ビジネスに役立つ話し方(声・言葉遣い)を学ぼう

差別教育って、会社の責任ですか?

外資系や、エクセレントカンパニーと呼ばれる企業勤めが長いことと、クライアントも、日本に進出している外国企業が中心でしたので、露骨な女性蔑視表現に触れることはあまりありませんでした。

しかし、今の勤務先に移ってからは「女性は働く仲間としてみることはできない」「女性って、同僚とは思えない」といった露骨な女性差別表現に触れることがちょくちょくあります。

ここまで直接的な差別表現ではない、差別意識にはほぼ毎日触れています。

今日も、男性に対しては自分の普段のままの口調で話すのに、私に対してだけは「あたしは、あたしは」と、女性の口真似をして話す人がいました。

ちなみに、私は、自分のことをぜったに「あたし」とはいいません。「わたし」または「わたくし」「自分」と称します。おそらく、お子さんの口癖か、キャバクラの女の子の口真似なのかと感じられました。(かなり莫迦っぽい口調だったので、普段、一体どんな女性が周りにいるのだろう、と考えてしまいました。)

普段からの差別意識や蔑視が、何気ない一言や表現にあらわれているだけであって、私に対する個人的な蔑視ではなく、女性全体に対する蔑視なのだということはよくわかっています。ですから、個人的侮蔑として受け取ることはありません。

女性を、対等なプロとしてはみなさず、言葉の端々で小ばかにする表現をする人って、いまだに日本のおぢさんにはたくさんいるんだなあ、と改めて実感させられています。

おそらく、家族もこうした表現に違和感や嫌な思いをしていたのでしょうが、さらされているうちに慣れてきてしまったのでしょうね。こういう人に対しては、慣れて何も感じないようになるか、バイバイするかしかないのだと思います。

家族と違って、会社やクライアントの場合はバイバイすることができるので、かなり気楽です。

しかし、本音を言えば、こういう表現にさらされているご家族をかわいそうだと思うと同時に、家族は世間に対する責任としてこういう差別表現を使うおじさんに対してきちんと教育をしてもらいたいものだとも思います。

差別意識を教育するのは家族の責任なのか、それとも会社の責任なのかと問われると、私は「家族の責任」だと思います。しかし、長年こうした蔑視にさらされてきた家族としては、それを受け入れて慣れるしか選択肢はなかったのではないでしょうか。こうした表現にいちいち反応していたら、精神的に持たなかったのではないかと思います。

ですから、差別意識や差別意識に基づく蔑視表現に対しては、ある程度、会社が教育するしかないのかなあ、と感じています。

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両手がふさがっている人にティッシュを配りますか?

先日、両手に荷物を持って品川駅のスカイウォークを歩いていました。どう見たって、何かを受け取れる状態ではありません。しかし、約200メートル程度の間に6人のティッシュ・チラシ配りの全員が「どーぞー」といって何かを手渡そうとしました。

彼らは、なぜ、そのような報われない努力を続けるのでしょうか?なぜ、工夫をしようとは思わないのでしょうか?

たくさんの人が歩いている中で、何でわざわざ、両手に荷物を持っている私に渡そうとするのでしょうか(答え:近くを歩いていたから、ってことはわかりますが・・)

伝道集会のチラシや教会案内(トラクト)を駅前で配ったりする時、やみくもに配ったって受け取ってもらえるものじゃあありません。人が手を出して何かを受け取るためには、ある程度の準備が必要です。この準備がないまま強制的に何かを受け取らせようとしたって、嫌な気持ちになるだけです。(ちなみに、ティッシュ配りのバイトもしたことがありますが、トラクト配布と何ら変わることはありませんでした。)

こちらが持っている何かを受け取ってほしいのであれば、

  1. 少なくとも片手が空いている(荷物で両手がふさがっていない)
  2. 自分を視認してから 自分との距離を少しずつ置こうとしていない(10メートルくらい手前で道の真ん中を歩いていたとして、自分に近づくにつれて自分とは反対の道路側などに距離を置こうとしている人には絶対に配らない)

最低限度、この程度の配慮は必要なのではないでしょうか。

そしてこれは、ティッシュやトラクトといった「物」を渡すときだけではなく、こちらの「想い」を伝えたいときも同じだと思います。

イエス様は、イエス様の与える「救い」を伝える前に、人々の重荷を取り去ってくださいました。

心がふさぎこんでいる人に一方的に福音伝道をするのは、両手がふさがっている人にティッシュを配ろうとしているバイトさんと同じではないでしょうか?(セキュリティ事故を起こしたばかりの組織に対してセキュリティ事故防止商品を売り込みにくるベンダーさんも、同じような思考回路ですよね。。。)

両手がふさがっているのなら、まずは荷物を代わりに持って、その人が行きたいところまで運んでみてはどうでしょう。

問題を起こして苦しんでいる人がいたなら、まずはその苦しみをしっかりと聴いてみてはどうでしょうか。

200メートル歩く間に、そんなことを考えました。

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ファミレスでオーダーできる人・できない人

想像してみてください。

部内ミーティングであなたの上司が部員全体に向かって、今年度の 部方針の発表をしています。あなたは部長の発表の途中で、部長がこれから利用しようとしている配布資料の部数がが足りないことに気が付きました。

今すぐあなた自身の資料をコピーしてくれば発表までに間に合いそうです。でも、発表途中に席を立てば、事情が分からない部長が不当な評価をするかもしれません。

このまま気が付かないフリを続ければ、資料が足りないことに気が付いた別の誰かがコピーをとりに行くか、発表中に部長が誰かにコピーをしてくるように言うでしょう。

あなたはどうしますか?

  1. 黙って自分の資料を持ってコピーに行く

  2. 隣の席の人に「コピーしてくる」と小声で言って自分の資料を持ってコピーに行く

  3. 部長が誰かにコピーを取って欲しそうにし始めたら下を向いて視線を合わせないようにする

  4. 部長が誰かにコピーを取って欲しそうにし始めたら「行ってきます」と名乗りをあげてコピーに行く

  5. 部長に指名されたらコピーに行く

  6. 分からない

1から5のどれかに該当しました?該当するとしたら、あなたが部長だったらどうして欲しいか、という立場で考え直してください。

  • 自分が話している時に、黙って離席したり、ボソボソ隣の人と話してから離席する人がいたら話してとして不安になりませんか?

  • コピー部数が足りないのは自分の失敗です。話している最中に失敗に気が付いて、なおかつミーティングが中断したら動揺しませんか?

だから、どの選択肢も「ありがとう」という気持ちにはなれないものばかりです。だけど、もしあなたが指名されてコピーを取りに行ったのに黙って部長が受け取ったら「コピーを取りにいってあげたのにあの部長はありがとうとも言えない」と思いませんか?部長にとってありがたくないシチュエーションなのですから、ありがとうという感謝を期待しても報われないです。

こういう時、あなたにとっても部長にとってもHAPPYな方法ってあるのでしょうか?

いろいろな選択肢があると思います。私だったら、という1案ですが、視線を活用します。

資料が足りないことに気が付いた時点で、話している部長の顔をじっと見て視線を捉まえます。そして、視線を捉まえたら、部長の視線を自分が持っている資料に誘導し、次に資料を持っていない人(または人が来るはずの空席)に視線を誘導します。部長が、資料が足りないことに気が付いた、という表情になった段階で、軽く会釈をして視線を外して、そのまま自分の資料を持ってコピーに行きます。

人からの視線を受けなれていないと、自分が話していない時に視線をどこに持っていけばよいのか分からず、ついつい下を向いたり横を向いたりしてしまいます。また、人の視線を捉まえることに馴れていないと、なかなか視線を捉えられません。

混雑したファミリーレストランで、ウェイトレスに声をかけてもなかなか来てもらえない人がいる一方で、軽く手を上げたりうなづくだけで来てもらえる人がいますよね。

あなたはどちらですか?

もし、なかなか来てもらえないとしたら、視線をシンクロするタイミングがずれているのかもしれません。

猫背のままで視線をシンクロさせようとすると、顎が出るので相手は「馬鹿にされている」「見下されている」と感じます。

赤ちゃんは顔をよむ

人だからこそ視線や表情に影響されます。そして、上手にシンクロできると組織の中でもスムーズに生きることができます。赤ちゃんがどうやって表情を読み、メッセージを受け取るようになるかを学ぶことで、自分がどう見られているのかが分かるのではないでしょうか。(アフィリエイとではありません。履歴は取っていないので、らみぃに知られることなく購入できます。)

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