勉強方法

小学校でリスクマネジメントの授業ができないだろうか

小学生、中学生向けの情報モラル教育のボランティアをしています。(会社の仕事ではなく、完全にプライベートの活動です。無料でやっているので興味がある方はお声掛けください。)

子供たちがネットの危険性を学ぶ機会がないがために、あまりにも悲惨な事件に巻き込まれているにもかかわらず、多くの親たちはその事実すら知らないし、知ってもリスクという概念が乏しく、子供に的確に教育をすることができません。

小学校の時に、金利の計算を教えられ、借金をすることの怖さを教えられる諸外国と異なり、日本で普通に義務教育を受けていると、自分の生活に降りかかってくるリスクを予防し、実際にリスクが起きてしまったときには被害を低減するための知識を獲得するチャンスがあまりにも乏しいと思います。

先日、中学3年生と高校3年生の女の子と話していたら「デートDVについては教えられたけど、被害に遭ったときにどこに逃げればいいのか、どこに相談すれば良いのかは教えられなかった」と言います。

自分でリスクをハンドルするための知恵を与えなければ恐怖心を植えつけるだけでリスクマネジメントにはなりません。リスクマネジメントの教育では、事件・事故の予防方法、起きてしまった場合の被害の低減方法をセットで教えることが必須で、この両方を教えられない場合はかえって被害を拡大させる、というのが常識です。

しかし、多くのリスクに関する教育がこんな感じで、事件や事故の事例を紹介するだけ。起きてしまっても、それでも何とかなるんだよ、自分でコントロールしていくことができるんだよ、被害に遭ったからってそれで人生が終わりなわけじゃないんだよ、というメッセージを子供たちに発信していません。

本当は、親と学校と社会が一体になって、リスクマネジメントの概念を子供たちと一緒に学び、危険な情報であっても子供たちが自己選択で見る見ないを決められることが望ましいと思います。しかし、現代の教育システムでは、意思決定を行うことができるほどの自律性をはぐくめているとは言いがたいでしょう。この状況では、子供たちが危険そのものに触れる機会を制限するほうがましだと思います。

KDDI(ブランド名 au)がネット機能を排した子供向けの携帯電話を販売します。(読売新聞へのリンクはこちらから。)最善の策だとは思いませんが、現実を見ると、次善の策だと思います。

KDDIは以前からサイトのフィルタリング機能を提供するなど、ジュニア向け携帯の安全性確保に熱心なキャリアです。しかし、フィルタリング機能の利用率はなかなか上がらないようです。今回も、Docomo、Softbankに先行して子供向け携帯を発売はしましたが、子供が「ソフトバンクがいーーよ」などとごねたら、親はどうするんでしょうね。こういう活動は、全キャリアが同時に取り組まないと、契約回線を減らすだけになりかねません。

情報モラルの授業でネットの危険性や個人情報をどうやって悪用されるのかを知った子供たちは、とても興味を持って「他にはないの?」と聞いてきます。

私自身の専門分野ではないので自分で話をすることはできない内容も含まれるのですが、チャンスがあれば、ネットの危険性に関してだけではなく、怪我や病気予防のための人体や医学に関する知識、いざという時のためのリスクマネーに関する投資や保険に関する知識、雇用主にだまされなたいめの労働基準に関する知識など、生き抜くために必要な包括的なリスクマネジメントの概念をシェアできたら嬉しいなあ、と考えています。

ただ、教育改革となると文部科学省が管轄ですし、ネットに関してとなると総務省が管轄、金利や生命保険になると金融庁が管轄になって、なかなか一体化して話を進められないんですよね。。。。。

大学であれば企業の寄附講座として簡単に実現できるんですが、リスクマネジメントの教育は早ければ早いほど良いので、できれば小学校3-4年生をターゲットにやってみたいと思っているのですが・・・・

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スパゲッティのような女の子の髪の毛?

前回の記事を読んで、おもしろそうだけど、英語で読む自信ないなあ、と思われた方、きっといますよね。

実は、子供向けの本が出ています。

Eats, Shoots & Leaves

The Girl's Like Spaghetti

という2冊です。見開き2ページで、イラストがたっぷり入って、句読点を間違えるとどういう風に意味が変わるかを説明してくれます。

イラストが補助してくれるので、英語で本を読んだことがない、という方でも比較的わかりやすいのではないでしょうか。

どちらも、日本のアマゾンで買うことができます。

こちらもお薦めです。

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食事をして、銃を撃ち、そして立ち去っていくパンダさん

日本語で書いてしまうと全くおもしろくないので、しばらく英語におつきあい下さい。

A panda walks into a cafe. He orders a sandwich, eats it, then draws a gun and fires two shots in the airs.

(訳:パンダがカフェにやってきました。彼はサンドウィッチを頼み、食べ終わると銃を引き抜き、空に向かって2回発射しました。)

'Why?' askes the confused waiter, as the panda makes towards the exit.

(訳:出口に向かって立去ろうとするパンダに向かってウェイターが困惑しながら「なんで?」と訊ねます。)

Panda tosses a dictionary over his sholder.

(訳:パンダは肩越しに、辞書を投げてよこしました。)

'I am a panda.Look up the dictionary.'

(訳:俺はパンダだ。辞書を引いてみろ!)

The waiter turns and finds the explanation.

(訳:ウェイターは辞書をめくり、パンダの説明文を見つけます。)

"Panda.Large black-and-white bear-like mammal, native to China. Eats, shoots and leaves."

(訳:パンダは大きな白黒のクマに似たほ乳類で中国が原産。Eats(食事)をして、shoots(射撃をして)とleaves(立ち去っていく)生き物である。)

これは、New york timesで売上げNo1に輝いたベストセラー「Eats, Shoots & Leaves」のカバーストーリーです。

パンダさん、辞書に余分な句読点が1つ入ってしまったために自分がどういう生き物なのかを誤解してしまったようです。

"Panda.Large black-and-white bear-like mammal, native to China. Eats shoots and leaves."

(訳:パンダは大きな白黒のクマに似たほ乳類で中国が原産。shoots(若竹)とleaves(葉)を食べる生き物である。)

これが、本当の説明文ですよね。(ただ、パンダは中国ではなくてチベットが原産だったと思いますが・・・)

日本語でも、句読点を間違えると全く違う意味になります。

「彼は、私と母に花を贈った。」

「彼は私と、母に花を贈った。」

議事録や規程文書でこういうミスをすると、全く違う意味になってしまい、読み手を誤った行動に誘導することになります。そのため、私は、日々、チームメンバーの日本語力向上のために四苦八苦しています。

作者の誤った文法に対する苛立ちに共感できるためか、イギリス人特有の表現がちりばめられていて、少々読みにくいところもあったというのに、一気に読んでしまいました。

句読点の打ち方だけで1冊、しかも笑える本を出せるというのは、すごいですよね。

著者のLynne Truss はこう主張します。

Without it, there is no reliable way of communicating meaning!

(訳:正しい句読法なしには、信頼できる意味の伝達法などありえない。)

本当にそのとおり!

似たような言葉でも全く意味が異なっていたり、句読点の位置が間違えていて主旨が変わってしまったり、あまりに曖昧すぎて意味が分からない文章だったり、、、

こういう悪文に付き合わされて、日々うんざりしている方、翻訳版(「パンクなパンダのパンクチュエーション」)も出ていますので、ぜひ読んでスカッとして下さい!(ただ、この内容を翻訳して読んで、同じようにおもしろいのかどうかは、分からないのですが・・・・)

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統制評価の研修参加者の2割以上がSWOT分析を知らない

統制評価の研修を受講中です。

講師が「SWOT分析という言葉を初めて聞いた方は、挙手してください」とお願いしたところ、2割以上が挙手しました。

実際には、知らないけれど手を挙げなかった人もいると思います。

自費で来るような研修ではありませんから、参加者の大半は業務命令で来ているはずです。研修内容(統制環境を評価する手法)を考えれば、大半は上場企業かコンサルティングファームの社員です。

つまり、日本を代表する会社が業務命令で企業の内部統制評価を学ばせている人の2割以上が、最低限度の経営学も、まともなビジネス書も学んでいないということです。

これが、日本のホワイトカラーの実態なのでしょうか。

かなり、驚きました。

反面、ビジネス書のマーケットというのは、実はまだまだ広がるんだな、ということを強く感じる一瞬でした。

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資格があっても仕事はできないけど、資格があって良いこともたくさんある

私は、受験して合格はしたけれど未登録という資格がたくさんあります。

  • 登録をすると継続研修の受講義務が発生するので面倒くさい
  • それなりに権威がある資格を名刺に刷ると、その資格分野の専門家としか見られなくなり、本来の専門(業務分析や組織心理)の人と見られなくなる
  • 知識の整理や知識の獲得をしたくて受験しただけで、もとから資格を名乗るつもりがなかった

というのがその理由です。(昔、勤務先に言われていろいろな資格試験を受験したけれど、私の事務管理能力が低くて、合格証がどこかに行ってしまった、という間抜けな理由で放置している資格も結構ありますが。。。)

さて、私に業務を依頼してくださるお客さまは、私の名刺に今以上にたくさんの資格がすってあったら、今よりも時間単価を上げて下さるでしょうか?絶対、あげてくれないと思います。それも、資格を維持するモチベーションが働かない1つの理由でもあります。

では、私が資格取得に懐疑的なのか、というとそんなことは決してありません。

新人社会人として働き始めた時に、インド人の上司が「仕事の中身が分からないことを失敗の言い訳にする人が多い。Lammyはそんな言い訳ばかりの社会人になっちゃいけないよ」と繰り返し言っていました。

当時の私の仕事は総務業務と監査の通訳でしたので、いちばん手っ取り早い業務理解方法として、監査の試験勉強をすることにしました。日本の公認会計士試験は監査論だけを勉強しても合否が分からないので、米国公認会計士の監査論(Audit and Attestation)の勉強をすることにしました。

監査が始まる前の監査手続きの翻訳、監査中の通訳、報告書の翻訳などをしながらの受験勉強ですから、一般的な受験生よりもはるかに楽な受験勉強です。しかも、分からないことがあれば、現役のCPAにいつでも質問ができます。それほどの苦労はありませんでした。

こうして、新人として業務に就いたその時に、体系的に監査というものの勉強をしたため、その後に業務をとおして学んだことを体系化することが容易になりました。

ですので、新人の時にUSCPAの受験勉強を一生懸命に行って、本当に良かったと思っています。

数年前に、CIA(Certified Internal Auditor,米国公認内部監査人)は4科目中2科目が監査論と監査の実践手順だと知りました。監査というものの本質が分かっていたなら、勉強しなくともある程度の点数は取れるはずだ、などと自分に言い訳をして、予定していた勉強をほとんどしないまま、ぶっつけ本番で受験。結果は、合格でした。

CIA2科目を準備せずに受験して合格して、身をもってはっきりと分かったのが、アメリカの資格試験や、日本の非国家資格(簿記、情報処理技術者試験などのほぼ国家資格的な資格も含む)は、その業務に就いて10年もしていたら、合格して当たり前の内容を出題しているだけで、特に難しい試験ではない、ということでした。

ですから、内部監査部門で4-5年勤務している人がCIA試験を受験して落ちた、というような話を聞いて、最初のうちは信じられませんでした。

しかし、ある日、この記事で書いた、監査という業務を全く知らない人と話していて、はたと気がついたのです。

自分の中にあるべき論がなく、周囲にも明確なあるべき論がない中で何年業務をしても、自分の内側にハッキリとした軸はできないんだ!

私が勉強しなくてもCIAに合格をしたのは、USCPAの試験勉強をとおして「監査論とは」という基礎的な考え方を吸収し、その後、「あるべき論」を自分なりに持っている上司の指導を受けながら業務に従事してきたからであって、私がすごいわけでも、何でもありません。

しかし、周囲は、私がどういう上司の指導の下で仕事をしてきたかなどは知りませんから、まるで私がすごいかのように思ってしまうわけです。

これは、周囲が私の元上司達を知らないことが私の価値を必要以上に高めている、という少しだけ私にはラッキーな話ですが、残念ながら、逆のパタンも相当に多いはずです。

  1. 上司にも組織にも「この業務はこうあるべき」という考え方がない。
  2. 「この業務はこうあるべき」という基準はあるけれど、その基準が他社では全く通用しなかったり、日本の特殊な組織(旧財閥系だけ、とか、製鉄だけ等)では通用するけれど、グローバルベストプラクティスの正反対で、転職したら何の役にもたたない。

という環境でお仕事をしている方は、相当数、いるはずです。

自分がこういう環境なのだ、ということに気がついている人はまだラッキーな方で、もしかしたら、自分がいる環境が標準的で、どこでもこういうものだ、と思いこんでいる人もいるかもしれません。

そういう人は、今までに自分が行ってきた業務手順そのものを転職先でも適用しようとして、コンフリクトを起こします。このことは、中途採用をよくする組織では、常識として知っていますから、1社での業務経験が長く、経験に見合った資格を有していない人を、どうしても敬遠しがちになります。

資格があっても、仕事はできません。でも、資格があったら「勤務先の業務手順だけではない、あるべき論を理解している」ということは分かります。また自社の業務が勉強したことに照らし合わせて明らかに非効率な場合、業務改善に役立てることもできますし、業務改善できる体力や倫理観がなければ転職しようと決心するきっかけになるかもしれません。

そういう意味では、やはり、自分の業務に密接に関係している資格があるのだとしたら、一通り勉強をすることは、とても有意義だと思うのです。

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司法試験は簡単

「今、振り返ってみると司法試験は簡単な試験なんですよ」

先日、10回以上、司法試験に落ちて、苦しんだ知人が、サラッと言いました。

彼の苦労を知っているので、かなり驚きました。

しかし、その理由を聞いて、心底納得しました。

「弁護士として、数十年働いてみると、自然と、法制度はこういうものだという感覚が身に付いて来るんです。あるべき姿が分かると、あの試験も、そんなに難しい訳でもないんですよ。そう考えてみると、新人弁護士の報酬って高すぎますね。」

本当にそうだなぁ、と思います。

司法試験に必死に受かったばかりの人と、法律の本質が見えている人のどちらに仕事を依頼したいか、は自明の理だと思います。

これは、法制度に限らない話ですよね。

プロフェッショナルとして働き続けるためには「こういうものだという感覚」をどう身につけるか、がとても大切ですよね。また、サービスを受ける側からしてみると「こういうものだという感覚を身につけているかどうかを、どう判断するか」がとても大切だと思います。

J-SOX対応で、多くの上場会社が内部監査人を増やそうとしています。

コンサルティングファームの中には、監査を「チェックシートを持ってきいて回ったり文書や記録を見る定型作業」という扱いで、人手不足に苦しんでいるクライアントに、コンサルティングサービスで使い物にならない3流以下のコンサルタントを当てています。

監査(会計監査でもシステム監査でも何でも良いです)という仕事をやったことがあれば、どれほど優れたチェックリストがあっても、良い監査を行うことができないということは、簡単に分かります。

しかし、やったことがない方には、この「良い監査」という感覚が理解できないのです。「監査というのはこういうものだという感覚」が分からないようです。

たちの悪いことに、日本の多くの企業が、今まで真剣に監査役監査や内部監査に取り組んでいませんでした。そのため、サービスを受ける企業側も「監査役監査や内部監査というのはこういうものだ」ということを理解していません。

そのため、巷には「え~、それでお金取るの?」と驚愕してしまうような、とんでもない内部監査のアウトソーシング会社がポロポロと出始めています。

ある重要インフラ企業は、年中、監督官庁からの監査を受けているためか、こうした新興監査サービス企業に対する警戒が強く、情報セキュリティ監査の御発注をいただく条件に「御社の監査手順書と監査マニュアルを見せてください」という要求をしてきました。

守秘性が高い内容なので、そのままは開示することはできませんでしたが、私としては、こういう要求をしてくださる意識が高いお客様に選んでいただけた、ということの方が嬉しく感じられました。

来年度、内部監査、特に業務プロセスやIT全般統制の内部監査をアウトソースする予定の企業はたくさんあると思います。

多くの、監査というものの本質を理解していない、応急処置的に監査人を増やしているコンサルティングファームに騙されないためにも、価格や監査人の資格だけで判断をせず、RFPには「監査倫理要綱」「監査手順書の作成手順」「監査規程」を開示するように要求してみてはいかがでしょうか?

もちろん、これだけで「監査というものの本質」を理解しているかどうかを判断することはできません。しかし、こうした手順書を読んでも監査というものの流れや効果が理解できないとしたら、少なくともそういう会社の提案は受けない方が良いのではないかと思います。

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コンサルティング能力を伸ばすためには落語を聞こう、とは言いませんが・・・

「なまけ者よ、いつまで寝ているのか、いつ目をさまして起きるのか。 しばらく眠り、しばらくまどろみ、手をこまぬいて、またしばらく休む。 それゆえ、貧しさは盗びとのようにあなたに来り、乏しさは、つわもののようにあなたに来る。」

旧約聖書の箴言という箇所の言葉です。

ここで言う「貧しさ」とは金銭的な貧しさのことではなく、心の貧しさを指します。 乏しさは、満足感の欠如を意味すると考えられています。

寝ているというのも、もちろん、文字通りに「眠っている」という意味ではなく、「心が正しさに対して覚醒していない」という意味です。

つまり、比喩を全部とりさって、ダイレクトに表現するなら、

正義に対して真剣に向かい合っていない人たちよ、だらだらとしてると、心がすさんで、何をやっても満足感なんか得られませんよ

という意味なわけです。

この箴言という箇所は、アメリカで最もビジネスパーソン(ノンクリスチャンを含む)に読まれているビジネスのまさに「バイブル」です。信仰とは無関係に、仕事に行き詰まると読む人が多いそうです。

ところで、実は、今日書きたかったのは聖書の紹介ではないのです。

ミクシーで、マイミクさんのマイミクさんの落語に関する記事を読んで、はっと気がついたことがあるのです。

私は、他の能力と比較すると、文字を読んで正確に意味を把握したり、聞いて理解するという能力が比較的優れています。

先日、高熱で相当に朦朧としていたのですが、それでも監査報告書を書いたりチェックをするという仕事の品質が下がることはありませんでした。でも、見積書の計算をはじめ、数字をさわる仕事の品質はボロボロで、社会人として使い物になりませんでした(嗚呼、本当にひどい仕事ですいませんでした>アシスタントのみなさま・・・)。

長年コンサルティングファームで訓練を受けてきたから、というのも一因ですが、それなら数字を扱う能力も高くなければいけないわけです。ずいぶんとアンバランスだよなあ、と思っていました。

で、今日気がついたのは、、、

普段から、毎日毎日、比喩だらけの聖書を読んで意味を理解しようとしてるんだから、そりゃー日本語力も英語力も上がるだろうさ!

という、考えてみれば当たり前のことでした。(私は普段、聖書は日本語で読んでいますが、毎日 Back to the Bibleという20分の英語の説教をダウンロードして聞いてます。)

毎日、毎週、比喩だらけの説教を聞いているわけで、耳から聞いて真意を理解する力の訓練も受けているわけです。

しかも、東京下町の人間らしく(?)、落語好きです。落語は、耳で聞いて同音異義語を理解しないと笑えません。(辛抱が足りない、心棒がない奴、という掛詞を耳で聞いて理解しないと笑えなかったりします。う~ん、こうやって文字で説明すると、野暮ですね。)

そうか、私の言語を扱う能力は、仕事で培われたわけではないんだ!

実は現在、社内でコンサルタントの言語能力を向上させるためのトレーニングをいろいろと行っているのですが、比較的簡単に向上する人と、何をやっても数年間変わらない人がいて、トレーニング方法に苦慮していました。

耳から聞いて真意を把握する力の向上のために、落語や礼拝中の説教を聞けというのは言えないですが、こういう同音異義語や比喩を満載した音声を聞いて真意を把握するというトレーニングが役に立つのではないかと思い至りました。

もう少し、具体的に考えてみようと思います。

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