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2008年3月

プロフェッショナルとして働くために、ただひたすらサービスを受ける側に回る

受けるよりも与える方が幸せだと思える人たちが集まる組織を作りたい

心からそう思います。

一方で、与え続けていたら、心が枯れて疲れ果ててしまうとも思います。

人に何かを与えるためには、自分が十分に満たされている必要があります。

自分が満たされていない状態で人に何かを与えようとすれば、それは押しつけになるし、自分ばっかり頑張っているのにと被害妄想志向に陥りがちです。

特に、組織で上に上がればあがるほど、組織内では誰からもケアされなくなり、与える一方になっていきます。また、コンサルティングや医療・介護といったコミュニケーションを主体とした感情労働の側面が強いビジネスに従事していると、公私ともに常に周囲に気を遣い続けてしまい、気を抜いたり、誰かにサポートしてもらったりすることが苦手になっていく人も多いようです。

ですから、プロフェッショナルとしてクライアントや同僚に十分なサービスを与えたいと願う人こそ、意識的に、ただただひたすらサービスを受ける側に回ることが大切だと思います。

これは、会社生活だけではなく、教会生活やボランティア生活でも一緒です。

私たちの心は、尽きぬ泉のようにエネルギーがわき出るというものではないと思います。私たちには限界があって、自分の力だけで頑張り続けるのは、とてもとても難しいです。

ですから、時には一方的にサービスを受け、満たされる時間を作って欲しいと思います。

私にとって、毎日曜日の礼拝は、まさにSunday Serviceとして、心を満たしてくれる1時間です。この時間があるからこそ、働いていけるのだと思います。

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【ダイジェストリンク】多様性を受け入れる組織と受け入れない組織の見極め方

組織の多様性(ダイバーシティ)の幅が広ければ広いほど、組織は環境の変化に対する耐性を備えます。ですから、社会環境の変化が激しい昨今では、画一的な価値観の社員を揃えるよりも、多様な価値観・労働スタイルを有する構成員からなる組織の方が、生き残る可能性が高いかもしれません。

一方、今後も組織の画一性を維持することができて、社会環境の変化に対してトップが正しい号令を出し続け、部下はトップが右向けと言えば即時に右を向くことができる組織を作り上げられるのであれば、その組織もまた社会環境の変化には強いと言えます。

社風に合わない管理職は平均2年程度で淘汰されます。多様性を受け入れる気がない組織で多様性を訴える管理職は2年もすればいなくなりますし、多様性を前提とした組織で多様性を無視した管理をする管理職も2年程度でいなくなります。

ですから、社風をじっくりと見極め、もしも、まだ社風が出来上がっていないようでしたら幹部社員や人事制度設計部門のメンバーの特性をじっくりと見極め、今 居心地が良いか悪いかではなく、将来この組織がどうなっていくかを考えて、自分の価値観にあった勤務先を選んで欲しいと思います。

詳しくは、2007年1月22日の「多様性を受入れる組織と受入れない組織の見極め方」と2007年1月21日の「外資系企業で女性活用が進んでいる理由」をお読み下さい。

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今日は職業人生の節目の日

私は、現在の勤務先がコンサルティングビジネスに本格的に乗り出す、という時に「コンサルティングプロジェクトの品質確保を行うための手順やツール整備」のために声をかけてもらいました。つまり、コンサルティングビジネスを提供する主体(コンサルタント)として入社したわけではないのです。

当時のコンサルティング部門の責任者は、まず仕事を取って来て売上げを確保してから品質を確保するのではなく、コンサルティングプロジェクトのフレームワークをある程度作り上げてから一気に拡大するほうが長期的には望ましい、という判断をしていました。

私も、今までのコンサルティングファームや研究機関の立ち上げ経験から、仕事を増やしながら制度設計を行って品質コントロールをするよりも、まずはプロジェクトマネジメントの方法論を確定する方が、人も採用しやすいし(教育計画を提示できるので)、風評リスクを防ぐこともできる(失敗プロジェクトが減るため)ので、望ましいと考えています。

そのため、プロジェクトライフサイクルを明確にして、各サイクルで作成すべき書類や検討すべきリスクを文書化するという作業を行っていました。

ところが、ある日、事情が変わります。

ある大きなプロジェクトに提案書を出すチャンスが巡ってきたのです。当時の勤務先の規模を考えると、そういうチャンスが巡ってきたこと自体が驚くべきことでした。

私は、当時の社長に、繰り返し、プロジェクトが受注できた場合は私がプロジェクト責任者となるため、全社の品質管理が遅れること、その場合に当社が直面することになる状況を説明しました。そして、「そうなった時は全責任を取る」という当時の社長の発言を受けて、私は現場に出ることになったのです。

ですから、このプロジェクトが始まってから半年程度は、私が現場に出て全社としてのプロジェクトの品質管理体制の構築に全く関与することができない、という状況に対して「本当にこれで良いのだろうか」と、自問しつづける日々でした。

特に失敗しそうなプロジェクトが出てくるたびに、やはりこの選択は間違いだったのではないか、と胃が痛くなる日々でした。

創業期のフレームワークを確立すべきタイミングに品質管理体制を構築しなかったことが、「組織全体にとって」良いことだったのか、悪いことだったのか、それは私にはまだ分かりません。

しかし、「私と、私が預ることになったコンサルティング部隊のメンバーにとって」は、これは間違いなく良いことでした。

プロジェクトそのものでも良い経験をさせていただいました。

良い出会いも与えていただきました。

そして、4年前に右も左も分からずにとまどっていたコンサルタント達が、今やチームリーダーやプロジェクトマネジャーとして、巣立っていこうとしています。

本日をもって、私はこのプロジェクトから離れます。

来月からは、4年前に「新人コンサルタント」として本プロジェクトに入ったコンサルタントが、プロジェクトマネジャーに就任します。

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4年間、本当にありがとうございました。

月並みな表現ですが、長かったような気がする一方で、あっという間の出来事でした。

4年前のコンサルタント達を思い起こしながら、今の彼らを見てみると、とてもとても密度の濃い4年間だったのだなあ、としみじみとしながら、桜の下を歩いて帰ってきました。

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ハート型のピザ

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御茶ノ水のイタリアンレストランで、ピザをハート型にして出してくれました。

ほんの少し、形を変えるだけで、印象がガラリと変わりますよね。

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【ダイジェストリンク】クリスチャンがベンチャーで働くということ

私は、今までに4社コンサルティングファーム・研究所の立ち上げを経験しています。
どの会社も似たような成功・失敗を繰り返すので、こうしたプロフェッショナルサービスファームの経営においては、一定の法則があると考えています。

失敗の原因の大半が、事業分野のエキスパートをリクルートすることにばかり注力し、よく訓練されたマネジャーが不足していることに起因しています。

ベンチャー企業そのものがエキスパートの雇用にかまけてしまうというのも一因ですが、よく訓練されたマネジャーがベンチャーに興味を持ちにくい、ということも一因だと思います。

それは、日本の大手企業でこうした訓練を受け始めるのは役員としての仮り選抜を受けた40代(または30代後半)から、しかもこうした人たちはその組織での将来が約束されていますから、なかなか小さなベンチャーに転職してくれるものではないからです。

日本の社会は、地域コミュニティもボランティアも不活発で、サラリーマンが会社組織以外でリーダーシップを訓練される機会が異常なまでに欠落しています。

欧米や韓国では、地域コミュニティやボランティアが活発で、会社組織以外でリーダーシップやマネジャートレーニングを受ける機会がふんだんにあります。

私が受けてきた教育も、こうした欧米・韓国ではきわめて一般的なキリスト教式のリーダートレーニングです。

一体どういう訓練をするの、と興味を持たれた方は、2006年1月29日の「クリスチャンがベンチャーで働くということ」をご覧ください。

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鍼灸接骨院(整骨院)が一番忙しいのは何月だと思いますか?

鍼灸接骨院(整骨院)に行かれたことがありますか?

私は、線維筋痛症の治療で鍼灸を中心に行ったことがきっかけで、完治してからも鍼灸と徒手療法(一種のマッサージ)の施術を定期的に受けています。

先週から温かくなってきたため、筋肉もゆるんできていて、関節の動きも滑らかになってきました。体はとても素直で、気温に対してダイレクトに反応します。寒ければ固くなるし、暖かければ緩んできます。

体が固くなれば、関節や筋肉の疾患は悪化するので、当然のこととして、関節炎等は冬期の方が悪化しやすいです。

さて、そうするとタイトルでお伺いした質問の答えは自明のように思われるのではないでしょうか。

Q:鍼灸接骨院(整骨院)が一番忙しいのは何月だと思いますか?

A:1月~2月

そう思いますよね?

ところが、実は一年でもっとも暇なのが、1月~2月なんです。患者様数は3月になると徐々に増えて、6-9月がピークになります。そして、寒くなるにつれて、徐々に患者様数が減っていくのです。

痛みや不調の状況と、患者様数が反比例してしまうのです。

これは、夫の院だけではなく、ボディメンテナンス系のビジネス全般の傾向なのだそうです。(本来であれば体脂肪を溜め込みやすい冬期の方がエステに通うべきなのに、夏になると一気にお客様が増えるそうです。)

熱が高い、体が動かない、激痛といった症状の方は冬季もいらっしゃいます。ところが、明らかに不調で徐々に悪化してはいるものの、なんとかだましだましであれば日常生活を営むことができる、という方は寒い時期に治療を受けに来ないのです。

そして、少し温かくなって、

外に出るのが億劫ではなくなったから治療を受けに行こうかな

また冬みたいに調子が悪くなったら嫌だな

と思って、治療を受けにくるわけです。

少しずつ状況が悪化していることは理解しても、面倒くさくて先送りにする、というのは個人の資質というよりも、人間全般の傾向なんだなあ、と驚きました。

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【ダイジェストリンク】無言のメッセージ:表情に気を遣うほどの相手じゃないよ

民間のコンサルティングファームは、研究所ではありません。

自分が設定した課題を解決するのではなく、お客さまがお持ちの課題を解決して実装していくのが私達の仕事です。

専門知識の前に、コミュニケーション能力が必要です。どれほど専門知識があっても、コミュニケーションが取れないコンサルタントは、コンサルティングの現場ではいつまでたっても、プロマネや他のコンサルタントに指示・指導されるアシスタントの域を出ません。

しかし、専門家志向のコンサルタントの中には、コミュニケーション能力を軽視し、専門知識の獲得にばかり目を向ける人がいます。

こういう人は、どれほど繰り返し注意をしても、課題を課題と認めないため、なかなか成長のきっかけをつかめません。

知識はあるのに、お客さまや同僚・上司の評価が低いな、と感じている方はまずは鏡で自分の顔を確認してみませんか?

詳しくは2005年5月18日の「無言のメッセージ:表情に気を遣うほどの相手じゃないよ」と2005年5月25日の「他人は何も言ってくれない」をお読み下さい。

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【ダイジェストリンク】心からの感謝ができる人になりたい

コンサルティングプロジェクトの目的が、コンサルタントの育成・教育になってはいけません。コンサルティングプロジェクトの目的は、あくまでも「クライアントの問題・課題解決」です。

コンサルタントがプロジェクト終了後に「このプロジェクトではこういうスキルが身につきました」としか答えることができないプロジェクトは、私は失敗だと考えています。

本当に成功したプロジェクトでは、コンサルタントは「このプロジェクトではお客さまがこういうことができるようになりました」と答えることができます。

こういう成功プロジェクトは、本当に稀ですが、ゼロではありません。

我が強くて交渉が難しいクライアントであっても、プロジェクトの目的を見失わず、本質から外れずにひたすら目的を追求しようとし続けてくださるお客さまとであれば、こういうプロジェクトを実行することが可能です。

詳しくは、2006年12月4日「心からの感謝ができる人になりたい」をお読み下さい。

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ダイジェストリンクを始めます

複数の方から「Lammyのブログは記事が長いからダイジェストをつけてくれ~」と強い要請がありました。今までも何回も言われていたのですが、あまり真剣に対応していませんでした。

ところが、この3ヶ月間で知り合った方の多くがパソコンではなく携帯電話でブログを読んでくださっていて、しかも、パケット定額に加入していないことが分かりました。

そうか、そういう人にとっては、自分にとって興味がある記事なのかどうかを判断するために全部ダウンロードしなければいけないというのは、コストがかかりすぎるのだなあ、と実感しました。

ですので、今まで評判が良かった(はてブのブックマーク数やリピート訪問回数が多かった)記事を選んで、ダイジェストをリンクしていこうと思います。

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喫茶店で声をかけた男性から連絡がありました

先日「自分のことをバカだと思う瞬間」という記事で、泣き言を書かせていただきました。

喫茶店で男性に声をかけてはみたものの、実際問題として、我が家で新たに猫を引き受けられるわけではないので、実は心中は荒波が立っていました。

ご葬儀が終わった土曜日に連絡をいただくことになっていたものの、土曜日に連絡がなく、一生懸命、「あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(コリント人への手紙Ⅰ10章13節)」という聖書の言葉を思い出しながら、

  • 猫ちゃんが保健所に連れて行かれていないように
  • 私が新たな飼い主を見つけなければ行けないことになったら、見つけられるように

と、ただひたすら祈っていました。

ついさきほどお電話をいただき、亡くなった方のご友人で猫を5匹飼っている方が、引き取って下さることになったとのことでした。

心配してくださっていた皆さま、メッセージやメールを下さった皆さま、本当にお心配りありがとうございました。

きっと私はこれからも、後先考えずに行動すると思いますが、どうかあきらず、見捨てず、サポートしてください。

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妬ましさと焦燥感にどう向き合えば良いのだろうか

社会的に成功した人、金銭的に成功した人、容姿が優れている人、一芸に秀でている人、今まで、大勢のすばらしい人たちに出会ってきました。

彼らと知り合えたことを嬉しく想いこそすれ、彼らと自分を比較してうらやましいと思ったことなど一度もありません。あの人のようになりたい、と感じたこともありません。

しかし、一年に一度、心の底から、ある人のことを妬ましい、うらやましい、と感じるのです。

この妬ましさは、心の底から沸々とわき上がって来ます。どす黒く渦巻き、私の心を刃のように突き刺します。苦しく、つらい、強烈な想いです。

復活祭の前の木曜日が来るたびにやってくる、この強烈な妬ましさを、どういう風に処理したら良いのか分からず、3日たった今も、もてあそんでいます。

復活祭の前の木曜日、最後の晩餐を記念して、洗足木曜礼拝の聖餐式でパンとブドウ酒をいただいます。私はこの洗足木曜日の礼拝をとても大切にしていて、線維筋痛症の症状がひどく、歩くことも難しかった時も、この礼拝にだけは出席していました。

それは、CSルイスがナルニア国物語の1作目で、あるシーンを書くことで表した思いを、何とかして自分なりに形にしたいからです。しかし、礼拝に出席をしても、聖餐式でパンとブドウ酒をいただいても、ルイスがしたのと同じことができるわけではありません。ですから、洗足木曜礼拝のたびに、自分の無力さに、うちひしがれてしまいます。

私が欲しいと思っているものが、お金で何とかなるのなら、地位でなんとかなるのなら、もしかしたら、多少は会社で上司に媚びたかもしれません。人を羨ましいと思ったのかもしれません。

しかし、私が心底欲しくて得られないものを、会社が与えることはできません。会社に限らず、それを与えることができる人間は、この世には一人もいないのです。

ルイスに対する妬ましさ、自分の無力さに対する悔しさは、日が経つにつれて少しずつ小さくはなります。しかし、決して消えることはなく、時折顔を出します。また来年の洗足木曜日には、巨大に渦を巻いて私の心に刃を向けてきます。

他の人達は、望んでも決して手に入らないものに対する焦燥感や、強烈な妬みをどうやって処理しているのでしょうか。

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セキュリティのプロでもこんなもの(言い訳)←3/23(日)から読めるようになりました

3月14日以降にプライベートアドレスにメールを下さっているみなさまへ

ごめんなさい、メール読んでいません。

というか、読めません(苦笑)

理由は、メールを受信するためのパスワードを忘れて、現在、プロバイダに再発行をしてもらっているためです。23〜24日に再発行してもらえる予定です。

mixiやgreeのメッセージは読めるので、お急ぎの用件は、mixiやgreeでLammyあてにメッセージを下さい。

パスワードを定期的に変更すると、変えた後に、わからなくなったゃうんですよね。

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赦せないと苦しい

先日、ベンチに座っていたら、隣に大きなキャリーを引いた初老の男性が座りました。

男性は72歳、この10年間、ホームレスとして後楽園周辺で暮らしているそうです。

年齢も年齢なので、福祉を受けないのかと聞いたところ、「福祉だけは絶対にいやだ」と強い調子で怒り始めました。

若い頃に、一時期どうしても生活が苦しく、生活保護を受けられないかと相談に行ったときに「働く気がないからたかろうとしている」「人生をなめてる」などといろいろ罵倒されたそうです。

生活保護を受けられないかと相談してから、おそらく数十年の時が経っていると思います。

それでも、男性の心の中から、福祉事務所や区役所の福祉課に対する怒りは全く消えていませんでした。いえ、むしろ、怒りを口に出し続けることで、怒りが増幅し、怒りにとらわれているように見えました。

自分が人を許していなければ、他人が自分を許しているとは考えにくいでしょう。

ですから、人を許さない限り、自分が許されているということを信じることは、相当に困難です。

自分のさまざまな過ち

人を傷つけたこと

本来であれば備えていなければいけないのに不足している能力や資質

こうしたこと全てが「いつかは赦される」という実感がなければ、生きていくことは、苦しいことの積み重ねだと思います。

苦しいことを覚えているくらいなら、記憶をあいまいにして、できるかぎり忘れてしまうほうが良いと思います。

でも、できることなら、私は、自分の犯した失敗は全て覚えておきたいです。覚えて、二度と同じことを繰り返さないように、工夫をし続けたいと思います。

ただ、赦されるという実感がないまま、自分の失敗を覚え続けておけるほど、人間は強くないと思います。

イエスキリストが弟子達に教えた祈りには「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」という一節があります。

赦されるためには、まず赦さなければいけない。(赦す相手は、他人だけではりません。自分の弱さや自分の情けなさなど、他人に対する怒りよりも、自分に対する怒りの方が大きい人もいると思います。)

でも、赦すよりも、水に流して忘れようとしたり、怒りにとらわれてしまうほうが、とても簡単。

きちんと記憶して、同じことを繰り返さないようにと真剣に考え、そのうえで赦す。そして自分自身も赦されているとう実感を持つ。

そういう風に生きていけたら、悩みがあっても、失敗があっても、それでも心は軽くいられると思います。

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ネコがたくさんいる街

今日は、山谷伝道所で礼拝に出席しました。

山谷伝道所には、マルコとルツとヨハネ(通称ゴン)という3匹のネコがいます。

山谷伝道所の周辺を歩くと、1ブロックごとにネコに出会えます。飼い猫なのか地域ネコなのか野良なのか不明ですが、あまりやせ細ってはいません。

自転車を押しながらワンカップ大関を飲んでいるホームレスの男性の足元に、きれいなシマネコがまとわりついて、ニャンニャン鳴いていました。

「ご飯あげてるんですか?」と聞くと「時々あげてるけど、今は酒しかないんだよお」とニコニコしながら答えてくれました。

このネコちゃんは、昨年末に引越して出て行った御宅が置いていってしまったそうです。地元の人たちと、ホームレスでご飯を上げて面倒を見ているのだそうです。

「前はもっと丸々太ってたんだよね。今年に入ってずい分痩せたんだ。」と言います。

別に痩せているわけではなく、どちらかというとちょっと太めのネコちゃんです。以前はずい分太ってたみたいです。

人に馴れているし、毛並みも良いし、今よりも太っていたということはご飯もたっぷりもらっていたのだとおもいます。

そんなに大切に一緒に暮らしてきたネコを、引越しをするからって、捨てていってしまうものなのでしょうか。

このネコの元飼い主は、今、どういう気持ちで暮らしているのでしょう。

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自分のことをバカだと思う瞬間

今、喫茶店にいます。

隣の席で、初老の男性が葬儀屋と葬儀の相談をしていました。

最後に席を立ちながら、男性が「亡くなった人が飼ってたネコのもらいてがいないんだけど、ネコは保健所でいいんですよね」と相談していました。

葬儀屋は「保健所に連絡すれば、ちゃんとしてくれます」と答えました。

帰ろうとする男性を止めて、「いくらでも方法はあるから、保健所に連絡するのは止めて下さい」と懇願しました。

お葬式が終わったら、電話もらうことになりました。

どんなネコなのか、障害や病気がないのかも、何も分からないです。

多分、私は、バカなんだと思います。

どうかみなさん、このバカものをいろいろと助けて下さい。

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皆さんのオフィスでは走っている人がいますか?

私はお客さまのオフィスや会議室にいることが多く、自社に長時間いることがあまりありません。

ところが、自社にいると、必ず、1日に一回は、私の横を駆け抜けていく人がいます。(私は縦長のオフィスの出口の一番近くに座っているため、出かけようとする人が私の横を駆け抜けていくことになります。)

誰か特定の人というわけでも、特定の職種というわけでもありません。

今日は、営業アシスタントが走っていましたし、昨日はコンサルタントと営業担当が走っていました。

いろいろなお客さまのオフィスにお伺いしていますが、オフィス内で人が走っているのを見たことがありません。私(外部の監査人やコンサルタント)が来ているから走っていないというわけでもないと思います。

私自身は、走っている人を見かけると、集中して仕事をしている横をドタバタと音を立てたり、ホコリをたてるのは失礼だし、みっともないなぁと感じます。また、コンサルタント達がお客さまのオフィスで同じように走ってしまったら、相当、非常識な会社だと思わないかと、心配でたまりません。

とはいえ、年齢も性別も関係なく、20歳代の女性もいれば、50歳代の男性が走っていることもあります。ですから、走ることがよいか悪いかという感じ方は、世代格差や性別による差ではないようです。もしかしたら、これだけたくさんの人が走っているということは、実は私が今までに受けてきた教育か何かの経験が原因で「失礼だなあ」と感じるだけで、世間一般的にはマナー違反ではないのかもしれないという気もしてます。

皆さんのオフィス内でも、走っている人は見かけますか?

事務処理が中心のオフィスで走るのって、わりと一般的なことなのでしょうか?

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セキュリティ対策って難しい(お前が言うなよって言われそうだけど)

今朝、あるファームウェアのバージョンアップをしました。

すると、ある特定のJavaアプレット(クライアント端末で動くアプリケーションソフト)が動かなくなりました。

そのアプレットが動かなくなったため、以前使っていた、すでに脆弱性が判明しているソフトを使って業務を進めました。

セキュリティ対策として実施したファームウェアのバージョンアップが、別のセキュリティ問題を引き起こしたわけです。

このファームウェアは2つ前のバージョンまでしかアプリケーションの稼働を保証しない割には、セキュリティ上の脆弱性が判明するたびに頻繁にバージョンアップをします。

ファームウェアのバージョンアップをしなければファームウェアそのものの脆弱性は残るし、バージョンアップをしたら、他のセキュリティ対策で導入したソフトは動かなくなるし……

あああ、セキュリティ対策って難しい。

こんなことばっかり起こるから、真面目にセキュリティに取り組もうと思う会社やユーザーが増えないんだよね(溜息)

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社会運営ツールとしての常識をどうやって自分の常識にするのだろうか

社会的弱者とは「何らかの理由により発言や社会に対する進出の機会が制限されている人」であると定義づけられています。

こんな定義を持ち出すまでもなく、誰もが社会的弱者としての子供時代を経て、大人へと成長していきます。

私も、ごくごく普通の、「子供だからという理由で大人に発言を軽んじられている社会的弱者」でした。

弱者であるということを常に肌身に感じていた小学生の私が見ていた現実と、学校や教科書やマスメディアが教える弱者が向き合っている現実は、あまりにも違っていました。

東京大空襲の時に焼夷弾で障害を負った左膝から下が不自由な人が、路上で生活していました。彼は「国は自分をだまして戦争が正しいと教えた。今、福祉を受ける権利があると言っているけれど、本当は嘘で、福祉を受けたら何か見返りを求められるかもしれない。もう二度と、国にだまされたくないし、戦争に荷担したくない。何を要求されるか怖くて福祉は受けられない。でも、体を治して働きたいからお金をためないとね」と言っていました。そういいながら、空き缶を拾っていました。

でも、テレビでは「いくらでも働き口も福祉もあるのに過去の怪我を理由に地域に寄生しているホームレス」という特集が組まれ、福祉事務所の職員の「多くのホームレスは社会復帰の意志がないため、いくら支援しようとしても支援自体が難しい」と証言していました。

学校で担任教師が繰り返し「河川敷にいる汚い格好をした大人は危ない」と注意していました。

でも、捨て猫を見つけて、途方に暮れていた私達子供を助けてくれるのは、ほかの誰でもない、その汚い格好をした大人でした。

こうした経験を通して、弱者に関するメディアの報道や、大人達が言うことには、裏があって、私の考え方を操作しようとしている可能性があると疑うようになりました。

人はどうやって、この「自分が見ている世界」と「周囲が信じさせようとしている世界(効率的な社会運営のためのツールとしての常識)」のバランスを取っているのでしょうか。

大人になったら、自然と常識的になっていくのかと思っていたのですが、どうやらそうでもないようです。

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組織の社会的責任が国際規格化

「あなたの専門は何ですか?」と聞かれるたびに「組織のマネジメントシステムや組織運営の標準化です」とお答えしているのですが、なかなか通じません。標準化という言葉を使ってしまうと、組織を画一化する活動と誤解されることもあり、近頃は通じないことは十分承知のうえで「マネジメントシステム」とだけ言うようにしています。

マネジメントシステムというのは、企業だけではなく、社会生活全般を支えるための、組織・団体運営の標準的な考え方です。

例えば「良いことをしている会社の株を買って経営をサポートしたい」と考えたとします。すると、SRIファンドを購入したり、SRIファンドに組み込まれている企業の株式を購入すると思います。

しかし、SRIファンドの中をじっくりと観察してみると、明らかに人体に対して有害な商品が売上げの過半数を占めていたり、日本国内では優良企業でも国外で児童強制労働をしていたり、自社の社員には十分なお給料を支払っていても下請業者を徹底的に搾取している企業が組み込まれていたりします。

SRIファンドの基準は、各募集企業が定めているので、あなたが考える「良い会社」と募集企業が考える「良い会社」が一緒であるとは限らないわけです。

この「良い」という価値観が「感性」に依存する、デザインであったりサービスの内容であれば、人によって異なる(価値観が多様である)ということは、とても良いことだと思います。

しかし、地球・世界経済の一員として果たすべき役割を果たしているかどうか、といった責任という視点が多様になってしまうと、各国・各社が勝手気ままに他者(他社・他国)を搾取することになってしまいます。ですので、責任を果たす・他社にマイナスの影響を与えていないという観点からの「良さ」をはかるための、ある程度の標準的な判断基準が必要になります。

そのため生み出された考え方が、法律と違って国境を越えても有効な「国際規格」という考え方です。

一般的に、国際規格には法的な拘束力はありません。違反をしても罰金を取られたり、刑事罰を受けるわけではありません。あくまでも、紳士協定です。

おまけ:TBCが個人情報保護法施行前に起こした個人情報漏洩事件は「国際規格として個人情報の重要性は制度化している時期の事件であり、企業責任を問うことは可能」との裁判所判断により、判決が下りました。ですので、実際には全く法的な拘束力がない、とは言えないかもしれません。

ISO9001(品質マネジメントシステム)、ISO14001(環境マネジメントシステム)、ISMS(情報セキュリティマネジメントシステム)という言葉は聞かれたことがあるかもしれません。これ以外にも、さまざまなマネジメントシステムや標準化が存在しています。

冒頭にお話しした「良い組織」の標準も「組織の社会的責任」として徐々に整備されつつあります。

一般的にはCSR(Corporate Social Responsiblity)と呼ばれますが、国際規格の対象は企業だけではなく、非営利組織も風くむため、Cを抜かしてSRと呼びます。

日本規格協会(JIS規格を作っているところ)がSRの国際標準のドラフト案の日本語訳を発表しています。ドラフトなので、まだ変わる可能性はありますが、このドラフトによると、組織の社会責任は7つの主要な課題に対して、バランス良く対応することであると定めています。

  1. 組織統治(法令遵守、説明責任、透明性、倫理的行動)
  2. 人権(禁差別、権利の保護、違反者への協力禁止)
  3. 労働慣行(社会的弱者保護、労働者保護、労働安全衛生)
  4. 環境(保護、予防の重要性、汚染者負担の原則、持続可能性の維持、生物の多様性の維持等)
  5. 公正な事業慣行(適切な組織と組織の関係の構築、汚職防止、責任ある政治的関与)
  6. 消費における責任(適切で誠実な消費者および消費者団体との関係構築維持、持続可能な消費、)
  7. 地域社会への責任(コミュニティ参画、地域経済発展、地域経済開発)

主要課題やガイドラインの各節タイトルだけを抜き出しても、日本で一般的に「良い会社」と言われる、基準とは、少し視点が違っていることがお分かりいただけると思います。

仮訳のため、かなり読みにくい日本語ですが、「良い組織とは何か」を考えるうえでは、とても良い参考資料です。

SRの国際標準は、ガイドラインとして制定されるだけで、認証基準のように審査制度は作られない予定です。ですので、国際基準に準拠しているかどうか、という画一的な審査制度はできません。

近い将来、さまざまな証券会社が、この国際基準を参考にSRIファンドを作り、SRIファンドに組み込まれることが株価UPにつながったり、就職希望社が増えるといった良い循環が生まれることを期待しています。

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杖を渡してきました

杖をくださった方には、どういう方にお渡しさせていただいたか、ご連絡をさせていただいています。しかし、匿名で杖を下さった方がいらっしゃいます。その方が、ここを読んでくださることを、心から祈っています。

お送りいただいた杖を、右足が不自由な方にお渡ししました。杖をついて歩きながら「杖があると安心する」とおっしゃっていました。

この方が、足が不自由になったのは、今から30年近く昔に、ひき逃げにあったためです。右足大腿骨の複雑骨折による金属パネルによる骨の固定と、右足指の切断をしました。犯人は捕まらなかったそうです。

体を使うお仕事をしていらっしゃったそうで、失業し、その後はなかなか仕事に就くことができず、ホームレスになったそうです。

今はひき逃げ犯がつかまらない場合、政府保証制度により被害者は救済されます。当時この制度がなかったのか、本人が知らなかったのかは不明ですが、この制度は時効が2年なので、30年前の事故に適用することはできません。

このサイトを読んでくださっている多くの方が、どちらかというと、コンピュータやインターネットを使いこなしている方だと思います。ですから、右足が不自由だから働けない、ということが、ぴんとこないかもしれません。実際問題として、私自身が、右肩と右腕に可動障害がありますが、仕事には何の支障もありません。

しかし、土木作業や溶接の技術者として働いてきた人が、足が不自由になったらどうなるでしょうか?足場が悪い現場に行くことができないですから、当然、職種転換をしなければいけません。

ここで難しいのは、自分の責任がない被害で体に障害を負ってしまった、ということに対して、「自分が悪くないのに、何でそんな苦労をして新しい、どうなるか分からないことに取り組まなきゃいけないんだ」という被害者意識に囚われないでいられるかどうか、という点です。

はっきり言いますが、ここまで普通に仕事をしている私でさえ、生まれつきの障害という自分に一切責任がない障害に対する被害者意識を払拭するまでには、相当な労力と時間がかかっています。

ましてや、仕事がうまくいっていない、家族も離れていった、という人が、被害者意識を克服するのは相当に困難です。

被害者意識に囚われていても、何もメリットはありません。それでも、感情をコントロールするのは、とても難しいものです。怪我の痛みとリハビリのつらさに耐えながら、感情面でも、被害者意識と戦わなければいけません。しかし、ケアワーカーは心の痛みと向き合うだけの余裕はなく、短時間の面談で「リハビリして、技術研修を受けて働いてください」と一方的に伝えてきます。

そのときに「そのとおりだ、リハビリして働こう!」と思うか「ふざけんな、どうして自分がそんなことしなきゃいけないんだ」と酒やギャンブルに逃避するかは、その場になってみないと、誰にも分からないような気がします。

「そのとおりだ、リハビリして働こう!」と思っても現実問題として、高度技術を持たない場合、障害者が得られる仕事は限られます。仕事が見つからないことも多々あります。一度は見つかったとしても、頻繁にしびれや痛みが襲って、仕事を止めざるを得なくなりがちです。

そのときに「またがんばろう」と思うのか、少しずつアルコールに囚われていくのかは、本当に、その場になってみないと、分からないと思います。

これは、誰の身の上にも起こりえる出来事ではないかと感じています。

私達が杖を届けている人たちは、決して、単に怠惰だから路上で生活しているわけではありません。送っていただいた杖を、文字通りの「支え」として、これから生活を立て直したい、という思いを心にヒッソリと抱えている人たちです。

お手元に、余った杖がありましたら、ぜひ送っていただければ、と心からお願いいたします。

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幸福感

昨日、とても美しい夜景を見る機会がありました。

きれいな景色を見ていると、ふと「あ、この景色○○さんが好きそうだな」と、しばらく合っていない友人のことを思い出しました。

私には、美しいものを見る機会があって、美しいものを見てそれを分かち合いたいと思う友人がいるんだなあ、と気がついて、しみじみと「私は幸せなんだなあ」と感じました。

珍しく、仕事のメールが携帯に入らない週末だったので、気持ちが優しくなっていたのかな、という気がしなくもないですが(苦笑)、ちょっとハッピーなひとときでした。

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資格があっても仕事はできないけど、資格があって良いこともたくさんある

私は、受験して合格はしたけれど未登録という資格がたくさんあります。

  • 登録をすると継続研修の受講義務が発生するので面倒くさい
  • それなりに権威がある資格を名刺に刷ると、その資格分野の専門家としか見られなくなり、本来の専門(業務分析や組織心理)の人と見られなくなる
  • 知識の整理や知識の獲得をしたくて受験しただけで、もとから資格を名乗るつもりがなかった

というのがその理由です。(昔、勤務先に言われていろいろな資格試験を受験したけれど、私の事務管理能力が低くて、合格証がどこかに行ってしまった、という間抜けな理由で放置している資格も結構ありますが。。。)

さて、私に業務を依頼してくださるお客さまは、私の名刺に今以上にたくさんの資格がすってあったら、今よりも時間単価を上げて下さるでしょうか?絶対、あげてくれないと思います。それも、資格を維持するモチベーションが働かない1つの理由でもあります。

では、私が資格取得に懐疑的なのか、というとそんなことは決してありません。

新人社会人として働き始めた時に、インド人の上司が「仕事の中身が分からないことを失敗の言い訳にする人が多い。Lammyはそんな言い訳ばかりの社会人になっちゃいけないよ」と繰り返し言っていました。

当時の私の仕事は総務業務と監査の通訳でしたので、いちばん手っ取り早い業務理解方法として、監査の試験勉強をすることにしました。日本の公認会計士試験は監査論だけを勉強しても合否が分からないので、米国公認会計士の監査論(Audit and Attestation)の勉強をすることにしました。

監査が始まる前の監査手続きの翻訳、監査中の通訳、報告書の翻訳などをしながらの受験勉強ですから、一般的な受験生よりもはるかに楽な受験勉強です。しかも、分からないことがあれば、現役のCPAにいつでも質問ができます。それほどの苦労はありませんでした。

こうして、新人として業務に就いたその時に、体系的に監査というものの勉強をしたため、その後に業務をとおして学んだことを体系化することが容易になりました。

ですので、新人の時にUSCPAの受験勉強を一生懸命に行って、本当に良かったと思っています。

数年前に、CIA(Certified Internal Auditor,米国公認内部監査人)は4科目中2科目が監査論と監査の実践手順だと知りました。監査というものの本質が分かっていたなら、勉強しなくともある程度の点数は取れるはずだ、などと自分に言い訳をして、予定していた勉強をほとんどしないまま、ぶっつけ本番で受験。結果は、合格でした。

CIA2科目を準備せずに受験して合格して、身をもってはっきりと分かったのが、アメリカの資格試験や、日本の非国家資格(簿記、情報処理技術者試験などのほぼ国家資格的な資格も含む)は、その業務に就いて10年もしていたら、合格して当たり前の内容を出題しているだけで、特に難しい試験ではない、ということでした。

ですから、内部監査部門で4-5年勤務している人がCIA試験を受験して落ちた、というような話を聞いて、最初のうちは信じられませんでした。

しかし、ある日、この記事で書いた、監査という業務を全く知らない人と話していて、はたと気がついたのです。

自分の中にあるべき論がなく、周囲にも明確なあるべき論がない中で何年業務をしても、自分の内側にハッキリとした軸はできないんだ!

私が勉強しなくてもCIAに合格をしたのは、USCPAの試験勉強をとおして「監査論とは」という基礎的な考え方を吸収し、その後、「あるべき論」を自分なりに持っている上司の指導を受けながら業務に従事してきたからであって、私がすごいわけでも、何でもありません。

しかし、周囲は、私がどういう上司の指導の下で仕事をしてきたかなどは知りませんから、まるで私がすごいかのように思ってしまうわけです。

これは、周囲が私の元上司達を知らないことが私の価値を必要以上に高めている、という少しだけ私にはラッキーな話ですが、残念ながら、逆のパタンも相当に多いはずです。

  1. 上司にも組織にも「この業務はこうあるべき」という考え方がない。
  2. 「この業務はこうあるべき」という基準はあるけれど、その基準が他社では全く通用しなかったり、日本の特殊な組織(旧財閥系だけ、とか、製鉄だけ等)では通用するけれど、グローバルベストプラクティスの正反対で、転職したら何の役にもたたない。

という環境でお仕事をしている方は、相当数、いるはずです。

自分がこういう環境なのだ、ということに気がついている人はまだラッキーな方で、もしかしたら、自分がいる環境が標準的で、どこでもこういうものだ、と思いこんでいる人もいるかもしれません。

そういう人は、今までに自分が行ってきた業務手順そのものを転職先でも適用しようとして、コンフリクトを起こします。このことは、中途採用をよくする組織では、常識として知っていますから、1社での業務経験が長く、経験に見合った資格を有していない人を、どうしても敬遠しがちになります。

資格があっても、仕事はできません。でも、資格があったら「勤務先の業務手順だけではない、あるべき論を理解している」ということは分かります。また自社の業務が勉強したことに照らし合わせて明らかに非効率な場合、業務改善に役立てることもできますし、業務改善できる体力や倫理観がなければ転職しようと決心するきっかけになるかもしれません。

そういう意味では、やはり、自分の業務に密接に関係している資格があるのだとしたら、一通り勉強をすることは、とても有意義だと思うのです。

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司法試験は簡単

「今、振り返ってみると司法試験は簡単な試験なんですよ」

先日、10回以上、司法試験に落ちて、苦しんだ知人が、サラッと言いました。

彼の苦労を知っているので、かなり驚きました。

しかし、その理由を聞いて、心底納得しました。

「弁護士として、数十年働いてみると、自然と、法制度はこういうものだという感覚が身に付いて来るんです。あるべき姿が分かると、あの試験も、そんなに難しい訳でもないんですよ。そう考えてみると、新人弁護士の報酬って高すぎますね。」

本当にそうだなぁ、と思います。

司法試験に必死に受かったばかりの人と、法律の本質が見えている人のどちらに仕事を依頼したいか、は自明の理だと思います。

これは、法制度に限らない話ですよね。

プロフェッショナルとして働き続けるためには「こういうものだという感覚」をどう身につけるか、がとても大切ですよね。また、サービスを受ける側からしてみると「こういうものだという感覚を身につけているかどうかを、どう判断するか」がとても大切だと思います。

J-SOX対応で、多くの上場会社が内部監査人を増やそうとしています。

コンサルティングファームの中には、監査を「チェックシートを持ってきいて回ったり文書や記録を見る定型作業」という扱いで、人手不足に苦しんでいるクライアントに、コンサルティングサービスで使い物にならない3流以下のコンサルタントを当てています。

監査(会計監査でもシステム監査でも何でも良いです)という仕事をやったことがあれば、どれほど優れたチェックリストがあっても、良い監査を行うことができないということは、簡単に分かります。

しかし、やったことがない方には、この「良い監査」という感覚が理解できないのです。「監査というのはこういうものだという感覚」が分からないようです。

たちの悪いことに、日本の多くの企業が、今まで真剣に監査役監査や内部監査に取り組んでいませんでした。そのため、サービスを受ける企業側も「監査役監査や内部監査というのはこういうものだ」ということを理解していません。

そのため、巷には「え~、それでお金取るの?」と驚愕してしまうような、とんでもない内部監査のアウトソーシング会社がポロポロと出始めています。

ある重要インフラ企業は、年中、監督官庁からの監査を受けているためか、こうした新興監査サービス企業に対する警戒が強く、情報セキュリティ監査の御発注をいただく条件に「御社の監査手順書と監査マニュアルを見せてください」という要求をしてきました。

守秘性が高い内容なので、そのままは開示することはできませんでしたが、私としては、こういう要求をしてくださる意識が高いお客様に選んでいただけた、ということの方が嬉しく感じられました。

来年度、内部監査、特に業務プロセスやIT全般統制の内部監査をアウトソースする予定の企業はたくさんあると思います。

多くの、監査というものの本質を理解していない、応急処置的に監査人を増やしているコンサルティングファームに騙されないためにも、価格や監査人の資格だけで判断をせず、RFPには「監査倫理要綱」「監査手順書の作成手順」「監査規程」を開示するように要求してみてはいかがでしょうか?

もちろん、これだけで「監査というものの本質」を理解しているかどうかを判断することはできません。しかし、こうした手順書を読んでも監査というものの流れや効果が理解できないとしたら、少なくともそういう会社の提案は受けない方が良いのではないかと思います。

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