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2008年4月

占いは信じるけど大きな力は信じないという非論理性がつけこまれる

1週間前、ある場所で、某宗教団体が高齢者や若いOL風の女性にだけ手相を見ようと話しかけていました。明らかに、判断能力が低そうな人を狙っての勧誘であったため、危険性が高いと判断し、彼らの活動をその場で妨害しました。

この団体の名称を言って「分かってるんだから止めなさい」などと声をかけると、誰でも後をつけられます。ですから、相当な覚悟があるか、また、特定の信仰があって、そのために殉じるという覚悟でもないかぎり、こういう団体とは関わらない方が良いと思います。

こういう活動を見かけたら、最寄りの交番に行って、ある程度年を取っている警察官に説明をすると、すぐに動いてくれます。(警察でオフィシャルに問題として扱うわけではないらしく、経験が乏しい警察官は事情を説明しても理解できないことが多々あります。)

案の定、その後、中年の男女二人にずっと後をつけられました。私の行き先や自宅を探ろうとしていました。

そのため、一旦交番によって事情を説明し、その後、交番前からタクシーにのって一方通行の1車線道路を使って3キロ程度離れた場所まで行き、時間をつぶしてから、別の一方通行の1車線道路をとおって帰宅しました。車で尾行することは難しいルートを通ったので、その日は完全に巻くことができました。(こういう時、土地勘がなければ、交番の警察官が道を教えてくれますから、交番を頼ると良いでしょう。)

通常であれば、その日、巻いてしまえばそれ以上後をつけられるということはありません。しかし、どうやら今回は何か特別に事情が違ったようです。

写真を撮られていたようで、翌日、別の人につけられました。待ち伏せされたというよりも、彼らの一斉伝道活動の場に遭遇してしまっただけのようなので、何が何でも私を捜そうとしているわけではないようでした。

赤信号を無視して車道を横断するなどの方法で巻こうとしたのですが、相手も一定の距離を保ちながら小走りに追ってきました。そのため、ブロックを曲がったところで逆進して、相手の目の前に飛び出たところ、相当に驚いたようで、その後、全速力で逃げていきました。

現時点では、何がそこまで彼らの危機感をあおったのか原因が不明です。そのため、彼らがどこまで何をするのかが分かりませんでした、そのため、いくつかの団体(マインドコントロール関係の弁護士団体や、キリスト教系のカルト脱会団体)と連絡をとり、予防線を張って1週間を過ごしました。

一昨日から、彼らの伝道活動の真横を通っても、つけられなくなったので、おそらく私をつけ回さなければいけない事情がなくなったのか、私以外のターゲットを見つけたのかでしょう。

みなさんに理解していただきたいのは、私が危ない目に遭ったとか、この危険が去ったということではありません。日本は決して治安が良い国でもなければ、守られている国でもないということです。

日常のあちらこちらに占いが溢れ、占いを否定する・良くないものだと考える風潮がありません。多くのカルト団体はこの風潮を利用し、人をだまそうとします。

そもそも、自分の運命・人生を定める何らかの大いなる存在を認めていないのに、占いという自分の将来を見るという行為を受入れることの論理矛盾を理解できない、ということに多大な問題があります。

自分の将来が占える、と考えると言うことは、自分の将来に何らかの道筋があると認めていると言うことです。

彼らは、そこを付いてきます。

ほら、私たちの占いはあたったでしょ。私たちは将来をみる力を与えられているの。その力を与えてくれたのはね、、、、、

というわけです。

偶然論で生きるのなら、占いに興味は持たない。

占いに興味を持って参考にして行きたいのなら、場当たり的に頼るのではなくて、もっと本格的にその背景を勉強をする。(高島暦だろうと、仏教、キリスト教、イスラム教なんでもOKです。もしくは学問としての宗教論そのものでも良いでしょう。)

どちらかを徹底してさえいれば、少なくとも、道端やサークルの勧誘活動でこうした団体にふらふらと誘われて付いていくことはなくなります。

論理矛盾を起こした行動につけ込もうと、虎視眈々と狙っている人、団体は多数あります。それは、この日本でも、日本以外でも何ら変わりはありません。そして、これらの悪意と戦うためには、特定のしっかりとした論理矛盾を起こさない価値観を自分の中に根付かせることだと思います。

私のように、自分の力や論理力を頼りながらも、最終的には自分の力よりも神様を頼るという人生も1つです。しかし、多くの日本人は、自分の力を頼って生きています。それはそれで、自由だと思います。

しかし、それならば、もっとしっかりと、論理矛盾を起こさない生き方をしないと、日常生活の中で、さまざまな危険な状況に、無知なままで巻き込まれてしまうのではないでしょうか。

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目標管理面談といえば

先日、目標管理面談の時に

「○○という職位までは、努力すればタイムマネジメントとタスクマネジメントができればよい。だけど次の職位からは、意識しなくともタスクを直感的にブレークダウンできて、どのタイミングでチェックをしてもらえば良いかが分かるようにならないと、タスク管理に多大なコストを費やさないといけなくなって、仕事自体をこなすことができなくなるよ。」

ということを伝えようとしていました。

ところが、私から出てきたのは「タスク管理がautonomyにintuitionが働くように時間管理とタスク管理ができないと」という、何語だよそれ、という文章でした。

いや~、私の日本語こそ、autonomyにintuitionが働かないと、伝わりませんね(笑)

(あ、ちなみに目標管理面談の相手もautonomyは分かるけど、autonomyの日本語は分かりませんでした。お互い様か、という気がしてちょっと安心。)

autonomy http://dictionary.reference.com/browse/autonomy

(自律的で自立的、という意味ではないかと思います)

intuition http://dictionary.reference.com/browse/intuition

(native intuitionと言わない限り努力して身につける洞察力という日本語が近いのではないかと思います)

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【ダイジェストリンク】目標管理面談の時期なので

現在の勤務先は、4月から新年度が始まります。

そのため、現在は昨年度の目標の振り返りの真っ最中です。

昇格がかかっている人、昇級・昇格はないけれど大きな課題を達成した人、降格・降級した方が精神的に落ち着いて仕事に取り組めそうな人など、いろいろな人と1-2時間以上、じっくりと話し合います。

私が不満に思っていること、がっかりしたこと、嬉しく感じていること、評価していることなど、いろいろと伝えて、最後に、意見の相違がないかを確認します。

現勤務先だけではなく以前の勤務先もあわせて、過去に2人、私の評価が不当に低いということを不満に感じて、異動や退職をしています。

両名ともに、1年間ずっと、評価が低いことは伝えてきたはずなので、なぜ評価の前に異動したり退職したりしなかったのかと確認しました。すると、両名ともに「前職では低い評価の人には平均点を、高い評価の人には最高点をつけていた」と答えました。また、今までの人生の中で、自分は常にできる人として周囲から見られてきたので、できないと言われることそのものを事実だとは思えなかった、と言った人もいました。

私が年度をとおして「評価は絶対評価で指標通りにドライに行う」と言い続けていたのは、ただの脅しだと考えていたそうです。コンサルティングファームのように、中途採用の集まりだと、価値観がいろいろあって、難しいなあと思います。ましてや、ある程度ハイパフォーマーという自信がある人たちばかりが集まって、そのなかで評価をするわけで、人生で初めてローパフォーマーになってしまった人もいるので、厳しい評価を伝えるのは、結構大変です。

とはいえ、評価が低くて不満が出る分には、会社としてはあまりパフォーマンスに影響が出ないので問題にはならないと感じています。問題になるのは、評価が高い人を昇格させるかどうかの判断です。

多くの組織では、あるグレードでの評価が一定に達すると、無条件で昇格していきます。

しかし、昇格によって著しく職責が変化する場合、高評価を得たグレードの上のグレードでもハイパフォーマーでいられる保証など、どこにもありません。

特にスタッフからリーダー(やリーダー候補)への昇格では、この問題が大きくなりかねません。

くわしくは、2007年5月31日「管理職に推薦すべきか・・・」をご覧下さい。

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苦しまないで済むなら苦しみたくはない

「神の御心によるならば、善を行って苦しむ方が、悪を行って苦しむよりは良い」(ペテロの手紙 第一 3章17節)

ペテロが言います。

そりゃーまーね。

でも、苦しまないで済むなら、苦しみたくないです。

ただ、正しくないことをして、あとから苦しみ、自分を責めるようになり、かたくななになっていくのなら、善を行って苦しむ方が、何だかんだ言って、後から楽なんだとは思いますが。。。

でもね~~

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コメントを下さる方へのお願い

このブログでは、私の過去の病気や障害、信仰について、隠すことなくオープンに記載しています。

そのため、線維筋痛症や分娩麻痺というキーワードでこのブログにたどり着き、定期的に訪問して下さっている方が、全読者の約3割程度です。「クリスチャン」+「管理職」、「コンサルティング」というキーワードで来て下さる方も約3割ずつのようです。(ココログの訪問者分析ツールの解析結果なので、もしかしたら間違えているかもしれませんが、、、)

つまり、このブログは大別して「病気のことを知りたい」「クリスチャンとしてビジネスとどう折り合いを付けていくのか悩んでいる」「コンサルタントとしてのスキルを伸ばしたい」という3つの読者層があるわけです。

病気がある方が病気の方に配慮することは簡単です。クリスチャンがクリスチャンに配慮したコメントをするのも簡単です。しかし、自分とは全く異なる問題や悩みを抱えている方にも配慮をしたコメントをすることは、とても難しいと思います。

また、私は宗教や医学の専門家ではありませんので、キリスト教・分娩麻痺・線維筋痛症に対する専門的なコメントを依頼されても、お答えできないことが多々あります。

ですので、このブログでは下記のことをガイドラインとして、コメントをいただけないでしょうか?

(1)マクロの意見を求めない

このブログは、あくまでも私の私的な意見の発表の場です。勤務先の意見を代表するものでも、クリスチャンの意見を代表するものでもありません。

ですので「線維筋痛症の患者って一般的にはどういう人なんですか」とか「クリスチャンってこういう時にどういう風に考えるんですか」といったコメントではなく「Lammyはどういう風に考えるのか」「Lammyはなぜ線維筋痛症になったのか」と、聞いて下さい。

私がお答えできる範囲で、喜んで、お答えさせていただきます。

(2)専門家としての意見を求めない

私の専門は組織心理学(特に不正・犯罪心理学が得意です)とリスクマネジメントです。この分野に限って言えば、専門家としての意見(意志決定の判断根拠とするための意見)を求められれば、責任をもってお答えします。ですので、記事の中でもコミュニケーションや心理学に関連する記事でしたら、専門家としてお答えさせていただきたいと思います。

しかし、線維筋痛症・分娩麻痺・聖書学・ヨガ・ピラティスは、あくまでも素人の当事者という立場です。ですので、意志決定の判断根拠としての意見お求められても、お答えできないことが多々あります。

コメントはいつでも大歓迎です。ただし、上記の私の立場をふまえて、コメントをいただければと思います。

最後に、コメントを書き込んで下さる際、電子メールアドレスの入力を必須としております。入力していただいたメールアドレスは、ブログのコメント欄には表示されません。Lammy本人にしか見ることができませんし、検索エンジンの検索ロボットにひっかかることもありません。

入力していただいたメールアドレスは、何らかの理由でコメントを削除しなければいけない際にご連絡をさしあげたり、書き込みへの返信をするのがコメント欄では不適切と思われる際に直接メールをさせていただく時だけお使いさせていただきます。

コメントスパムと呼ばれる広告コメントや、愉快犯的な書き込みを避けるための設定ですので、主旨をご理解の上、ご入力いただければと思います。

ただし、どうしても電子メールアドレスをLammyに知られたくない、と思われる場合は、aa@aa.aa などの実在しないメールアドレスを入力していただければ結構です。

コメントしていただけるのは、とても嬉しいので、是非、いろいろなコメントをいただければと思います。

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祈るしかない。祈れてよかった。

4ヶ月間毎週、治療をしていたホームレスが行方不明になりました。まだ、そんなに自由には歩けないはずなのに、どこに行ったのでしょうか。

また、昨日は、大型バイクがホームレスを轢き逃げして、まだ捕まりません。ひかれた人はまだ治療中です。

私が出来ることはなにもありません。

ただひたすら、彼らのために、祈るだけです。

だけど、祈れて、よかった。

もし、祈ることを知らなかったら、無力感であまりにも辛すぎます。

祈るしかない。だけど、祈れてよかった。

心から、そう思います。

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統制評価の研修参加者の2割以上がSWOT分析を知らない

統制評価の研修を受講中です。

講師が「SWOT分析という言葉を初めて聞いた方は、挙手してください」とお願いしたところ、2割以上が挙手しました。

実際には、知らないけれど手を挙げなかった人もいると思います。

自費で来るような研修ではありませんから、参加者の大半は業務命令で来ているはずです。研修内容(統制環境を評価する手法)を考えれば、大半は上場企業かコンサルティングファームの社員です。

つまり、日本を代表する会社が業務命令で企業の内部統制評価を学ばせている人の2割以上が、最低限度の経営学も、まともなビジネス書も学んでいないということです。

これが、日本のホワイトカラーの実態なのでしょうか。

かなり、驚きました。

反面、ビジネス書のマーケットというのは、実はまだまだ広がるんだな、ということを強く感じる一瞬でした。

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何をしないかを選択する

ちょっと自慢です(笑)

本日、通っているスポーツジムで「ヨガのインストラクターのオーディションを受けてもらえませんか(=スタジオでレッスンを持ちませんか)」とのお誘いをいただきました。

今までも、友人が怪我をした時に代行をしたことはあるのですが、正式にレギュラーレッスンを持ったことはありません。

ヨガスタジオと違って、スポーツジムの場合は宗教色を一切排除しなければいけないので、私のようなクリスチャンでも、問題のないインストラクションをすることが可能です。

なので、実は、かなり心が動きました。

とはいえ、今抱えている以上の役割を増やすのは、ちょっと難しいので、心惹かれながらもお断りをしました。

これが20代の頃だったら、きっと受けてたんだろうなあ、という気がします。

年齢を重ねるごとに「何をするか」ではなく「何をしないか」を選択することで自分を作り上げていくようになるような気がします。

とはいえ、残念・・・(←しつこい)

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ガンバッテミヨウシュウマツマデ

定期的に拝見しているブログに、

ガンバッテミヨウ

シュウマツマデ

と書かれていました。

私の頭の中では、「頑張ってみよう、終末まで」と変換されました。

そして「うん、そうだ!がんばろう」と思いました。

でも、後からよく考えてみると著者はノンクリスチャンなので「頑張ってみよう週末まで」が正解ですよね。

私にとっては、週末よりも終末の方が心から楽しみなんですけどね(笑)。

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【ダイジェストリンク】できない役割をできないと言う選択をする

先日、人生の中での優先順位が私とは全く異なる方とお食事をする機会がありました。

私にとって、組織の中で働くと言うことは、「重要ではあるけれど、あくまでも、他の役割を侵害しない範囲でしかしないこと」です。ですから、「プライベートでもいろいろあるとは思うんだけど、何とかもう少し会社のために」などと言われると「私は、会社に対してそこまで尽くす気はないですから」とハッキリと答えます。

ですから、会社や仕事が全てに勝る、最優先事項である方からしてみると、私の「会社のために心身をすり減らして自分や家族の心の平安が脅かされるほどに会社に仕える気はありません」という、あっさりとした割り切りは、とても寂しいものに感じられるそうです。

その寂しいという気持ちを否定するつもりは全くありませんし、そういう一抹の寂しさを与えているのだろうな、とうことは十分に理解しています。

寂しさは理解して、そのうえで、曖昧に答えて、相手に誤解を与えるよりも、自分の立ち位置を明確にしておく方が、結果的には自分も相手も決断を付けやすいだろう、という判断から、私にはそうする気がない、ということを明確に回答するようにしてます。

このブログでも繰り返し書いてきたように「受けるよりも与える方が幸せだと思える人たちが集まる組織を作りたい」と思っています。しかし、ここでいう組織とは、会社組織のことだけではありません。家庭も、地域も、学校も、そういう組織になれれば良いと願っています。

そして、どういう種類の組織であったとしても、「与える」ことを幸せだと感じられるようになるために一番大切なことは、自分が担わなければ行けない役割がいくつあって、役割間の優先順位をどのように付けるのかを、自分自身が納得していることだと考えています。そしてその上で、例え自分とは優先順位が違っていても、相手が決めた優先順位を受入れ、ケアすることも大切だと考えています。

詳しくは、2007年5月11日の「できない役割をできないと言う選択をする」をお読み下さい。

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流されない

某国政府のメディア統制に対抗するための情報発信を行うサイトを眺めていたら、ブログの管理者の横顔写真が掲載されていました。

私の学生時代のサークルの後輩の顔立ちによく似ているので、管理者のハンドルネームを確認したら、当時、彼が買っていたネコの名前でした。

わー、彼は今、すごいことしてるんだなあ。

昔から、周囲に流されない奴だったけど。今もこうなんだ。

とっても嬉しい発見でした。

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Happy Birthday, カトカン!

本日は、ホテルオークラで加藤寛先生のバースデイパーティでした。

先生は相変わらずお元気で、ちょっとだけ毒舌で、周りがハラハラするくらい明るくてオープンでした。

久しぶりに、SFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)創設期のなつかしいメンバーと会えて、とっても楽しいひとときでした。

加藤先生は、私が、今の私であるきっかけを作ってくれた先生です。(詳しくは、2005年5月の「200万円プレイヤーから700万円プレイヤーへ」をご参照下さい。)

怪我をして働くことも試験を受けることもできず、夢を見ている余裕などないと思いこんでいた時に、加藤先生が生き生きと「未来への留学生を作るキャンパス造り」という夢を語りました。

そして、私は彼が語る夢を、自分の夢のように感じました。自分の想いを、人に伝播させることができる人がこの世にいる。そのことに気がついたときに、人は小さい存在だけど、自分を変えることで、世界にインパクトを与えることができるんだ、ということを、知識としてではなく、実感として感じることができました。

そう信じることができたので、大学を止めたくない、という思いを伝えて、先生方に助けてもらうことができました。

英語ができるならと、外資系の監査法人での仕事を紹介してもらいました。そして、そのことがきっかけとなって、今でもリスクマネジメントの仕事に従事してます。

先生、82歳のお誕生日、おめでとうございます。

本日のパーティのスタッフのみなさん、良い会合をありがとうございました。

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体が不自由な人に電車で席を譲れないほど疲れ果てるまで会社に尽くす意味って何なんだろう?

今朝の通勤電車は、スムーズに座る席を見つけることができました。そのため、車輌の端のシートに座って、本を読んだり手帳をチェックしたりしていまいた。10分程度して顔を上げると、車内はかなり混雑をしていて、つり革や手すりに掴まることもできない人たちがいました。

随分と混んできたなあ、と車内を眺めていると、車輌の真ん中に、ロフストランド・クラッチ(エルボー・クラッチ)をついた男性が立っているのが見えました。

次の駅につくと、男性は座席を探すそぶりを始めました。どうやら、座りたいようです。しかし、男性の周辺で席は空かず、誰も席を譲らなかったため、男性は引き続き立っていました。

そして、次の駅で降りようとする人に押されるようにして、男性が私が座っているシートの方に少し歩いてきました。そこで、みっともないなあ、とは思いましたが、大声で「座りますか?」と声をかけました。すると男性が、「ありがとうございます。座らせてください。」と返事をして、こちらに歩いてきました。

私が男性に声をかけた途端、私と男性の間で座っていた乗客全員が、下を向きました。

山手線の13人掛けの左右のシートの全員が一斉に下を向いたのですから、あまりにもおかしくて、思わず笑ってしまいました。

あの人達は、仕事で疲れていたのかもしれません。前日、睡眠不足で眠りたかったのかもしれません。具合が悪かったのかもしれません。

自分が席を譲らなくても、誰かが譲るだろうと思ったのかもしれません。

私だって「あの人は助けを必要としてる。でも、私の助けではなくて、別の誰かの助けでいいじゃないか」と思うことが良くあります。ですから、下を向いた人たちの気持ちはよく分かります。

ただ、体の疲れは眠れば軽くなるけれど、自分に対する情けなさや自分を蔑む思いは眠っても取れないんですよね。

周囲の目を誤魔化しきれたとしても、自分の心の中に浮かんできた、自分に対する不信感は、なかなか消えません。

だから、できるだけ、自分を信じられなくなるような行動は取りたくないなあ、と切に祈っています。

私も、良い仕事をしたいと思っています。高いパフォーマンスを上げたいとも思ってます。しかし、そのためだけに邁進すると、周囲に目を向けることができなくなります。電車の中の見知らぬ他人どころではなく、家族が必要としてるサポートにすら気がつけなくなることがあります。

そして、家族がヒステリックになったり、お猫様のアレルギーが悪化したりします。

そんなとき、私の助けを必要としている人に、最低限度のサポートもできないほど、全エネルギーを費やすほどの価値がある仕事や遊びというのが、どれほどあるのだろうか、とハッとさせられることが多々あります。

体が不自由な人に電車で席を譲れないほど疲れ果てるまで会社に尽くす意味があるのだろうか。

ましてや、家族に目を向けることができなくなるほど働く必要があるのだろうか。

すぐにこういう思いを忘れて全力で1つのことに集中してしまうので、自戒のためにも記事にしました。

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