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2008年6月

先送りにし続けていること

あまり、物事を先送りにすることはないのですが、物心がついて以来ずっと先送りにし続けていることがあります。

さかさまつげの手術です。

部分麻酔が効きにくい体質なのと、顔立ちが自然でなくなることが嫌で先送りし続けてきました。でも、両目の上下ともに、まつげパーマをかけなければ、ほぼ全部のまつげの毛先が目にささってしまいます。これが原因で極度の近視になって、矯正をしても度が出ずに車の免許を更新できないまでになってしまいました。

30歳の時に近視矯正のレーザー手術をして、今は普通に見えていますが、手術のときに「さかさまつげの手術をしないと、間違いなく目が悪くなるからね。どうしても手術が嫌だったら、毎月しっかりとまつげパーマをかけ続けてくださいね。」と念押しされました。

言いつけを守って、毎月しっかりとまつげパーマをしていたのですが、4月になんと、パーマ液にかぶれてしまい、パーマをかけられなくなってしまいました。

今、毎日、ビューラーでまつげを上に上げています。それでも、時間が経つと毛先が目に入ってきて痛いです。

あと数年すると、レーザーの手術で毛根の位置をずらせるようになる可能性があって、顔が変わらずにさかさまつげの治療をすることが出来る可能性があります。でも、もしかしたら実用化はされないかもしれません。

視力低下のリスクを考えると、そろそろ意思決定をしなければいけないのですが、レーザー手術の実用化の可能性を考えると、なかなか踏み切れません。

うーん、意思決定の締め切りを決めておかないと、また視力が落ちてしまいますね。

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知的生産に特化するか装置産業化するか、スタンスを明確にしよう

5月20日に「シグマクシス」というコンサルティングファームができました。

元PwCCの倉重氏が社長に就任するとのことです。

コンサルティングファームには2種類あって、少数精鋭で純粋に知的生産をする集団と、誰かが作った知的フレームワークをなぞることで知的生産を装置として「実施する」ことに重きをおいている集団です。

前者の企業規模は1つの国内ではせいぜい200人以下、後者は最低でも300人以上が必要です。

コンサルタントと一言で言っても、前者でコンサルタントを目指すのか、後者でコンサルタントを目指すのかで、求められる資質も性格もまったく異なります。入社してから、どの程度勉強したり訓練を受けなければいけないのかも、まったく異なります。

どちらが優れているとか劣っているということではなく、ビジネスモデルが違い、志向性が違うのです。

倉重氏は私がこの記事を書いた10年前に、装置産業化することができずに苦しみ続けている多くのコンサルティングファームを尻目に、PwCCでコンサルの装置化を成功させ、企業規模を10倍にした立役者です。

なので、コンサルティングファームとは言いながらも、超エリート集団というよりも、一部の超エリート集団と95%の装置産業という組み合わせの組織になるのかな、と想像しています。発表されている規模を見ても、最終的には2000人を目指すとのことなので、少数精鋭のコンサルティングではなく、装置産業系だと考えられます。

コンサルティングファームを志望する人達は、自分がどちらに行きたいのかをしっかりと考え、適したビジネスモデルの組織に入る必要があります。

また、コンサルティングファームの経営者は、自分の会社がどちらを目指すのかをしっかりと考え、自社のビジネスモデルに適した人材教育・訓練を行わなければいけません。

しかし、今年の1月に書いたとおり「コンサル業界で空恐ろしい事態が発生しています」という状況が発生しています。

本来コンサルティングファームというのは、事業会社では不可能なほど人材育成に時間をお金を投入し、短期集中で人材育成をすることで、高品質のサービスを提供するというビジネスモデルです。当然、そこに集うコンサルタント達も、肉体的・精神的にギリギリなまでに徹底して自分のビジネススキルを高めることで、事業会社では得ることができない高給を得るわけです。

これは、200人以下の少数精鋭で知的生産に携わるというビジネスモデルのコンサルティングファームを意味しています。装置産業系ではありません。装置産業系を目指すのであれば、人材教育に心血を注ぐよりも、資本政策を見直し、急激に企業規模を拡大することのほうが大切です。

徹底したコンサルタント訓練を貫くことも、急激な企業規模拡大を成し遂げることも、どちらも容易ではありません。多くの新興コンサル会社が、どちらの戦略を採用するか選択せず、中途半端なままで、創業から数年後に吸収合併されていきます。

冒頭で紹介したシグマクシスは、企業当初から装置産業系での成功を目指していることが明確であり、この時点ですでに、他の新興コンサル企業と比較すると、目指している姿・ビジョンが分かりやすいと言えるでしょう。また、三菱商事とRHJ(旧リップルウッド)が資本を提供している(資本金10億円・資本準備金10億円)、ということからも、資本政策の重要性を理解した経営布陣であることがうかがえます。

数年後に、アクセンチュア、べリングポイント、IBMコンサルティング、日立コンサルティング、アビームに並ぶ、世界有数の装置系コンサルティングファームに成長するのか、どういう会社を買収・吸収していくのか、資本政策をどのように変えていくのか、今から楽しみに動向をウォッチしていきたいと思っています。

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名前検索で来てくださった方へ

この1週間、私がビジネスで使っている名前を検索して、このブログにたどり着かれる方が大勢いらっしゃいます。

おそらく、友人が書籍のあとがきで「社会貢献の大切さを教えてくれた」として名前を挙げてくれたためかと思います。

このブログでは、社会貢献というキーワードのカテゴリーがないため、私がどういう活動をしているのかが分かりにくいかと思います。

必ずしもストライクゾーンの記事ばかりではないかと思いますが、世間一般で「社会貢献」と呼ばれる活動に近いことは「隅田川河川敷の話」というカテゴリーで記事を書いていることが多いので、こちらをお読みいただければと思います。

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カラダの中心に筋肉がつくと、メンタルも強くなります

「カラダの中心に筋肉がつくと、メンタルも強くなります」

今年のミス・ユニバース「森 理世(もり りよ)」さんが、雑誌JANE(ターザンの姉妹紙として秋から定期刊行予定の雑誌の臨時号)の巻頭記事で語った言葉です。

ストイックに体を鍛え上げ、趣味の域を超えたスポーツやステージアクションの世界を目指したことがある人であれば、心と体の実感を持って納得する一言ではないでしょうか。

  • 自分の体を自分が思うとおりにコントロールできているという実感
  • どこをどうトレーニングすればイメージを形にできるのかを考えつくして、コツコツとトレーニングを続けた結果、出来上がっていくカラダ
  • そのカラダを使って行う競技、表現
  • フィールドやステージの上で頻発する想定外のアクシデントに対応するための即時の判断
  • 怪我や障害を克服するための努力

カラダの中心の筋肉が、私たちに与えてくれるのは、運動しやすいだけのカラダではなく、どんな場面でも対応することができるメンタル力だと思います。

私は、右肩甲骨に障害を抱え、世間一般で言われるトレーニング通りにトレーニングをしても筋肉を付けることができません。そのため、医学書やスポーツトレーニングの専門書を読み漁り、どいうやってカラダを作り上げ、ステージの上で表現をし続けるのかを考え続けてきました。

ダンスのためだけに費やしたこの時間が、まさか、社会人になってからの集中力やプレゼンテーション能力に役立つとは思ってもいませんでした。でも、今の私を作り上げたのは、間違いなく、ダンスで鍛え上げた筋肉です。

もし、カラダの中心に筋肉がつく、という感覚がピンと来ない方がいらっしゃったら、まずは雑誌ターザン(隔週木曜日発売)や、JANEを読んで見てはいかがでしょう?

カラダを動かす習慣というものが、体重コントロールや見た目のためだけではなく、心と体のトレーニングなのだ、ということが少しイメージできるのではないかと思います。

最後に、実はミス・ユニバース世界大会のステージの森さんを見て「うーん、何でこの人がミスなんだろう」と思ってました。(前準ミスの知花さんの外見ほうが好みだし・・・)

でも、JANEの記事を読み、FOXの「ミス・ユニバース 森理世 in NY」を見て、なぜ彼女がミスなのかが、よく分かりました。ミス・ユニバースというのは、外見や顔立ちだけを評価する大会ではないんですね。

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まじめに仕事をするとお客さまが不幸になるそうです(笑)

NHKドラマ「監査法人」が始まったそうですね。

我が家は日本のテレビが映らないので、当然NHKも映りません。なので見ていないのですが、見ている会計士は結構いるようです。

たぶん、日本では初の監査法人にフォーカスを当てた連続ドラマですよね。日本公認会計士協会がウェブサイトで紹介していました。

ただ、その紹介文の中で「厳格な監査を行うことが社会的な正義に繋がると信じる公認会計士の一途な仕事ぶりや、その結果として多くの人々が不幸になっていく過程での心の葛藤」を描くドラマと書いてあって、思わず笑ってしまいました。

会計士が厳格な監査をすると多くの人々が不幸になっていくんですね。。。。

いや、いいんです。

そういう側面があることは分かってますし、私自身が監査・コンサルともに、倫理規定を相当にかたくなに守って仕事をしたがために周りと多くのコンフリクトをおこしているということは十分に理解していますんで。

でも、個人的には、厳格な監査を行うことが人を不幸にするのではなくて「今まで甘い監査をしてきたのに、突然、厳格な監査をすると不幸になる」のではないかと思っているのですが・・・・

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あんたはアメリカ人でも日本人でもなくって、あんたそのものなんだよ

ここのところ、子猫のお世話と、いくつかの仕事(勤務企業と勤務研究所)が重なって、さらにここ数年続いている人間関係のトラブルが本格的に悪化して、疲れきっていました。

特に、私が何を言っているのか、何を考えているのかをまったく知ろうとせず「Lammyはこういう奴に違いない」という思い込みであれこれと決め付けをして批判や評価をしてくる人たちとの会話に忙殺されることが多く、精神的にも疲弊していました。

タイトルの言葉は、この状況を聞いたアメリカ人の友人が私に言ってくれた一言です。

彼は、プレスリーの出身地またはスラムとして知られるメンフィスの劣悪な環境で生まれ育ちました。2ドルのために銃で撃たれて友人を殺され、兄弟は年2回以上カージャッキングに遭うという生活の中で、必死に勉強を続け、教育学を学び、大学に行き、現在は日本で英語教授と子供の保護活動をしています。

Lammy, you and I are not hell-Americans, not dam survivors. But we are individuals. We shouldn’t be taken the gun-fire Americans or returners, we are just individuals. I know Japanese say you are Americanized but no. You are not an American. You are you.

和訳

らみぃ、あんたも俺もアメリカ人でもなきゃ、暴力とかいろんなものを生き延びた生き残りでもないんだ。俺たちは、俺たちっていう個人なんだよ。すぐに銃をぶっぱなすようなあんなアメリカ人と一緒にされたり、出戻りだの、いろいろ言う奴もいるけど、俺たちは単に俺たちそのものなんだよ。日本人が、あんたのことをアメリカナイズされてるって言うのは分かるけど、それは違うぞ。あんたは、アメリカ人じゃなくって、あんたなんだよ。

そういってくれる人が身近にいてよかったな、と思いました。 また、私自身も疲れている友人に、そういってあげられるゆとりを持ちたいな、と思いました。

ただ、日本語も英語も、週末に私の身の回りにいる人の言葉は決して「丁寧」とは言えないので、疲れ気味だとうっかりと平日にこの言葉遣いが出てしまいそうです(笑)

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友達の家って眠くなる

今日、友人が子連れで我が家に遊びに来ました。

友人は、床の上やソファーの上で寝てました。

私も、先日、別の友人の家に遊びに行って、ゴロゴロダラダラしていました。

一緒にいておしゃべりをするのも楽しいのだけど、一緒にいる時に寝ていられるというのも、良い関係だな、と思っています。

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時間がないから正直にならざるをえなかった

「言っていることと本音が違う。人というのは大体がそういうものだ。」先日、職場でそう言い切られました。それに対して「嘘をついたり誤魔化しても時間がかかるだけで、言っている側にも聞いている側にも何のメリットもない」と答えました。この私のコメントに対して「それはそうだけど、そういうものだ」と笑っていました。

もちろん、私もそれは良く分かっています。

ただ、それはあくまでも「時間が極端に限られていない、しかも単一文化背景の人だけが集まっている組織でだけ通用する常識なのだということにも、気がついて欲しいなあ」と思いました。

本音を隠したり、人や自分の失敗を隠したり、そうやって本当に伝えるべきことと、言葉にしていることが違っていると、後から問題は大きくなり、対処に時間がかかります。

表面を取り繕い、誤魔化すという態度、言っていることと考えていることが違うという態度をとっていると、問題が小さいうちに芽を摘むことが困難になります。

会社以外ではこれといった責任を担っていない猛烈サラリーマンであれば、問題が大きくなったら残業をして問題に対処し続ければ良いことでしょう。

しかし、会社員としての役割以外にも多くの役割を担って、それをこなそうとしている人にとっては、そんな時間は与えられていないのです。

言い訳や嘘につきあっていて、保育園のお迎えや、病院の面会時間に間に合わなくなるのはあまりにもばかげています。

もちろん、正直にネガティブな考えやマイナスの意見を伝えることに対してためらう気持ちは、私にだってあります。ですから、言いにくいことを誤魔化して察してもらいたい、という気持ちはとても良く分かります。

しかし、理解はしたうえで、なお、やはり1分で済むことは1分で終わらせて欲しいのです。言い訳やごまかしのために10分かけないで欲しい。この差の9分間で、病院の会計窓口が締まってしまったら、薬は受け取れなくなるし、着替えを届けてあげられなくなります。それは、やはり、とても迷惑なことなのです。

「勉強します。努力します。やります。」

職場でも、NPOでも、こう言い続けてやらない人がたくさんいます。

やらないことは、本人の自由です。好きにすれば良いと思います。

しかし、それならば「勉強しません。努力しません。やりません。」と言って欲しいのです。

例えば職場で「勉強します」と言われたら、勉強することを前提とした仕事を用意します。結果として勉強していなければ、仕事を担当してもらうことができなくなります。できる人が残業して対応しなければいけなくなりますし、本人も仕事がなくてボーッとしていなければいけなくなります。

「やります」と言われたら、やり終わっていることを前提として他の仕事を組み立てます。結果としてやっていなければ、その後の仕事の段取りが全て崩れます。多くの場合、本人以外が緊急で残業をして対応をしなければいけなくなります。やらない、と言っておいてくれれば、事前に段取りを組み直して、仕事を割り振ることが可能になります。

「本音を隠して表現し、なんとなく本意を察して欲しい」という態度は、私にとっては「円満に物事を薦めるための処世術」ではなく「時間を盗む行為」です。

私が仲良くさせていただいている多くの方々が、子育てをしている、介護をしている、ボランティアをしている、歌を歌っているなど、さまざまな活動をこなすために、時間を細分化してしっかりと管理せざるをえない人たちです。

彼らは程度の差こそあれ、プライベートに限らず、職場でも本音で話している割合が圧倒的に多いのです。できるかぎり本音で端的にコミュニケーションを取るというのは、時間に追われている人たちが取らざるを得ないスタイルなのだろうと思います。

また、多様性が豊富な環境に長年身を置いてきた人も、やはり本音をはっきりと口にだす割合が多くなります。これは、文化背景の違いによって生じる誤解を最小限にするためには「明確に意思表示をすること」が大切だからです。

「言っていることと本音が違う。人というのは大体がそういうものだ。」

この意見も良く分かります。しかし、それはやはり、多様性(ダイバーシティ)というものを前提としていないからだと思います。

多様性を前提とした途端に、言っていることと本音が違っていたら相手には伝わらない可能性がある、ということを危惧するようになるからです。

多くの日本企業では、そもそも多様性を前提としたコミュニケーションスタイルを取りません。また、1分1秒に追われる生活を社員が送っているという前提では仕事を組み立ててはいません。ですから、伝統的な「察する」「慮る」という文化を「当たり前のこと」と考えているのだとは思います。

しかし、多様性を前提とした環境に長年身を置いてきて、なおかつ会社以外での役割を多数抱えている私にとっては「察する」「慮る」という文化のメリットは、なかなか理解しがたいものがあります。

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