お金が欲しい
稼がなきゃ。
もっと、もっと稼がなきゃ。
シェルターにくるたびに思います。
稼がなきゃ。
もっと、もっと稼がなきゃ。
シェルターにくるたびに思います。
最後の更新から早2年。
前職を退職して3年弱になりました。この3年間、いろいろあったようななかったような。
客観的に見ると、ほとんど何も生み出しては来なかった、そして何の責任も担って来なかったような気がします。
壊れた椅子を捨てずに、修理をして使い続ける。
朝起きて、猫たちにご飯をあげたら、食べ終わるまで横に付き添っていてあげられる生活。
ソファーの座面がすれてきたら、日暮里の繊維問屋街に行って安い布を買ってきて、型紙を作ってソファーカバーを作る生活。
目が不自由な人に肩と肘を貸して、移動につきあえる生活。
転職して、年収も職務権限も半減して、責任も半減(以下)に。
社員と社員の家族が食べていくだけの売上を何が何でも確保する、という強烈なプレッシャーからは開放されたものの、ていねいに暮らすだけの時間は、なかなか確保できません。
働くって何なのかなあ、と考えてしまいます。
残業は、本人か管理職か経営者の能力と責任不足からしか起こらない。
今から20年前に、オーストラリアの監査法人で働くインド人の会計士から言われた言葉です。(当時、私は彼が日本国内で監査をするときの通訳をしていました。)
ケース1 本人が悪い(与えられた仕事量が適切なのに、残業が起こってしまう)場合
-本人の能力が足りない(=能力比で給料が高すぎる)
-自分自身や家族に対する責任感が足りない(健康を維持したり、家族の面倒を見る覚悟が足りない)
ケース2 本人の上司が悪い場合
-自分のチェック作業を軽減するために優秀な人間にばかり仕事を割り当てる
-本人の能力を見極める力が足りてない
-部下の健康に対する責任感が足りない
ケース3 経営者が悪い場合
-業績最優先で残業をさせるのは会社の権利だと思い込んでいる(=コンプライアンスマインドが欠けている)
-ビジョンや目的を達成するための具体的な業務量を算出する能力が欠けている
-長期的視点で経営をする責任感が足りない
ようするに、残業が発生するのはこのケース1~3のいずれかが生じている場合だけだと言うわけです。
とても当たり前のことなんですが、こういうことを言う日本人にはあったこと、ないんですよね・・・・・・・・・・・・・・・・
他国に比べて日本の労働生産効率が著しく低いのは、このケース1から3が全て発生している組織が一般的だからなのではないかと感じています。にも関わらず、多くの組織ではケース2とケース3の事実を無視して、労働者にケース1だと思い込ませようとしているように感じることが多々あります。
私は、社員が定時で帰れるように工夫をするのは、経営者と管理職の義務であり責任であると思います。と同時に、能力開発を続けるのも、全社員の義務であり責任だと思います。
このバランスが取れてるように制度設計をするのが、本来の企画セクション(人事部門含)や内部監査部門の役割だと思うのですが、なかなか、日本の会社ではこれが当たり前にならないんですよね(涙)
苗字館によると、私の旧姓は日本全国に約7000人います。そして、そのうち約5000人が長崎県と佐賀県と熊本県に居住中のようです。
そして、5つの町では、町内で最も多い姓名TOP5に入っています。この町は2つの県をまたがっているとはいえ、車で20分以内のエリアです。なので、このエリアに行くと、○○書店、○○文具店、○○医院、○○助産院といった看板を嫌と言うほど目にします。
私の旧姓に限らず、一部の姓は極めて狭い地域に固まって住み続け、全く拡散しないそうです。反対に、どんどん拡散して日本全国に住んでいる姓もたくさんあります。
この違いがなぜ生まれるのか、以前から不思議で仕方ありませんでした。
で、今回、勤務先を事実上追い出され(笑)就職活動をするにあたって、はたと気がついたことがあります。親族が、私の転職活動を不思議そうに話題にするんですよ。転職というものが、どうにも不可解な出来事のようなんです。
そこで、今更ながら気がついたのですが、2親等以内だと正社員で会社員をしているのは、私と私の母だけです。母を除く2親等以内は、農家、漁業、民生員、看護師、会社経営者達で、サラリーマンっていないんですよね。3親等まで広げると、サービスエンジニアをしている従兄弟が一人いますが、残りの約40人は、とび職・料理人・看護師・介護士・アクセサリーのデザイナー・映画監督・親の仕事の手伝いをしています。いとこ達の職業選択を見ていると、周囲にサラリーマンがほとんどいないため、大人になってからも会社に勤めるということのイメージがわかず会社員になりにくかったのかな、と気がつきました。
ようするに、ビジネス構造的に考えても、高給をもらえそうな仕事についている親族は皆無というわけです。一方で、会社に振り回されるような人生も歩んではいないわけです。
土地はただ同然のエリアですし、身内にとびや土建屋がいるので家も原価で建てられるし、野菜と果物は豊富に取れるし、貝は浜辺で拾ってくればいいし、たいしてお金がかからない生活をしています。
こうやって、あらためて眺めてみると、わざわざ故郷を離れてお金を稼ぎに上京しなければいけないような理由って、あんまりないんですよね。
これが、日本全国に拡散しない一因なのかなあ。。。。ただの思いつきだけど。
以前は、仕事と家庭を何とか両立しようと努力をし続け、地域社会での責任や地球市民としての役割もまっとうしようとするすばらしい上司や同僚もたくさんいました。しかし、産業構造が大きく変わり、コンサルや投資銀行が得る報酬があまりにも莫大になるにつれて、、こうした人間としての品性や品格を感じることができるコンサルタントや機関投資家、PEと出会う機会が激減していきました。
また、会話が全く面白くなくなってきました。社会構造に関しても、文学や絵画、音楽に関しても話をすることはできる。知識はある。でもその知識は本から得たものであって、自分自身が芸術に触れて何かを感じたわけでもなければ、身を持って社会構造の変化を体験してきたわけでもない、という人たちが増え始めました。
身をもって体験して獲得した知識と、書籍や映像から獲得した知識の重みの差を理解せず、複数の書籍から総合して推察した論理をあたかも事実であるかのように語るコンサルタントが増え、実際にコンサルティングの対象である製品やサービスを使い込まない人たちが主流になっていきました。
大量の知識はある、この知識をもとにフレームワークを作ることもできる。会話は成り立つし、キャッチボールとしてぽんぽんと刺激的な答えが返っては来ます。でも、地に足が着いていないような、なんだか分からないフワフワ感を感じるようになったのです。
そしてお客様に対して言っていることと正反対の行動をとるコンサルタントが目につきはじめました。
そして、とても残念なことに、お客様に対して内部統制をしっかりと構築して会計不正が起こらないような仕組みを作りましょう、というコンサルティングをしているコンサルタントや会計士が、「率先して」自社の会計不正に平気で手を貸す姿を何回も目撃するようになりました。
会計不正に加担したことが原因で以前の勤務先が消滅したにも関わらず、次の就職先でも上司からの不正への協力要請に対して進んで協力をしているコンサルタントまで出現しました。あれだけ痛い思いをしておいて、自分も同僚も自分の部下も路頭に迷わせることになる危険性が高いということを十分に理解していながら、それでも同じことを繰り返す。
自分が平気で会計不正に加担しながら、なぜ統制の重要性を説くことができるのでしょうか?
私は、こうした「専門知識は豊富だけれど、その専門知識を自分自身の行動に全く反映させていない」人たちが周囲に出現し、しかもお客様に対しては堂々と内部統制の重要性を説明しているという事実を「仕方がないこと」であると受け入れることができませんでした。
私は、お客様に対して助言することは、そのまますべて、自分自身でも守りたい。自分自身に後ろ暗いところがあれば、堂々と自信をもってお客様に助言をすることはできません。
私がもし、戦略策定やITシステムの導入支援をしていたのなら、もしかしたらまだコンサルタントをしていたかもしれません。しかし、私の専門はマネジメントシステムという企業の内部統制の構築業務です。お客様に対して統制がきいた組織作りをするように助言する以上、自社はそれ以上の組織でなければいけないと考えています。
「うちの会社は大丈夫」
そう言い切れる監査法人やコンサルティングファームはどれくらいあるでしょうか?
先日、東証一部上場製造業の財務最高責任者(CFO)と話していたときに「このまえ、投資銀行の人のお給料聞いて驚いたよ。まだ30台なのに、うちの社長の給料より高いんだよね。と言われまし た。
「一日13時間働き、5時間勉強し続ける生活を7-8年は続けた結果ですからねえ。おそらく、御社の社長が今までの人生で費やした勉強時間やビジネスのトレーニング時間以上の時間を、この7-8年で費やしています。それに、コン サルや投資銀行って、働けて10年なので、みなさんが30年かけて獲得する生涯年収を10年で得ないと生活できないんですよ。」と答えておきました。
私の答えは、確かに嘘ではありません。私自身の人生を振り返ってみても、どこかに旅行にいった記憶もほとんどなければ、家でノンビリとテレビを見ていた記憶もありません。
プロジェクトをして、読書をして、新しい方法論を考えて、健康維持のための運動をして、毎日が過ぎ去っていきました。常に投資対効果を考 え、仕事で使うフレームワークで家庭生活も介護もマネジメントしていく生活。それをやり遂げられたのは、確かにコンサルタントとしてのトレーニングの賜物 でしょう。
しかし、私にとってよくわからないのは、私は3人分の介護施設費用をまかなうという目的があったので、お金が必要だったのですが、周囲を見回しても、それほど「そこまでして働かなければいけない」理由がある人っていないんですよ。
それなのに、何で巷ではここまで、年収アップのためのノウハウ本が売れ、まるで誰もがビジネススキルをアップしなければいけないかのような錯覚を与えかねない世の中になっているのでしょうか?
格差社会の到来で、自分自身が格差の下のほうにランクされることに対する漠然とした恐怖があることは理解できます。しかし、では格差社会が進んでいる諸外国で、俗に下流層と言われる人たちの生活が本当に不幸なのでしょうか?
私は、各国のストリートで楽器を演奏し、ダンスを踊り、つつましく生活していた彼らが不幸には見えませんでした。また、私自身が、生活保護を受けて、母親と二人でなんとか糊口をしのぐ生活をしてきましたが、その生活が不幸だったなどとは全く思っていません。
収入格差が子供の学力に影響する。平均すれば、それは確かにそのとおりでしょう。それは、都営住宅2種と言われる団地の出身者である私の幼馴染達の学力や現在の平均収入を考えればとてもよく分かります。
ですから、収入格差が子供にまで格差を引き起こすというニュースを聞いた親達が子供のために少しでも収入を増やしたい、と考える親心は分かります。 しかし、そのために全てに効率性を求め、心のゆとりを犠牲にし、細かくタイムマネジメントを行い、全力で子供に向き合う時間を極端に減らしたとします。塾 や家庭教師の効果で子供の学力が上がったとして、親が自分を愛しているという絶対的な自己肯定ができない子供に育つリスクが高まるとうい恐怖は感じないの でしょうか?
日本のホワイトカラーの労働生産性は本当に低いです。労働生産性をあげ、短時間勤務で家に帰って家族と一緒にすごしたい。
この発想はきわめて正しいと思います。しかし、現実問題としては、日本の伝統的な企業に勤務している限り、自分だけが仕事を効率化したとしても、全体の労働量は減らず、早く帰れるようにはなりません。
結果的に、一部の特殊な社風を持つ企業以外では、ビジネス能力を伸ばすための努力をすれば企業内での評価は高くなり平均よりはちょっとはお給料が高くなるけれど、今まで以上に家族と過ごす時間はなくなる、という正反対の結果をもたらしています。
格差社会が到来した。
それは確かにそのとおりだと思います。でも、そのときに本当に発信すべき情報は「こうすれば上流階層の仲間入り」というノウハウ本だけなのでしょうか?
なぜ、ネットでも書店でも「どれだけ格差があっても、それなりに幸せに暮らしていけるよ」という情報がほとんど見つからないのでしょうか?
あまりにも情報が偏っていて、何かの意図や悪意を感じてしまいます。
テレビを見ていたら、アメリカの人気ドラマ「24」主演のキーファーサザーランドが「自分をはじめ、近頃のハリウッド俳優たちの出演料は高額すぎる。 本当のヒーローは、教師や消防士、警察官であって、自分たちのように実際の世界で何も生み出さない人間たちではない。こうした人たちが正当な評価(おそら く報酬、という意味)を受けるべきだ。」という発言をしていました。
スポーツ選手や俳優が与える夢や希望を軽視する必要はないとは思います。実際の世界で何も生み出していない、ということはないと思います。でも、やはり、私自身もキーファーサザーランドと同じように、昨今のセレブリティやいわゆる事業再生屋さん達が高給を得るという社会の仕組みには強烈な違和感を感 じます。特に、私自身がプロフェッショナルとして心から尊敬している一人である「ある学校の先生」が「生徒たちに捧げている愛情と時間の長さ」と「収入」を考 えると、正直なところやるせない思いがします。
長期的に本当に企業価値を高めるかどうかというゴーイングコンサーンの視点からではなく、短期中期スパンでの株価向上を目指した資本政策を行い、そ の利ざやで軽井沢に別荘を建て、ドンペリを好きなだけ飲む人達。飲食と移動交通費を顧客にチャージし、数千万円の年収を株式と車と建物に投資する生活。丸 の内で打ち合わせをしていた時に「ラーメンを食べたい」と言って、新幹線で新横浜のラーメン博物館に食べに行った人もいれば、それを聞いた別の人が翌週に 「ラーメン食べに喜多方に行ってきた」と言う世界。
企業のターンアラウンド(事業再生)や口銭利ざや商売が天職だ、と本気で思っているのなら、なぜそこまでの贅沢が必要なのか、なぜそんなに自分の身の回りに取り巻きを作りたがるのか、何が彼らをそこまで駆り立てるのか、、、、、、
彼らの多くが収入の多寡ではなく自分という人間に対する肯定感が高いのだとしたら、なぜ「同じ価値観で仕事をしろ」「不正に目をつぶれ」「違法じゃないんだいから、倫理的に問題があっても何が問題があるんだ」という無言・有言のプレッシャーさえ与えるのでしょうか。
収入を上げること自体は間違った行為ではないと思います。しかし、私にとっての英雄は、教師が天職だと言い切る学校の先生や、駅のホームで目が不自由な人に肩を貸して一緒に歩いている人たちです。子供としっかりと向き合い、話し合いたいと願い、家族との時間を最優先にするお母さんやお父さんたちです。こうした英雄達が、英雄としての性質を維持しながら収入をアップさせることができるのだとしたら、収入を上げるための努力を否定する気はありません。
しかし、現実はどうでしょうか?
すごく居心地が悪い。
それが、企業の管理部門からコンサルティングファームに移った時の最初の感想でした。仕事の中身は楽しいし、お客様との関係も良好、プロジェクト自体はワクワクする。一緒に働く仲間も(何人かは気に入らない人はいても)それほど関係が悪いというわけでもない。
だけど、漠然として気味の悪さがつきまとう。
数年前に、この奇妙な漠然とした違和感が、強烈にハッキリと姿を現す出来事がありました。「仕事には贅沢や遊びがあることが大切」と真顔で上司に説教され、同じような価値観で物事を進めるようにと説得されたのです。
あ、私、経済的な価値観が全然合わないんだ。
社員同士の飲み会で、1本3万円のワインを会社の経費で飲むことは、別に違法行為ではないのでしょう。
これといって急いでいるわけでもなければ、電話をかけなければいけないといった理由がなくても、どこに行くのもタクシーを使う、というのも別に決裁権限さえ逸脱していなければ、規程違反でもなんでもないのでしょう。
贅沢なオフィス、仕事上の必要性がないおしゃれな町へのオフィスの移転、どんどんインフレしていく社員達の給料、これらは社員達のブランド意識やエリート意識をくすぐるには役に立つのだとは思います。
しかし、それでも私は、生活レベルが上がってしまえば、そこから先は「ただひたすら生活レベルを維持するために高給を支払ってくれる組織にしがみつくしかない人生」を送ることになるぞ、それは危険だぞ、そんなこと続けてたら会社が不正をしろと言ったら不正をせざるをえない人間になるぞ、と日々自分に言い聞かせ続けていました。
これは、内部統制の整備や監査という仕事柄、会社命令で会計不正を繰り返す大勢のサラリーマンや、清算されていく多くの企業を見てきたからこその恐怖心だと思います。
また、プラダ合意という個人の力ではコントロールしようがない国策によって父が破産をしたため、中学生の時に「これから先も、いつ何が原因で無一文になるか分からないから1円でも無駄にしないで生活するぞ(+お金がなくなっても困らないだけの技術と知恵をつけよう)」という覚悟をしたことが影響していることは間違いがないでしょう。
会社側は高給を支払うことで社員に報いていると考えますが、会社がその高給を年金受給日まで支払い続けられる保証など、どこにもないわけです。だいたい、企業の平均寿命は10年もありません。特にコンサルティング業界は吸収合併が盛んで、永続するという前提で将来設計をするのは、ただのお馬鹿さんです(そんなおめでたいコンサルタントはあまりいないとは思いますが・・・・・)。
コンサルティングファームに限らず、会社はいつ倒産するか分かりませんし、業績が悪化すれば、リストラされるかもしれません。誰も生活の保障などはしてくれません。それに、給料が高ければ高いほど、次の転職先を見つけるのは至難の業です。
中には、給与は自分に対する評価だから高いに超したことはない、という人もいます。でも、給与水準って、企業規模、資本、所属業界によって自ずと決まってしまうもので、働いている人の能力や技術とはあんまり関係ないですよね。能力があれば給料が高いというものではなく、能力がある人が、高給を支払ってくれる業界・企業を選んだ時だけ、高給取りになるわけです。また、高給を支払ってくれる業界・企業の中には、コンサルティングファームのように永続性を前提としていない企業も少なくありません。ですから、今高い給与をもらえるからと言って、生涯年収が高くなる保証などどこにもないわけです。
こんな風に考えていると「人は弱く、一度贅沢を覚えると、生活レベルを落とすのは並大抵のことではないのだから、本当に必要なことが得られれば、それ以上の贅沢をするのは止めよう。自分にとって絶対に譲れないことが何なのか、それを守るためには最低限度いくらの年収が必要なのかを考え、必要な年収分は頑張って稼ごう。でも、それ以上はいらない。」というのはそれほど、非論理的な考え方でもないように思っているのですが、あんまり理解してはもらえないようです(笑)
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