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赦せないと苦しい

先日、ベンチに座っていたら、隣に大きなキャリーを引いた初老の男性が座りました。

男性は72歳、この10年間、ホームレスとして後楽園周辺で暮らしているそうです。

年齢も年齢なので、福祉を受けないのかと聞いたところ、「福祉だけは絶対にいやだ」と強い調子で怒り始めました。

若い頃に、一時期どうしても生活が苦しく、生活保護を受けられないかと相談に行ったときに「働く気がないからたかろうとしている」「人生をなめてる」などといろいろ罵倒されたそうです。

生活保護を受けられないかと相談してから、おそらく数十年の時が経っていると思います。

それでも、男性の心の中から、福祉事務所や区役所の福祉課に対する怒りは全く消えていませんでした。いえ、むしろ、怒りを口に出し続けることで、怒りが増幅し、怒りにとらわれているように見えました。

自分が人を許していなければ、他人が自分を許しているとは考えにくいでしょう。

ですから、人を許さない限り、自分が許されているということを信じることは、相当に困難です。

自分のさまざまな過ち

人を傷つけたこと

本来であれば備えていなければいけないのに不足している能力や資質

こうしたこと全てが「いつかは赦される」という実感がなければ、生きていくことは、苦しいことの積み重ねだと思います。

苦しいことを覚えているくらいなら、記憶をあいまいにして、できるかぎり忘れてしまうほうが良いと思います。

でも、できることなら、私は、自分の犯した失敗は全て覚えておきたいです。覚えて、二度と同じことを繰り返さないように、工夫をし続けたいと思います。

ただ、赦されるという実感がないまま、自分の失敗を覚え続けておけるほど、人間は強くないと思います。

イエスキリストが弟子達に教えた祈りには「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」という一節があります。

赦されるためには、まず赦さなければいけない。(赦す相手は、他人だけではりません。自分の弱さや自分の情けなさなど、他人に対する怒りよりも、自分に対する怒りの方が大きい人もいると思います。)

でも、赦すよりも、水に流して忘れようとしたり、怒りにとらわれてしまうほうが、とても簡単。

きちんと記憶して、同じことを繰り返さないようにと真剣に考え、そのうえで赦す。そして自分自身も赦されているとう実感を持つ。

そういう風に生きていけたら、悩みがあっても、失敗があっても、それでも心は軽くいられると思います。

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