自分を良く知ろう

最適な仕事は経営者なんだそうです

コンピテンシーテストを受験しました。結果概要をコピペします。

7つの人材モデルに基づいて判断した結果、あなたが最もコンピテンシーを発揮しているのは「会社の経営を行ったり、事業の戦略を作る仕事」です。

(1)会社の経営を行ったり、事業の戦略を作る仕事(経営・事業企画など)
(2)販売・プロモーション方法を考えたり、店舗の運営をする仕事(店長、営業企画など)
(3)新しいアイデアを創り出す仕事(デザイナー、クリエーターなど)
(4)あるテーマについて研究したり、分析したりする仕事(研究開発、リサーチャーなど)
(5)任されたことをきちんとこなす仕事(事務、プログラマーなど)
(6)お客様の要望に日々対応する仕事(営業、販売など)
(7)お客様が抱える問題を一緒に解決していく仕事(コンサルタント、SE、コンサル営業など)
 

う~ん、そうなんだ・・・・

1番目と2番目がマネジメントで要求されるコンピテンシー、4番目と5番目が監査人として要求されるコンピテンシー、6番目と7番目がコンサルタントとして要求されるコンピテンシーです。

なので、現時点で担っている役割を果たすためのコンピテンシーは、それなりに備えているとはいえるようです。

しかし、自分では監査人としてのコンピテンシーが最も高いと思っていたのですが、監査人というよりは、プロジェクトマネジメントや事業マネジメントのコンピテンシーの方が高いという結果が出ました。ちょっと意外でした。夫のお店を乗っ取って経営してみますかね(笑)。

とはいえ、もともとコンサルティングファーム(&研究機関)の管理部門として会社を作り上げるという仕事をしてきたわけなので、社外向けのコンサルティングサービスや監査サービスよりは、事業戦略を練って組織を成長させていく、というコンピテンシーが高くても当然なのかもしれません。

こういうテストを受けて、自己認識を新たにするのも面白いですね。

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プロフェッショナルとして働くために、ただひたすらサービスを受ける側に回る

受けるよりも与える方が幸せだと思える人たちが集まる組織を作りたい

心からそう思います。

一方で、与え続けていたら、心が枯れて疲れ果ててしまうとも思います。

人に何かを与えるためには、自分が十分に満たされている必要があります。

自分が満たされていない状態で人に何かを与えようとすれば、それは押しつけになるし、自分ばっかり頑張っているのにと被害妄想志向に陥りがちです。

特に、組織で上に上がればあがるほど、組織内では誰からもケアされなくなり、与える一方になっていきます。また、コンサルティングや医療・介護といったコミュニケーションを主体とした感情労働の側面が強いビジネスに従事していると、公私ともに常に周囲に気を遣い続けてしまい、気を抜いたり、誰かにサポートしてもらったりすることが苦手になっていく人も多いようです。

ですから、プロフェッショナルとしてクライアントや同僚に十分なサービスを与えたいと願う人こそ、意識的に、ただただひたすらサービスを受ける側に回ることが大切だと思います。

これは、会社生活だけではなく、教会生活やボランティア生活でも一緒です。

私たちの心は、尽きぬ泉のようにエネルギーがわき出るというものではないと思います。私たちには限界があって、自分の力だけで頑張り続けるのは、とてもとても難しいです。

ですから、時には一方的にサービスを受け、満たされる時間を作って欲しいと思います。

私にとって、毎日曜日の礼拝は、まさにSunday Serviceとして、心を満たしてくれる1時間です。この時間があるからこそ、働いていけるのだと思います。

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妬ましさと焦燥感にどう向き合えば良いのだろうか

社会的に成功した人、金銭的に成功した人、容姿が優れている人、一芸に秀でている人、今まで、大勢のすばらしい人たちに出会ってきました。

彼らと知り合えたことを嬉しく想いこそすれ、彼らと自分を比較してうらやましいと思ったことなど一度もありません。あの人のようになりたい、と感じたこともありません。

しかし、一年に一度、心の底から、ある人のことを妬ましい、うらやましい、と感じるのです。

この妬ましさは、心の底から沸々とわき上がって来ます。どす黒く渦巻き、私の心を刃のように突き刺します。苦しく、つらい、強烈な想いです。

復活祭の前の木曜日が来るたびにやってくる、この強烈な妬ましさを、どういう風に処理したら良いのか分からず、3日たった今も、もてあそんでいます。

復活祭の前の木曜日、最後の晩餐を記念して、洗足木曜礼拝の聖餐式でパンとブドウ酒をいただいます。私はこの洗足木曜日の礼拝をとても大切にしていて、線維筋痛症の症状がひどく、歩くことも難しかった時も、この礼拝にだけは出席していました。

それは、CSルイスがナルニア国物語の1作目で、あるシーンを書くことで表した思いを、何とかして自分なりに形にしたいからです。しかし、礼拝に出席をしても、聖餐式でパンとブドウ酒をいただいても、ルイスがしたのと同じことができるわけではありません。ですから、洗足木曜礼拝のたびに、自分の無力さに、うちひしがれてしまいます。

私が欲しいと思っているものが、お金で何とかなるのなら、地位でなんとかなるのなら、もしかしたら、多少は会社で上司に媚びたかもしれません。人を羨ましいと思ったのかもしれません。

しかし、私が心底欲しくて得られないものを、会社が与えることはできません。会社に限らず、それを与えることができる人間は、この世には一人もいないのです。

ルイスに対する妬ましさ、自分の無力さに対する悔しさは、日が経つにつれて少しずつ小さくはなります。しかし、決して消えることはなく、時折顔を出します。また来年の洗足木曜日には、巨大に渦を巻いて私の心に刃を向けてきます。

他の人達は、望んでも決して手に入らないものに対する焦燥感や、強烈な妬みをどうやって処理しているのでしょうか。

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薬補は食補にしかず

以前、風邪をこじらせて全く食事ができないと訴えたときに、かかりつけの漢方薬剤師さんに言われた言葉です。

そのとおりだなあと思います。

ここのところ、体力的にも、精神的にも相当に無理を続けていたので、そろそろ危ないな、と思っていたら、気管支炎になってしまいました。(熱の高さや全身の痛みを考えると、インフルエンザかもしれません。潜伏期間を考えると、先週の土曜日以降に私に会った方は、発病しないように、十分にうがい手洗いをして食補をしてください。)

夫に頼んで、腰に温灸をしてもらったら、何とか食事ができるようになりました。山場は越えたので、後2-3日で復活しそうです。

明日から、アジアコンテンポラリーダンスのコンテストが横浜で開かれるので、フル参加をして堪能しようと思っていたのですが、しばらくは、のんびりしようと思います。

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What is your dream?

昨日に引き続き、英会話のレッスンを取りました。

本日のトピックは、"Dream"でした。

What is your dream career?

(どんなキャリアを歩みたいの?)

Uh, I have no career plan. Do you have some?

(う~ん、キャリアプランは持ってないんだよね。何か持ってるの?)

I came here to know my further routes. Till, I do not know anyting about half of me. Getting to know about Japan, having my picture cleared. I am going to get a job as a matchmaker of Japan and Honkkon.

(自分のルーツをもっと知りたくて日本に来たんだよね。今まで、自分の半分である日本について何も知らなかった。日本について知るにつれて、将来像がはっきりしつつあるよ。日本と香港の架け橋になるような仕事につこうと思ってるんだ。注:彼女は香港と日本のハーフで3歳でアメリカに移住している。)

Oh, not some concrete business plan but the vision or picture of my future I have. I wrote down my dream on my school jornal. And still it has not been changed.

(ああ、具体的なビジネスプランというのではなくて、将来に対するビジョンやイメージだったら持ってるよ。学生時代に書いた夢があって、未だに変わってないんだ。)

この後、授業では、将来時制の練習に入ったので、きわめて文法的な会話が続きました。私の時制感覚はめちゃくちゃだということが判明して、ちょっと落ち込み気味です。文法書を読み直さないと・・

と思ったのですが、帰宅してからゴソゴソと、「学生時代に書いた夢」を探してしまいました。マーチンルーサーキング牧師を尊敬して、彼の"I have a dream today."をまねして作ったので、とても稚拙で韻を踏んでいない詩とは呼べないモノです(苦笑)

I have a dream.

The world, all the people believe in giving is superior to being given.

And the world, people take action with the belief.

Like parents love thier childrem.

Like new born couple become prayers not for their own dream but for lover.

I have a dream.

The world, even if it has not come, but people can believe that someday it comes.

学生時代にジャーナルに書いたのはここまでです。でも、実はこの文章には続きがあって、続きの部分は日々持ち歩いている手帳に挟んであります。

私には夢があります。

全ての人が、受けるよりも与える方が幸せだと信じ、行動する社会。

親が子供を愛するように、

生まれたてのカップルがただ相手のためだけに祈り続けるように。

私には夢があります。

たとえ今がそうでなくとも、いつか必ずそういう日が来ると、

人々が信じることができる社会。

世界には、手が届かないかもしれない。

国にも、手が届かないかもしれない。

地域にも、手を伸ばすことすらできないかもしれない。

でも、今、目の前にいる、家族にはどうだろう。

同僚にはどうだろう。

小さい変化かもしれない。

でも、その小さな変化は、

いつか大きな波になる、

そう、信じることができたなら、

それは私にとっては大きな変化ではないのだろうか。

だから、私は、

全ての人が、受けるよりも与える方が幸せだと信じ、行動する、

そういう組織を作りたいのです。

授業の最後に、こう聞かれました。

What should you do for your dream?

(その夢のためには何をすべきなの?)

それが、問題なんだよなあ、と思いながら帰ってきました。

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What is happiness?

What is happiness and what is unhappiness?

実に哲学的な問いですね。

とはいえ、実際にこの会話があったのは、哲学的な雰囲気とはかけ離れた、NOVAの英会話ブースの中でした。

NOVAの倒産にともない、対面でのドイツ語の授業が提供されなくなりました。テレビ電話を介してであればドイツ語の授業を継続することも可能なのですが、あまり好きになれなかったので、急激に落ちつつある英語力を維持するために、言語を英語に切り替えて受講することにしました。(ちなみに、レベルチェックテストの結果は、レベル1ではなくレベル2でした。)

語学の授業って、おもしろいですよね。予めテキストが与えられていて、課題が決まっているので、とても具体的な話題(コーヒーメーカーの修理の方法など)から、本日の話題のような「幸せってなんだろう?」というような哲学的な話題まで、普通に生活していたら、考えないようなことを話すことになります。

What is happiness?

(幸せって何だろうね?)

この質問に対して、私は

I have no idea.But I believe I spend happy life now. So, I can figure out what is happiness for me based on my current life.

(分からないなあ。でも、今の生活はすごく幸せだよ。だから、今どんな生活を過ごしているかを見てみれば、何が私にとって幸せなのかは分かるんじゃないかなあ)

と答えました。すると、

What is unhappiness to you?

(不幸せってなんだろうね?)

と、質問を変えてきました。そこで、考え込んでしまいました。

I used to be very poor but I had to take care of my family. Those days, I manged to spear most of my salary for my mother's and Father's medical expnses. But I was not unhappy. Money was and is not essential for my life.

(昔、すごく貧乏だったの。それなのに、家族を養わなければいけなかった。しかも、当時は収入の大半を両親の医療費に使ってた。だけど、不幸せではなかった。お金は、昔も、今も私にはそんなに重要ではないみたい。)

その時、突然、どこからともなくローリンヒルの歌が頭の中に響きました。ローリンは歌います。

主よ、どうか彼らを許して下さい。彼らは、何をしているのか知っているのです。それでも止められないのです。主は言われます、何をしているのか知らないのだから、罪というモノをしらないのだから許そう、と。しかし、彼らは知っているのです。それでも、止められないのです。

あ、私にとっての不幸って、まさにローリンの歌の通りだな、と思いました。(Lauryn Hill - Forgive Them Fatherの歌詞を、直訳ではなくて聖書知識をふまえて意訳しています。)

I distinguishably understand what is happiness to me. It is the condition that I know what I do. And unhappiness comes from which I do not know what I do.

今、何が私にとっての幸せなのか、ハッキリ分かった。自分が何をしているのかが分かっている状態、それが私にとっての幸せ。そして、不幸せというのは、自分が何をしているのかが分からない状態の時。

例えば、会社生活を例にすれば、

「どういう組織を作ろうとしているのか、何を強みとしようといているのか、何を存在価値と信じているのか、強い確信があり、その確信に基づいて組織を率いている状態。そして、そのために必要な能力を習得しようと自分を駆り立てている状態。」

これが、私にとっての仕事における幸せの定義です。

そして、その反対が、私にとっての不幸です。ですから、組織の中で冷遇されようと、給料が著しく下がろうと、それは私にとっては不幸にはなり得ません。

今の給与の例え10分の1になろうと、ハッピーに暮らしていける自信があります。でも、今の給与のままだとしても、自分が何をしているのかが分からない状況だと、おそらく私は少しずつ不幸になっていくのだと思います。

これからも、一生、ハッピーでいたいです。

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私の才能は割と片寄っているらしいです

昨年、友人に「さあ、才能に目覚めよう」という書籍をもらいました。

この本のメインメッセージは、人はそれぞれ異なる才能を持っていて、この才能に技術と知識を合わせることで「強み」とすることができる、ということです。どれほど技術や知識を増やしても、才能がなければ平均的にはなれても、強みといえるほど卓越することはできない、という理論を200万人のマネジャー職へのインタビューから実証的に展開しています。

繰り返します「どれほど技術や知識を増やしても、才能がなければ強みといえるほど卓越することはできない」ということを「実証的に」紹介している本です。

努力をすればなんとかなる、頑張ればできるようになるよ、という「万人皆共通」という考え方は幻想であって、人はそれぞれ強みと弱みがあり、弱みを強化するよりも、強みを生かす方が、はるかに効率的かつ幸せに生きることができる、という主張です。

この本を購入すると、自分の強みを発見するためのテストをインターネットで受講することができます。

私のテスト結果を添付します。

「Stringth.pdf」をダウンロード

このテストを受けて「当たり前だと思っていたことが当たり前ではない」ということに気がつきました。

人は一人一人違っている。だけど、それでも理解しあうことができる。

という私の考え方は「個別化」と「運命思考」に基づいていることが明らかです。

引き受けた以上は最後までやり遂げる。言ったことは絶対に守る。

という頑固さは「責任感」に基づいているのでしょう。

やったことがない情報システムの監査であっても苦労せずにリスクを想像してテスト方法を思いつくことができる。未経験のプロジェクトも、しばらく考えているとWBSが浮かんでくる。

というのは「着想力」に基づくのでしょうね。

ダブルバインドにならない正確な文章を作成する。

という能力は「コミュニケーション」に基づくのでしょう。

さて、この書籍にて、強みは34種類に分類されており、34種類の強みは4つの資質群に分類されています。

「関係資質群」
コミュニケーション 共感性 親密性 包含 個別化 責任感 調和性

「影響資質群」
指令性 ポジティブ 最上志向 成長促進 競争性 社交性

「動機資質群」
達成欲 活発性 適応性 信念 規律性 目標志向 回復志向 自己確信 自我

「思考資質群」
分析思考 アレンジ 運命志向 原点思考 慎重さ 公平性 未来志向 着想 
収集心 内省 学習欲 戦略性

私の5つの強みは、「関係資質群」と「思考資質群」にだけ分類されています。上位2つはどちらも「関係資質群」です。相当に偏っています。

人に対して影響を与えたいとか、人から良く見られたい、競争に勝ちたいという「影響資質群」と、自分で定めた目標に向かって自身をもって何かを達成したいという「動機資質群」には強みがありません。

「影響資質群」を強みとする人たちは、人に対して影響を与えようとしない私をなんとか変えようと思うのかもしれません。売上げ目標や人員目標を掲げても全く熱くならない私をみてイライラしている人がいるということは、よく理解しています。そして、実際そのことでは、コミュニケーションギャップが生じがちです。

う~ん、なるほど。

私は、自分が強いところだけで勝負してきてたんですね。

今まで、これといった苦労なく仕事をしてこられたのは「たまたま(?)才能を生かすことができる分野にいた」ことと「上司が私の弱みを強化しようとせず、私の才能を生かすアサイメントをしてきた」からなんですね。

働き始めて、それなりの成果を上げられるようになるまでの一定期間、このようにして「強みを生かす」ということにだけフォーカスをしたアサインメントをしてもらっていたからこそ、今の私があるのではないかと思います。

自分の才能がどこにあるのかを理解して、それを生かしてくれる上司や同僚・クライアントと働くことが、幸せな仕事の仕方なのではないかと感じました。

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過労? いえ、多分違います

今日、オフィスの給湯室の扉で左の手のひらを思いきり挟みました。

実は、同じ場所を土曜日にぶつけています。

痣ができて皮がむけているところをぶつけたので、かなりの痛みでした。

こうした怪我をすると、整形外科と東洋医学(整体)の考え方の違いをよく理解できます。

整形外科に行って「ぶつけて擦りむいた」と言ったら、湿布と痛み止めをくれるでしょう。でも、きちんとした整体に行けば「何でぶつけたのか」を探ろうとするはずです。

体の一部をぶつけたり挟んだりするということは、左右のバランスが崩れていたり、体イメージが崩れているということです。

表面的な痣や、打撲の措置だけではなく、この「ゆがみ」の原因を特定しなければ、再発してしまいます。

もしかしたら、過労で体の反応が悪くなっていて、危険を避けられなくなっているのかもしれません。その場合、表面的な症状にだけ対処していたら、大怪我につながるかもしれません。

私は、普段の仕事で「マネジメントシステム」の仕組みの一貫として「根本原因の特定」をするお手伝いをしています。

根本原因の特定が性格の根っこにまで浸透しているようで、自分の体の問題も同じように取り扱おうとします(笑)

例えば、盲腸が腫れたから切ろう、と医者が言っても、盲腸が腫れる原因を考えて、その原因を除去しようとしています。20年苦しんだ慢性盲腸炎は、肉食と牛乳を控えて完全に納まりました。30年間、毎月のように38℃以上発熱し苦しんだ扁桃腺炎は、口呼吸を完全に止めて、耳下腺と胸鎖周辺の筋膜マッサージを毎日するようになって、こちらも完全に納まっています。

さて、今回の左手の怪我の根本原因は何でしょうか。会社の人も読んでいるので「過労だと思うから、休ませてもらおう」と書きたいところですが、実際は違います。

先週の木曜日に、普段は開けてある扉が閉まっていて、暗闇の中でぶつかり、目の下を怪我しました。痛みは取れているのですが、まだ微妙に腫れていて、視野が普段よりも狭いようです。そのため、左の手を動かした時に、普段は見えている角度で焦点が合わずにぶつけているようです。

ということは、普段通りに生活していると、目の腫れてがおさまるまで、左手を怪我し続けることになります。

原因は分かりました。しかし、わりと粗忽な私が、目が治るまで左側に気を付け続けることができるのでしょうか。

多分無理なので、忘れないように左の手に包帯でも巻いて、忘れないようにしておくことにします。(内輪ネタですが、こういうことを「工夫」と言います。分かります?>リーダー職から工夫しろと言われ続けてる皆さん)

おまけ:普段あけている扉が閉まっていたのは、家族と喧嘩をしまして、喧嘩相手が勢いで閉めてしまったからです。というわけで、左手の怪我の本当の根本原因は、かなりの疲労で一分でも早く寝たがっている家族に対して「部屋を片付けろ」と言い続けた、私の思いやりのなさかもしれません。

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ここまで変わる

夫と二人でビリー隊長の下に入隊しました。

最初は同僚にDVDを借りて1週間トライ。すごい筋肉痛に悩まされたのも最初の二日だけで、三日目からは楽しかったので、どうやら続けられそうだ、と判断して我が家でも購入。

最初の週は、ビリーバンドなしで。次の週はビリーバンドありで。そして現在は3週目に入り、腹筋プログラムを中心に応用プログラムもやっています。

で、私の成果は、というと

「体重が増えました」(爆)

あたりまえですね。もともと筋肉質で太ってないわけですから、筋トレ続けたら筋肥大で体重が増えるにきまってます。

夫のほうは、驚くべき成果がでています。本人の了解の下、写真をUPします。

使用前

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使用後(3週間後)

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縦と横にうっすらと腹筋が割れてます。本人曰く「こんなになったのは人生で初めてかも」とのこと。

使用後の写真では、腹直筋(胃の上のあたりの縦についている筋肉)が割れているのがわかりますよね。ここの筋肉が強化されてくると、胃がひきしめられるので、一度に大量の食事をしにくくなってきます。そのため、減量効果が倍増します。

先日遊びにきた友人が「話に聞いていたほど旦那さんのおなかは出てなかった」と言っていたのですが、それはこの3週間でここまで引き締まったからなんですよ~。

インディアンは「思考と心と体と魂」の全てを合わせてその人自身で、これらは密接に相互に関係しあっていると考えます。7つの習慣で有名なフランクリン・コヴィーは最新刊「第八の習慣」の中でインディアンの考え方を採用して"Body, mind, heart and spirit"のすべてをControlしていこう、と訴えました(すいません、日本語で読んでいないのでどなたか日本語で読まれた方、日本語でなんて書いてあるのかコメントで教えてください)。

"Body, mind, heart and spirit"のどれに対してもさまざまなアプローチ方法があります。世間では勉強をすることでmindをコントロールしよう、という流れが主流ですが、実は一番因果関係が明確で効果がでやすいのが「Body」なのではないかと感じています。

そして、Bodyをコントロールすることができた、という自信は"Mind, heart and spirit"もコントロールできる、という自信につながるのではないかなあ、と思うのです。

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タクシーの運転手さんは化学工場並みの危険労働?

生まれてから一本も煙草を吸ったことがないタクシーの運転手さんが肺気腫になってしまいました。タクシー運転手として25年間、来る日も来る日もお客様のたばこの煙を吸い続けた結果です。現在、労災認定が可能かどうかを会社と話し合っているそうです。

この話し合いの過程で、窓を閉め切った車内でタバコを吸っているときに空気に含まれる二酸化炭素や窒素を測定するという実験をしたところ、労働基準法で定める化学物質の濃度をはるか絵に越える危険労働空間だったそうです。

この話は、親しくさせていただいている気管支喘息持ちのタクシーの運転手さんからうかがいました。

肺気腫になってしまった方は、嫌煙家というわけでもなかったそうです。煙が苦手か苦手ではないかというのは、体に影響が出る出ないとは全然関係がないんですね。

そういえば、今月のはじめに、タイで開かれていた国際会議にて、受動喫煙からの絶対的な保護を求める約が全会一致で可決されました。

日本代表団のみ、この条約に対する文言の訂正や削除を求めたそうですが、結果的に申し出を取り下げ、賛成に回ったそうです。

和訳つきでこちらで読むことができますので、ぜひご一読ください。

これにともない、多くの国では公共の空間での完全禁煙が実現しそうです。おそらく、日本でも路上喫煙や歩行喫煙は難しくなるかもしれません。

肺気腫になってしまった運転手さんのような被害者は防げるかもしれません。

私としては、禁煙のレストランやホテルが増えるとうれしいのですが、日本は成人男性の3-4割が喫煙する国ですから、実際には完全分煙のレストランや喫煙者専用と明示する店舗が増えるだけのような気もします。

その場合、従業員の方を受動喫煙からどうやって守るのかが難しいですね。

ところで、私は日本のテレビを見ないので新聞や雑誌を読んでいる範囲での印象なのですが、この条例の件って日本のマスコミはあまり取り上げていませんね。日本は禁煙に関する好意的な世論が形成されないようにマスメディアが行動するので、今後もあまり取り上げられていないのではないかと思います。

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