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杖を渡してきました

杖をくださった方には、どういう方にお渡しさせていただいたか、ご連絡をさせていただいています。しかし、匿名で杖を下さった方がいらっしゃいます。その方が、ここを読んでくださることを、心から祈っています。

お送りいただいた杖を、右足が不自由な方にお渡ししました。杖をついて歩きながら「杖があると安心する」とおっしゃっていました。

この方が、足が不自由になったのは、今から30年近く昔に、ひき逃げにあったためです。右足大腿骨の複雑骨折による金属パネルによる骨の固定と、右足指の切断をしました。犯人は捕まらなかったそうです。

体を使うお仕事をしていらっしゃったそうで、失業し、その後はなかなか仕事に就くことができず、ホームレスになったそうです。

今はひき逃げ犯がつかまらない場合、政府保証制度により被害者は救済されます。当時この制度がなかったのか、本人が知らなかったのかは不明ですが、この制度は時効が2年なので、30年前の事故に適用することはできません。

このサイトを読んでくださっている多くの方が、どちらかというと、コンピュータやインターネットを使いこなしている方だと思います。ですから、右足が不自由だから働けない、ということが、ぴんとこないかもしれません。実際問題として、私自身が、右肩と右腕に可動障害がありますが、仕事には何の支障もありません。

しかし、土木作業や溶接の技術者として働いてきた人が、足が不自由になったらどうなるでしょうか?足場が悪い現場に行くことができないですから、当然、職種転換をしなければいけません。

ここで難しいのは、自分の責任がない被害で体に障害を負ってしまった、ということに対して、「自分が悪くないのに、何でそんな苦労をして新しい、どうなるか分からないことに取り組まなきゃいけないんだ」という被害者意識に囚われないでいられるかどうか、という点です。

はっきり言いますが、ここまで普通に仕事をしている私でさえ、生まれつきの障害という自分に一切責任がない障害に対する被害者意識を払拭するまでには、相当な労力と時間がかかっています。

ましてや、仕事がうまくいっていない、家族も離れていった、という人が、被害者意識を克服するのは相当に困難です。

被害者意識に囚われていても、何もメリットはありません。それでも、感情をコントロールするのは、とても難しいものです。怪我の痛みとリハビリのつらさに耐えながら、感情面でも、被害者意識と戦わなければいけません。しかし、ケアワーカーは心の痛みと向き合うだけの余裕はなく、短時間の面談で「リハビリして、技術研修を受けて働いてください」と一方的に伝えてきます。

そのときに「そのとおりだ、リハビリして働こう!」と思うか「ふざけんな、どうして自分がそんなことしなきゃいけないんだ」と酒やギャンブルに逃避するかは、その場になってみないと、誰にも分からないような気がします。

「そのとおりだ、リハビリして働こう!」と思っても現実問題として、高度技術を持たない場合、障害者が得られる仕事は限られます。仕事が見つからないことも多々あります。一度は見つかったとしても、頻繁にしびれや痛みが襲って、仕事を止めざるを得なくなりがちです。

そのときに「またがんばろう」と思うのか、少しずつアルコールに囚われていくのかは、本当に、その場になってみないと、分からないと思います。

これは、誰の身の上にも起こりえる出来事ではないかと感じています。

私達が杖を届けている人たちは、決して、単に怠惰だから路上で生活しているわけではありません。送っていただいた杖を、文字通りの「支え」として、これから生活を立て直したい、という思いを心にヒッソリと抱えている人たちです。

お手元に、余った杖がありましたら、ぜひ送っていただければ、と心からお願いいたします。

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