心からの感謝ができる人になりたい
今週は、とても嬉しいことがありました。
あるお客さまから、「御社を選んで良かった。御社のコンサル'sも当社のプロジェクトを通して成長しましたね。」とのコメントをいただきました。
実は、このコメントをいただく前日、このお客さまの会社に対して感謝の想いがいっぱいで、自宅に帰ってからずっと、神様に「感謝します。どうか神様が豊かな祝福と導きを」とずっと祈っていました。
私こそが感謝すべき側であって、こんな言葉をいただける立場ではないお客さまです。何よりも、このお客さまは今大変な時期にいらっしゃって、もし私だったら、自分の将来のことばかり気になって、他人に「ありがとう」と伝えることなどできないと思います。
「本当にありがとうございました、御社のプロジェクトを担当させていただくことで、私達は本当に大きなプレゼントをいただきました。」そういって感謝するのは、私の方です。
このお客様のプロジェクトに入っているコンサルタント達は比較的若く、専門知識はありますが、経験が豊富だとは言いがたいメンバーでした。その彼らが、この1年半で「成長したよね」といっていただけるほど、知識や経験が飛躍的に伸びたのでしょうか。
まあ、確かに知識も経験も、伸びたことは伸びました。でも、彼らのうち、一体何人がISO27001の詳細管理策133項目を空で言えるかというと、多分、誰も言えないと思います。(本当は、これくらいは言えないと困るんですけどね)。当社にはこの133項目を暗記しているコンサルタントが数人います。でも、その人たちよりもこのプロジェクトに入ったコンサルタント達の方が格段に優れたいる点があります。それは、
彼らがお客さまを心から愛している
からです。お客さまのことを話題にするときの彼らの表情を見ていると、彼らがどれほどこのお客さまの会社を好きなのかが分かります。
母親が子供を愛するように、自分が出来ることではなくて、子供が必要としていることが何かを考え抜いて提供したいと祈るように、彼らはこのお客さまのことを真剣に考えてきました。
初めの頃は、このプロジェクトを通して○○ができるようになりたい、と自分の成長が彼らの目的でした。今でもそれが目的のコンサルタントもいるかもしれませんが、大半のコンサルタントにとっては「お客さまが△△になること」が彼らの目的になっています。
コンサルタント達がそう思うことが出来るプロジェクトはとても少なく、多くのコンサル会社ではコンサルタントが嬉しそうにお客さま企業のことを話題にするよりも「あの会社変だよね」「あんなところ」といったネガティブな意見を言い合うことが一般的です。
私の知人にも、過去のクライアント企業名が出るたびに「あれはダメだよ」「あれじゃあね」と批判しかしない人がたくさんいます。そういう人は、「論理的に考えれば答えはひとつなんだから、正しいことを決めてその通り実行すればいいんだよ」「好きか嫌いかなんて関係ないよ。コンサルは技術なんだから」と言います。そういう考え方もあるでしょう。
でも、私はそういうコンサルティングはしません。出来ませんし、世間がどれほど高い評価をしていても、少なくとも私のチームメンバーとしては一切評価しません。そういうコンサルタントになりたい人が私の部下になると、それはそれは大変、不幸なことになります。(なので、私の部下が別のチームに移動することは良くあります。)
確かに、お客様はわがままなこともいいます。お客様にとっては全然やったことがないことを始めるわけですから、不安でコンサルに噛み付きます。でも、だから何なんでしょうか?分からないことで不安になるのは当たり前のことです。分からないから、コンサルを雇うわけです。
噛み付かれたからって、お客様が手を抜きたがってるわけじゃないんですから、プロジェクトの本質や目的を見失わない限り、私は絶対にお客さまのことを嫌いになることはありません。(反対に言えば、プロジェクトの本質から外れていく人はどれほど愛想が良くても・・・・・・・、ということですね)
このお客様からは、厳しいことも言われましたし、言い争ったこともあります。でも、1度も、プロジェクトの本質からは外れませんでした。プロジェクトの本質から外れようとする人がいると、率先して、厳しく指摘して常に目的を意識しながらプロジェクトを進めていただけました。
そして、1年半がたった今、コンサルタント達は機会があればお客様の会社の自慢をしています。(もちろん、機密保持があるので部外者にいえるわけではありませんが)彼らは、どれほど自慢をしても好きになっても、同時に自分達は部外者であるという独特の感覚に慣れていくことになると思います。組織の外にいるからこそできる貢献と寂しさ、これは、コンサルタントとしてとても大切な経験です。
こういう素晴らしい経験をさせていただいたお客さまに、心から感謝しています。
さて、ここからは聖書と信仰のお話です。
ドラッガーの本の中に何回が出てくる例え話があります。
神殿工事の石工達に「ここで何をしてるんですか」とたずねたら
石工A「ここで石を切って積み上げてるんですよ。その繰り返しです。」
石工B「細心の注意をしてを切って、積み上げてるんですよ。だって、一番の石工になりたいですからね。」
石工C「ここの素晴らしい神殿を作っているんですよ。神殿に来た人々がここで神様と出会うことができる素晴らしい場所を作るお手伝いをしているんです。」
と答えました。
同じことをしていても、
- 単調作業
- 自分のことだけしか考えていない「自己中心」
- 物事の本質を理解し人から喜ばれることに価値を見出す「他者中心」
のいずれの立場を選択するかは、その人次第です。
多くの企業では1の人が多いのかもしれませんが、私が働くコンサルティング業界は2の人達であふれかえっています。
口先では「お客様のために」と言いながら、思考の出発点には自分がいる人たちです。例えば、あるお客さまが課題を抱えているという時に、多くのコンサルチームはこんな会話をします。
マネジャー「どうしようか?」
コンサルA「そうですねえ、今は私とBが工数があいてますし、私はこういうことならできます。こういう提案にしませんか?」
マネジャー「そうだね、じゃあ提案してくれる?」
まあ、こんな会話です。あなたは、コンサルAの反応をどう思いますか?「自分が何ができるかな」と考えて提案している時点で、良い部下だと思う方もいることでしょう。指示待型ではない時点で、不合格というラインではないと思います。
しかし、一応、当社はコンサルファームなので指示待型を採用するということはありません。ですので、コンサルタントとしては最低ラインの回答になります。
なぜでしょう?
それは、思考の中心と出発点が常に自分だからです。お客様が本当に必要としていることは何なのか、お客様が自覚していないけれど、本当にすべきことはないか、という出発点に立っていないからです。
「自分はこれができる」「だから手伝いたい」という想いも確かに大切です。でも、それでは自分が提供できるもの以上の提案はお客様にはできません。お客様が必要としていることを考えて考えて、考え抜いて、思いついたことを提供するスキルが自分になかったら、マネジャーに相談して誰かを追加してもらうか、どこか別の会社とアライアンスを組んでもいいじゃないですか。
多くの企業はコンサルティングの質はコンサルタントの専門知識で決まると考えているようです。しかし、専門知識が豊富なコンサルタントの多くは我が強く、自分本位で、自分が出来ないことや知らないことは価値がないことだと見る傾向があります。また、自分の能力に自身があると、お客さまの独自性やお客さまの思い入れを軽視することになりがちです。そのため、一定の結果を出し続けることはできるかもしれませんが、ずば抜けた結果にはなりにくいといえます。それは、コンサルタントとはあくまでも組織の外の人間で、実行するかどうかはお客さまにかかっているからです。
一方、お客さまを出発点とするコンサルタントは、自分の能力以上の提案ができますし、何よりもお客さまが提案されたことを実施しようという気になります。
ですから、自分を出発点としたコンサルティングをするコンサルタントはと、お客さまを出発点とするコンサルタントは、比較にならないほど大きな違いが生まれることがあると思っています。
私はクリスチャンなので、基本的に自分の内側には何もないと思っています。知識も知恵も全て神様から貸していただいているのであって、私が思いついたのではなく、全て神様から来ると思っています。
自分のことを空っぽだと思っているので、自分中心・自分出発点のコンサルティングをしようとしても出来ません。だから、毎日、いえ、仕事中で黙っている時間はほとんど、ただひたすら神様に祈り続けます。
「どうか、このお客様に必要なことを示してください。私が出来ないことでも、当社が出来ないことでも何でもいいです。どうかお願いです、あなたが○○株式会社にお持ちのご計画を示してください。」
本当に、ただひたすら祈り続けます。中には、どうしても祈れない、愛することができないお客さまが中にはいます。そのときには、そのプロジェクトにはタッチしないことにしています。
今までに3社、そういう会社がありました。そのうちの2社は大規模な会計不正でもうこの世に存在しません。私は不正の事実は全く知りませんでした。しかし、どうしても彼らのことを祈ることができず、苦しかった記憶があります。が、タッチしなかったため、会計報告書にサインをせずにすみ、15年間一度も不正を行わずに守られました。
こうした経験を通して、祈れるということは、必ず答えがもらえるのだと確信しています。そして、それは全知全能の神様から来る答えですから、私なんかの内側から出てくる答えより素晴らしい答えに決まっています。
自分にできないことを思いついても全然怖くありません。神様が与えた知恵とビジョンなんですから、必要なことは必ず神様が助け手を与えてくださるに決まっています。
それに、神殿を作る目的が石工の技術訓練なはずはありません。同様に、コンサルティングの目的がコンサルタントの訓練なはずもありません。
にも関わらず、プロジェクトの最後に「このプロジェクトで何を得ましたか」という質問をすると95%のコンサルタントが「ファシリテーションやクライアントマネジメントのスキルが伸びたし、○○の経験がつめました」云々、と自分中心の回答をします。そして、そういう答えをしていながら、自分はお客様のことを真剣に考えていると心底信じていると思われる人もいます。
私は、約10年の中間管理職(プロジェクトマネジャー)経験の中で、数えてみると70人のコンサルタントを部下に持ってきました。200回の目標管理面談と約500回のプロジェクト完了時の面談をしてきました。
この500回のプロジェクト完了時の振り返りの中で常に一人一人のコンサルタントの評価をしてきました。その中で最大の留意点が、「このコンサルタントはお客様に感謝をしているか」です。残念ながら、95%のコンサルタントは同僚や上司には感謝しても、お客さまに心から感謝していません。
しかし、今回は、大半のコンサルタントが心からお客様に感謝しています。
この素晴らしい機会を与えてくださった方々に心から感謝をします。お客さまがが、地の塩として、どんな環境にあっても、きらりと光ることが出来るように、心からお祈りしています。
主よ、塩はどれほど薄められても塩のままです。本質を失ったら、地に打ち捨てられ踏み付けら得るかもしません。しかし、塩は塩のままです。どうか、どれほど薄められても地に打ち捨てられても、塩を塩としてお守り下さい。
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Lummyさん、こんばんは。
以前、何度かコメントさせていただいたyukiです。
Lummyさんのブログが新しくなってからも、愛読させていただいてます。
今回のブログでは、大学時代の恩師の言葉を思い出しました。
その恩師が定年退官するときにたくさんの卒業生の前で、
「今まで君たちの先生でいさせてくれてありがとう。」と言ったのです。私は特に近しいわけでもなく、いち生徒にすぎなかったのですが、涙があふれてなんともいえない気持ちになりました。
私は今小学校で働いていますが、教員としてのあり方を振り返ると、恥ずかしくなります。
私はクリスチャンではないのですが、Lummyさんのブログからたくさんの気づきをいただいています。
投稿: yuki | 2005年12月 7日 (水) 22時51分
yukiさん
こんにちは、引き続きお読みいただいてありがとうございます。
私にも、どうしても好きになれない・感謝できない同僚がいます。毎日、どうか○○さんの良いところを示して下さい、尊敬できるようにしてください、と祈ってるんですが、ダメですね~。
なかなか、理想どおりにはいかないもんですよね。
投稿: Lammy | 2005年12月 8日 (木) 20時34分