、時間を細分化してしっかりと管理せざるをえない人たちです。

彼らは程度の差こそあれ、プライベートに限らず、職場でも本音で話している割合が圧倒的に多いのです。できるかぎり本音で端的にコミュニケーションを取るというのは、時間に追われている人たちが取らざるを得ないスタイルなのだろうと思います。

また、多様性が豊富な環境に長年身を置いてきた人も、やはり本音をはっきりと口にだす割合が多くなります。これは、文化背景の違いによって生じる誤解を最小限にするためには「明確に意思表示をすること」が大切だからです。

「言っていることと本音が違う。人というのは大体がそういうものだ。」

この意見も良く分かります。しかし、それはやはり、多様性(ダイバーシティ)というものを前提としていないからだと思います。

多様性を前提とした途端に、言っていることと本音が違っていたら相手には伝わらない可能性がある、ということを危惧するようになるからです。

多くの日本企業では、そもそも多様性を前提としたコミュニケーションスタイルを取りません。また、1分1秒に追われる生活を社員が送っているという前提では仕事を組み立ててはいません。ですから、伝統的な「察する」「慮る」という文化を「当たり前のこと」と考えているのだとは思います。

しかし、多様性を前提とした環境に長年身を置いてきて、なおかつ会社以外での役割を多数抱えている私にとっては「察する」「慮る」という文化のメリットは、なかなか理解しがたいものがあります。

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意外と単純:プロジェクトマネジメントの極意

監査法人やコンサルティングファームで勤務をしてきたので、ルーチンワークの仕事はほとんどなく、常に複数のプロジェクトに参加してきました。20年間、さまざまなプロジェクトマネジャーの下でプロジェクトを経験して、自分なりに、いくつかの方法論やあるべき論を持つようになりました。

その1つが「失敗の責任は常に自分にある」という考え方です。精神論で、良い人ぶっているのではありません。プロジェクトが悲惨なことにならないために、極めて有効な思考方法です。

お客様と一緒にプロジェクトを遂行していると、お客様が作業を忘れてしまうことが多々あります。こんな時に「作業を忘れたお客様が悪い」と考えると、このお客様と一緒にプロジェクトに参加している限り、お客様の性格矯正でもしなければ、今後も似たようなトラブルを回避することができません。しかし「お客様にリマインドし忘れた自分が悪い」と考えると、次からはお客様をリマインドすれば良いだけなので、トラブルを回避することができます。

人は人を変えられません。でも、自分の行動は変えられます。ですから、失敗や非効率の原因が自分にある、と考えることができれば、常に改善策を考えることが可能になります。

もちろん、失敗の原因が自分にある、と考えた後で「だから自分は駄目なんだ」という自己卑下に走ってしまっては、改善につなげることなどできません。

だいたい、プロジェクトにしろ、人間関係にしろ、自分だけが悪いとか、相手だけが悪いということはあまりありません。多くの場合、失敗は複合的なことが原因です。ですから「自分が悪い」と考えるというのは、あくまでも頭の体操です。「自分が悪いと考えれば、改善できるし、再発が防止できる。だから、自分が悪いと考えておく方が、トータルで考えると得」という考え方です。(もちろん、時には、本当に自分だけが悪くて、謝って回らないといけないようなこともありますけどね。。。。)

プロジェクト責任者が小さな失敗の責任を他人に押しつけ続けて、問題が大きくなりすぎて取り返しが付かなくなって破綻する、というプロジェクトが少なくありません。

プロジェクト責任者や現場のリーダーが「問題の責任が自分にある」「だから改善できる」という思考パタンを身につけているプロジェクトでは、悲惨なことになる可能性が、比較的小さいと感じています。

プロジェクトマネジメントの国際規格化(ISO)をにらんで、世界各国の代表委員が討議を重ねています。プロジェクトの設計や、運用に関する考え方が中心で、プロジェクト責任者やリーダー・メンバー達の思考のフレームワークは規格化の対象外だとは思います。しかし、実際には責任者やリーダーの思考パタン・フレームワークが、プロジェクトの成功失敗の、極めて大きな要因だと思います。

国際規格では、こうした視点も踏まえた良いものができるといいなぁ、と期待しています。(このブログを日本の委員2名が読んでくれているので、ちょっとプレッシャーを与えてみました。笑)

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採用面接での「女性管理職はいますか」という質問、少し工夫してみませんか?

勤務先のウェブサイトが新しくなりました。マーケティング部門と関係各位の献身的な仕事の結果、とても良いものになりました(ちょっと自慢)。

他のコンサルティングファームと同様に人材採用のページが充実しており、採用面接の際に寄せられる、良くある質問への回答が載っています。

のんびりとウェブサイトを眺めていて気がついたのですが、女性の応募者から寄せられることが多い「女性の管理職はいますか」という質問への回答も掲載されています。私がいるわけなので、当然、回答は「います」です。

会社としては質問に対して誠実に回答しているのですが、これでは、応募者が本当に知りたいこと(女性でも積極的に活用してもらえるのか)への回答にはなっていないのではないか、と気になり始めました。

なぜかというと、こういう質問をする人というのは、管理職として応募してきているのではなく、スタッフ職として応募してきている人たちだからです。(管理職として応募してきている人たちは、自分が採用されれば女性でも管理職として採用されるということが分かるわけなので、こういう質問はしません。)

彼女たちが知りたいのは「女性でも、一生懸命に働けば、出世させてもらえるのか」という点なはずです。

さて、そうなると、私を引き合いに出して「管理職がいます」と答えても、彼女たちが知りたい答えではないはずです。私は、前職で既に管理職としての経験が長年あり、今の会社には管理職として入社しました。この会社で出世したわけではありません。今後、この会社で出世する可能性もないでしょう(出世するということは社長になるということなので)。つまり、この会社で頑張って功績をあげて、それを評価してもらって出世したわけではないのです。

コンサルティングファームに限らず、女性管理職の多くが、中途採用です。ですから「女性でも、一生懸命に働けば、出世させてもらえるのか」という質問に答えてもらうためには「女性の管理職はいますか」と聞くのではなく、「スタッフ職で入社して管理職になった人はいますか」と聞いた方が良いのではないでしょうか。

もしこう聞かれたら、残念ながら今の勤務先では答えは「NO」です。しかし、これは女性だからではありません。男性でも、一人もいないはずです。理由は極めて単純で、現在の勤務先は創業からまだ数年で、スタッフ職で入社した人が、管理職になるだけの年数が経っていないのです。

しかし「スタッフ職で入社して昇格した人はいますか」と聞かれれば、それはそれはたくさんいます。

女性みらい館の発表によると、女性管理職の有無が、育児休業制度や介護休業制度の充実度の極めて大きなファクターになっているそうです。また、文部科学省の教育白書によると、女性管理職がいる組織のほうが、社員教育制度が充実しているそうです。

ですので、女性管理職の有無を確認することは、実は男性にとっても極めて大切なファクターだと思います。

ただ、女性管理職の有無だけでは、女性を積極的に活用しているのか、それともたまたま極めて有能な女性が中途で入社して管理職をしているだけで内部では出世の可能性が低いのかの区別がつきません。

本当に知りたい回答をえるためには、いろいろと質問を工夫しないといけないですね。

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体が不自由な人に電車で席を譲れないほど疲れ果てるまで会社に尽くす意味って何なんだろう?

今朝の通勤電車は、スムーズに座る席を見つけることができました。そのため、車輌の端のシートに座って、本を読んだり手帳をチェックしたりしていまいた。10分程度して顔を上げると、車内はかなり混雑をしていて、つり革や手すりに掴まることもできない人たちがいました。

随分と混んできたなあ、と車内を眺めていると、車輌の真ん中に、ロフストランド・クラッチ(エルボー・クラッチ)をついた男性が立っているのが見えました。

次の駅につくと、男性は座席を探すそぶりを始めました。どうやら、座りたいようです。しかし、男性の周辺で席は空かず、誰も席を譲らなかったため、男性は引き続き立っていました。

そして、次の駅で降りようとする人に押されるようにして、男性が私が座っているシートの方に少し歩いてきました。そこで、みっともないなあ、とは思いましたが、大声で「座りますか?」と声をかけました。すると男性が、「ありがとうございます。座らせてください。」と返事をして、こちらに歩いてきました。

私が男性に声をかけた途端、私と男性の間で座っていた乗客全員が、下を向きました。

山手線の13人掛けの左右のシートの全員が一斉に下を向いたのですから、あまりにもおかしくて、思わず笑ってしまいました。

あの人達は、仕事で疲れていたのかもしれません。前日、睡眠不足で眠りたかったのかもしれません。具合が悪かったのかもしれません。

自分が席を譲らなくても、誰かが譲るだろうと思ったのかもしれません。

私だって「あの人は助けを必要としてる。でも、私の助けではなくて、別の誰かの助けでいいじゃないか」と思うことが良くあります。ですから、下を向いた人たちの気持ちはよく分かります。

ただ、体の疲れは眠れば軽くなるけれど、自分に対する情けなさや自分を蔑む思いは眠っても取れないんですよね。

周囲の目を誤魔化しきれたとしても、自分の心の中に浮かんできた、自分に対する不信感は、なかなか消えません。

だから、できるだけ、自分を信じられなくなるような行動は取りたくないなあ、と切に祈っています。

私も、良い仕事をしたいと思っています。高いパフォーマンスを上げたいとも思ってます。しかし、そのためだけに邁進すると、周囲に目を向けることができなくなります。電車の中の見知らぬ他人どころではなく、家族が必要としてるサポートにすら気がつけなくなることがあります。

そして、家族がヒステリックになったり、お猫様のアレルギーが悪化したりします。

そんなとき、私の助けを必要としている人に、最低限度のサポートもできないほど、全エネルギーを費やすほどの価値がある仕事や遊びというのが、どれほどあるのだろうか、とハッとさせられることが多々あります。

体が不自由な人に電車で席を譲れないほど疲れ果てるまで会社に尽くす意味があるのだろうか。

ましてや、家族に目を向けることができなくなるほど働く必要があるのだろうか。

すぐにこういう思いを忘れて全力で1つのことに集中してしまうので、自戒のためにも記事にしました。

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組織の社会的責任が国際規格化

「あなたの専門は何ですか?」と聞かれるたびに「組織のマネジメントシステムや組織運営の標準化です」とお答えしているのですが、なかなか通じません。標準化という言葉を使ってしまうと、組織を画一化する活動と誤解されることもあり、近頃は通じないことは十分承知のうえで「マネジメントシステム」とだけ言うようにしています。

マネジメントシステムというのは、企業だけではなく、社会生活全般を支えるための、組織・団体運営の標準的な考え方です。

例えば「良いことをしている会社の株を買って経営をサポートしたい」と考えたとします。すると、SRIファンドを購入したり、SRIファンドに組み込まれている企業の株式を購入すると思います。

しかし、SRIファンドの中をじっくりと観察してみると、明らかに人体に対して有害な商品が売上げの過半数を占めていたり、日本国内では優良企業でも国外で児童強制労働をしていたり、自社の社員には十分なお給料を支払っていても下請業者を徹底的に搾取している企業が組み込まれていたりします。

SRIファンドの基準は、各募集企業が定めているので、あなたが考える「良い会社」と募集企業が考える「良い会社」が一緒であるとは限らないわけです。

この「良い」という価値観が「感性」に依存する、デザインであったりサービスの内容であれば、人によって異なる(価値観が多様である)ということは、とても良いことだと思います。

しかし、地球・世界経済の一員として果たすべき役割を果たしているかどうか、といった責任という視点が多様になってしまうと、各国・各社が勝手気ままに他者(他社・他国)を搾取することになってしまいます。ですので、責任を果たす・他社にマイナスの影響を与えていないという観点からの「良さ」をはかるための、ある程度の標準的な判断基準が必要になります。

そのため生み出された考え方が、法律と違って国境を越えても有効な「国際規格」という考え方です。

一般的に、国際規格には法的な拘束力はありません。違反をしても罰金を取られたり、刑事罰を受けるわけではありません。あくまでも、紳士協定です。

おまけ:TBCが個人情報保護法施行前に起こした個人情報漏洩事件は「国際規格として個人情報の重要性は制度化している時期の事件であり、企業責任を問うことは可能」との裁判所判断により、判決が下りました。ですので、実際には全く法的な拘束力がない、とは言えないかもしれません。

ISO9001(品質マネジメントシステム)、ISO14001(環境マネジメントシステム)、ISMS(情報セキュリティマネジメントシステム)という言葉は聞かれたことがあるかもしれません。これ以外にも、さまざまなマネジメントシステムや標準化が存在しています。

冒頭にお話しした「良い組織」の標準も「組織の社会的責任」として徐々に整備されつつあります。

一般的にはCSR(Corporate Social Responsiblity)と呼ばれますが、国際規格の対象は企業だけではなく、非営利組織も風くむため、Cを抜かしてSRと呼びます。

日本規格協会(JIS規格を作っているところ)がSRの国際標準のドラフト案の日本語訳を発表しています。ドラフトなので、まだ変わる可能性はありますが、このドラフトによると、組織の社会責任は7つの主要な課題に対して、バランス良く対応することであると定めています。

  1. 組織統治(法令遵守、説明責任、透明性、倫理的行動)
  2. 人権(禁差別、権利の保護、違反者への協力禁止)
  3. 労働慣行(社会的弱者保護、労働者保護、労働安全衛生)
  4. 環境(保護、予防の重要性、汚染者負担の原則、持続可能性の維持、生物の多様性の維持等)
  5. 公正な事業慣行(適切な組織と組織の関係の構築、汚職防止、責任ある政治的関与)
  6. 消費における責任(適切で誠実な消費者および消費者団体との関係構築維持、持続可能な消費、)
  7. 地域社会への責任(コミュニティ参画、地域経済発展、地域経済開発)

主要課題やガイドラインの各節タイトルだけを抜き出しても、日本で一般的に「良い会社」と言われる、基準とは、少し視点が違っていることがお分かりいただけると思います。

仮訳のため、かなり読みにくい日本語ですが、「良い組織とは何か」を考えるうえでは、とても良い参考資料です。

SRの国際標準は、ガイドラインとして制定されるだけで、認証基準のように審査制度は作られない予定です。ですので、国際基準に準拠しているかどうか、という画一的な審査制度はできません。

近い将来、さまざまな証券会社が、この国際基準を参考にSRIファンドを作り、SRIファンドに組み込まれることが株価UPにつながったり、就職希望社が増えるといった良い循環が生まれることを期待しています。

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マック判決 「店長は管理職」を認めなかった

マクドナルドの店長を管理職とみなし残業代を支払わなかったことは違法であるとの判決が出ました。

この4年間、ITリスクの仕事が中心で、労務リスクの対応コンサルティングから離れています。ですので、現場感覚がかなり薄らいではいるのですが、それでもこの判決の大きさは、しみじみと実感できます。

経済界の一方的な主張ではなく、じっくりとコツコツと世論を形成しつづけてきた労務管理者達の感覚が裁判所に届いたことを、心からうれしく思います。

新聞記事をオンラインで読むことができますので、詳しくはこちら(読売)やこちら(毎日)をご覧ください。

労働基準法の基本理念に照らしあわせれば、当たり前の判決です。

  • 労働時間を厳密に管理されている(接客を行っており自分の裁量で労働時間を決めることができない)
  • 長時間残業を強要されている(どれだけの工夫をしても8時間で終わらない)
  • 経営陣の決定に参画していない

チェーン店の店長が労働基準法上の管理職なはずがありません。

もちろん、プロジェクトへのチャージが週40時間を超える、人事関連の権限を有さないコンサルティングファームの管理職達も法規上の管理職ではありません。(これは実際に、さまざまな示談が起きているので、業界では周知の事実でしょうが・・・・・)

それなりの大きさがある組織の人事・法務部門であれば、労働基準法の基本的なコンセプトは十分に理解してたはずです。しかし、多くの組織は、会社側の主張がとおると信じてきたわけです。

世の中に対するインパクトなどを考えると、店長が管理職ではないという判決がでる確率が低いと考えたのでしょうか?

自社の社員が訴訟を起こすリスクは低いと考がえたのでしょうか?

今までの各種政治活動に費やした経済団体の寄付金額を考えると、使用者(会社側)に不利な判決は下りにくいと考えたのでしょうか?

リスクマネジメントプロジェクトを支援していると、多くの組織で「法律っていうのは基本理念ではなくて、どう運用されているのかを見て、今の時点で問題がなければ基本理念など考えなくて良いじゃないか」という反論を受けます。

特に、日本の労働基準法は運用と基本理念が著しく乖離していて、法の基本精神は完全に無視をした社内制度が世の中に溢れています。

今回の判決で、こういう風潮に大きな歯止めがかかることを期待しています。

マクドナルドは控訴する方針とのことなので、どういう戦略を考えているのか、とても興味があります。

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