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2008年2月

インターネットサービスの品質を判断する

昨年、久しぶりに情報セキュリティ事件に「当事者として」巻き込まれました。

初めて情報セキュリティの事件に携わって以来、早17年が経過しました。取り締まる側、被害を受ける側として、さまざまなセキュリティ事件・事故に接してきました。

初めて接した事件は、1000人を対象に特定個人の誹謗中傷メールを送信したという事件でした。被害者が友人で、私自身がその組織の中では比較的ネットワーク知識があったため、犯人を確定し、再発しないネットワーク・アプリケーションの設定を検討、設定するというかかわり方をしました。

1990年代は加害者から恨まれるのは日常茶飯事で、私の氏名・電子メールアドレスを詐称して、パソコン通信やインターネットの恋人募集サイトや援助交際募集サイトに書き込みをされるなど、日常的な出来事でした。

事件に巻き込まれると、当事者になるので、警察や検察庁、IPAといったさまざまな団体と密接な情報交換をすることが可能になります。そのため、こうした悪意をもって氏名を詐称してきた犯人の意図とは裏腹に、事件や事故に巻き込まれれば巻き込まれるほど、私の知識と経験が増えていく、というプラスのメリットがたくさんありました。(人からどう思われるかに頓着しないため、自分におきていることを「被害」だと認識させなかったのかもしれません・・・。)

そのため、当時の私の本来の専門は組織心理学で、人事制度設計やM&Aをした組織の融合政策などが専門だというのに、情報セキュリティ対策の経験が自然に蓄積していきました。そして、今日は、統制環境の整備という仕事だけではなく、情報セキュリティや個人情報保護のお仕事をたくさんいただいています。

昨年の事件も同様で、個人情報保護やネットワークを使った犯罪がここまで喧伝されている昨今でも、会社の体質や考え方によって、対応に大幅な差異が生じることを、身をもって確認することができました。また、業務として接しているセキュリティ事件・事故は機密保持の観点から公開することができないのですが、こうして自分自身が被害にあった事例はいくらでも教育事例として使うことができるため、仕事の面でも大きなプラスがあります。

このサイトでも、事件の経緯と予防策を公開させていただこうと思います。

■事件の概要
複数の大手オークションサイトに、私の姓と住所が登録されていた。電子メールアドレスや登録クレジットカードは私のものではなく、私には金銭的な被害は発生していない。

しかし、オークションサイトでは「犯罪に使用するための物品の売買(携帯電話や銀行口座、各種拘束具)」や「売買自身が違法である物品(児童ポルノ等)の取引」が行われることが多く、違法取引に私の住所が利用されている可能性を危惧した。

■事件発覚の経緯
大手オークションサイトの1つであるBiddersから、郵便物が届いた。あて先は私の仕事で利用している姓だが、名は現在も過去も実在しない「男性名」だった。郵便物が届いた住所に住んでいるのは私と夫で、夫の姓は異なるため、この郵便物のあて先は私であると判断して開封した。中身はダイレクトメールで、Biddersの登録者全員に郵送していると記載してあった。

Biddersコールセンターに問い合わせをしたところ、「姓名が一致しないため、本人ではないと判断するので個人情報保護の観点から一切の情報を提供することができない」との回答を得た。(もちろん、この個人情報保護法の解釈は間違えています。個人情報保護法では犯罪者を保護することなどは要求していません。また個人情報とは個人を特定できる情報を指すため、この登録情報の場合は基本的には私を特定することになる可能性が大です。)

個人情報保護法の解釈を間違えているということを法律の条文の逐次解釈をつけて再三せつめいし、一般的にこうした事件・事故が発生したときに行うべき業務手順をあわせて連絡したのですが「個人情報保護の観点から一切の情報を提供することができない」との回答であった。

他のサイトでも氏名を悪用されている可能性等を考慮し、複数サイトに「Biddersでこうした事件に巻き込まれている。同様の事象がおきていないかを確認して欲しい」との問い合わせを行った。

結果として「YAHOO!オークション」「楽天」など複数サイトで私の住所と姓を詐称する登録があることが確認できた。

■この事件から私達が学ばなければいけないこと
Bidders以外のサイトでは、氏名の詐称の有無を回答しなかった大手サイトはありませんでした。特に名前を挙げた2サイトの対応はすばらしく、私の個人情報の一部を詐称してこの2サイトを利用しようとすることを防止する仕組みまで実装してありました(ソフトバンクグループ、楽天グループともに過去に個人情報の漏洩事件を起こしており、外部の専門家を入れて徹底的に対応を見直したという経緯もあるかと思います。)。

それ以外のサイトは、再発防止はできていませんでしたが、少なくとも詐称したIDを直ちに停止、登録メールアドレスに警告を発信するといった一連の手続を実行していただけました。

また、私の住所を詐称した登録IDがどういう取引をしてきたかという情報の開示および、今後の対応を説明していただき、今後の対応予定が専門家として納得がいくものだったので、お任せすることにしました。

一方、最初に事件に気がつくきっかけとなったBidders(DNa)ですが、事件発覚後も一貫して「取引履歴の開示はできない」「今後の対応も教えられない」「警察に連絡するしないなど、一切の情報は提供できない」「再発防止をするかしないかも教えられない」との対応でした。

私達はサービスを利用する時に、サービスの内容だけを確認しがちです。しかし、実際に事故が起きてみると、サービスを支える根幹である「コンプライアンスに対する積極的な取り組み姿勢」や「サービスを支える情報システムが情報セキュリティやアクセス権限を考慮した設計になっているのか」によって、事故の再発防止や被害の拡大の程度が大きく異なることに気がつきます。

また、サービスの比較をする際に、こうした事件対応・事故対応の能力を比較するという発想すらないかと思います。

しかし、この記事を読んでお気づきのとおり、Biddersの対応は個人情報保護法を盾にはしているものの、被害者に対して一切の情報公開をしないことで犯罪加害者が時間稼ぎをする手伝いをしています。また、緊急対応(当該IDを停止する)や再発防止策を行うかどうかを教えていただけないことで、私は今でも、いつ犯罪に巻き込まれるのか分からないという状況を強要されているという状態です。

実際に店舗を利用してサービスを受ける際には、店員の対応や店舗の清掃などを確認して、その組織のサービスレベルの品質というものをある程度は推察することができます

しかし、ネットでサービスを受ける場合にはこうした対応から組織の成熟度やサービス品質を推察することが困難です。これといって有効な解決策があるわけではないのですが、それでもやはり、一番大切なのは、そのウェブサイトが「情報セキュリティに対する基本的な考え方(情報セキュリティポリシー)を公開しているのか」「公開している内容はサービスに即していて、万が一事件や事故に巻き込まれてしまったときには、『情報セキュリティポリシーに即してしっかりと対応する義務がある』と言い返すことができるのか」を確認してからサービスを受けることではないかと思います。

ぜひ皆さんも、ネットでサービスを受けるときには、こうした視点で組織のセキュリティ対応能力を推察してからサービス提供会社を選択していただければと思います。

■犯罪者を助長させるサイトで事件に巻き込まれてしまったら
上述のとおり、複数サイトではそのサイトの運営組織とのやりとりだけですんだのですが、Biddersだけは対応を拒否されてしまったため、警察に出てきてもらうことにしました。

ネットで氏名を詐称されたときには、最寄の警察署の生活安全課に被害届を出しに行くことになります。そうすると「犯罪に使用するための物品の売買(携帯電話や銀行口座、各種拘束具)が行われている可能性」と「売買自身が違法である物品(児童ポルノ等)の取引の可能性」など、さまざまな観点から捜査をしてもらえます。

また、再発の可能性やサイトを運営している会社がどういう対策を取ろうとしているのかといった情報も得ることができます。

誠意のある対応をしてもらえない場合は、臆せずに地元の警察署に相談に行ってください!

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Docomoが3月決算なのは、日本人の常識?

今朝、複数の通信キャリアの携帯電話のカタログを見比べていて、すごく驚いたことがありました。

私はプライベートではauとemobileとWillcomを使っています。この3つの代理店にはほぼ毎日入り浸って、店員さんと話をしたりカタログを見たり、モックを触ったりしています(趣味です)。

自分が普段使っていないキャリア(DocomoやSoftbank)の代理店は、セキュリティ上の理由で何か気になることがあった時に行くぐらいです。

注:私は仕事柄、通信キャリアの代理店だけではなく、銀行の窓口、消費者金融の窓口、旅行代理店、家電量販店のレジ、スーパーやデパートの特設カード申し込みブースなど、個人情報を大量に取り扱う場所が目にはいると、とりあえず周囲をウロウロとしてセキュリティレベルを確認します。携帯電話の代理店を外から覗くと、お客さまがいないときにカウンターに書類を広げて仕事をしている人や、明らかに監視カメラの向きがずれていて監視になっていないなど、気になることを発見することが多々あって、そういう時にはDocomoやSoftbankの代理店にもおじゃましてます。監視カメラがずれているのを指摘した時は、お礼に3万円の商品券をもらいました。うれしいような、自分のコンサルティングフィーを考えると、割に合わないような複雑な気持ちでした。(防犯カメラの種類や視野角といったシステム機能や設置場所に興味がある方はこちらをご覧ください。値段やサービスに興味がある方はこちらこちらのサイトをご覧ください。わりとおもしろいですよ。)

今まで、Docomonoカタログをまじまじと読んだことがありませんでした。そのため知らなかったのですが、今配布しているDocomoの新機種紹介のカタログには「2007年度第四四半期に発売予定」という赤い文字が、あちらこちらのページに書いてあります。

Docomoが3月決算ということは、日本語のカタログが読める人だったら常識として知っておけ、ということなのでしょうか?

カタログって、お客さまのために提供するものですよね?

「2007年度第四四半期に発売」ではなく「2008年1月~3月に発売」と書いてはいけない理由が、何かあったのでしょうか?

文字数がそれほど違うわけでもないので、スペースの問題でもないですよね。

分からない・・・・。

私には、こういう顧客を無視した情報発信をする感覚は、全く理解できません。

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コンサルティング能力を伸ばすためには落語を聞こう、とは言いませんが・・・

「なまけ者よ、いつまで寝ているのか、いつ目をさまして起きるのか。 しばらく眠り、しばらくまどろみ、手をこまぬいて、またしばらく休む。 それゆえ、貧しさは盗びとのようにあなたに来り、乏しさは、つわもののようにあなたに来る。」

旧約聖書の箴言という箇所の言葉です。

ここで言う「貧しさ」とは金銭的な貧しさのことではなく、心の貧しさを指します。 乏しさは、満足感の欠如を意味すると考えられています。

寝ているというのも、もちろん、文字通りに「眠っている」という意味ではなく、「心が正しさに対して覚醒していない」という意味です。

つまり、比喩を全部とりさって、ダイレクトに表現するなら、

正義に対して真剣に向かい合っていない人たちよ、だらだらとしてると、心がすさんで、何をやっても満足感なんか得られませんよ

という意味なわけです。

この箴言という箇所は、アメリカで最もビジネスパーソン(ノンクリスチャンを含む)に読まれているビジネスのまさに「バイブル」です。信仰とは無関係に、仕事に行き詰まると読む人が多いそうです。

ところで、実は、今日書きたかったのは聖書の紹介ではないのです。

ミクシーで、マイミクさんのマイミクさんの落語に関する記事を読んで、はっと気がついたことがあるのです。

私は、他の能力と比較すると、文字を読んで正確に意味を把握したり、聞いて理解するという能力が比較的優れています。

先日、高熱で相当に朦朧としていたのですが、それでも監査報告書を書いたりチェックをするという仕事の品質が下がることはありませんでした。でも、見積書の計算をはじめ、数字をさわる仕事の品質はボロボロで、社会人として使い物になりませんでした(嗚呼、本当にひどい仕事ですいませんでした>アシスタントのみなさま・・・)。

長年コンサルティングファームで訓練を受けてきたから、というのも一因ですが、それなら数字を扱う能力も高くなければいけないわけです。ずいぶんとアンバランスだよなあ、と思っていました。

で、今日気がついたのは、、、

普段から、毎日毎日、比喩だらけの聖書を読んで意味を理解しようとしてるんだから、そりゃー日本語力も英語力も上がるだろうさ!

という、考えてみれば当たり前のことでした。(私は普段、聖書は日本語で読んでいますが、毎日 Back to the Bibleという20分の英語の説教をダウンロードして聞いてます。)

毎日、毎週、比喩だらけの説教を聞いているわけで、耳から聞いて真意を理解する力の訓練も受けているわけです。

しかも、東京下町の人間らしく(?)、落語好きです。落語は、耳で聞いて同音異義語を理解しないと笑えません。(辛抱が足りない、心棒がない奴、という掛詞を耳で聞いて理解しないと笑えなかったりします。う~ん、こうやって文字で説明すると、野暮ですね。)

そうか、私の言語を扱う能力は、仕事で培われたわけではないんだ!

実は現在、社内でコンサルタントの言語能力を向上させるためのトレーニングをいろいろと行っているのですが、比較的簡単に向上する人と、何をやっても数年間変わらない人がいて、トレーニング方法に苦慮していました。

耳から聞いて真意を把握する力の向上のために、落語や礼拝中の説教を聞けというのは言えないですが、こういう同音異義語や比喩を満載した音声を聞いて真意を把握するというトレーニングが役に立つのではないかと思い至りました。

もう少し、具体的に考えてみようと思います。

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田町駅周囲にいる方は是非!

田町駅周囲にいる方は是非!
田町駅の改札外の慶應大学側のエスカレーター下に、今日からビックイシューの販売を始めた方がいます。

寒さで足早に過ぎる人が多く、まだ不慣れで声を出せない彼は、人混みにまぎれて苦心しています。

再出発の初日の今日を、明るい気持ちで終わらせられるように、是非、協力して下さい。

最新号は、お風呂特集。いつもどおり、おもしろいです。

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庭にチョウゲンボウがいます。おネコ様は寝ています。

庭にチョウゲンボウがいます。おネコ様は寝ています。 庭にチョウゲンボウがいます。おネコ様は寝ています。

チョウゲンボウは、荒川河川敷で見かける野鳥です。

我が家の庭が安全地帯だという噂が、荒川河川敷にまで広がったのでしょうか。

一昨日から、毎日、チョウゲンボウが群れでやってきます。

我が家のネコ達は、相変わらず、鳥には興味を示さずに寝ています。

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ちょっとだけイザヤ書11章6節の世界がこの世に出現

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イザヤ11章6節は、嵐のよるに、という童話のもとになった章です。

「狼は小羊と共に宿り/豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち/小さい子供がそれらを導く。」

そのときが来たら、狼が羊を狩ることもなく、小牛と子ライオンは仲良く戯れ、人間の子供が彼らを牧場に連れ出して、草を食ませる。

人間の魂の救済、というだけではなく、あらゆる生き物が幸福に暮らす世界を描いています。

私が、一番好きな聖書箇所でもあります。

もちろん、現実はこの世界とは大きく違っています。ただ、我が家のおばかネコを見ていると、時々「天国っていうのは、もうこの世にあるのかも」と思ってしまいます(苦笑)

それにしても、いくらうちのネコが駄目駄目ちゃんだからって、あたまの真上でくつろがなくてもいいよね、雀さんたち。(シャッターチャンスは逃しましたが、この直前は20羽くらいの雀に囲まれて寝てました。。。。。)

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信仰と信頼

私は、人を信頼します。しかし、信仰はしません。

人から信頼されることは嬉しいですが、信仰されるのは、困ります。

「あなたが言うことは全て素晴らしい!」

私が、そう告白するのはただ一人です。(もちろん、イエス様です)

上司であっても、株主であっても、親であっても、信頼はしていますが、信仰はしていません。相手は神様ではなく、ただの人間であり、人間である以上、弱さも間違いも犯す存在だということを、当然だと認識しています。

だからこそ、信頼関係にヒビが入った時でも、修復が容易です。

相手も人間、私も人間、弱さがあって当たり前、できないことや失敗があって当たり前、という大前提が私の人間観だからです。

私は、自分の弱さやできなさ加減を人に見せることが恥ずかしくないですし、人から見せられても、相手を信仰しているわけではないので、幻滅するということはありません。

私は基本的に人間が大好きなので(4脚で歩く毛皮の生き物の方が好きかもしれませんが)、すぐに人にほれ込みます。相手の良いところを「あの人はこういうことができるんだよ!」とペラペラと他人に話すことが大好きです。でも、それは信仰とは違います。相手のその良さがメッキだったとしても、少しはがっかりしますが、それで相手の全人格を否定するようなことはありえません。

それは、信頼というのはあくまでも限定的なものであり、信仰という全人格的な交わりとは大きく異なるからです。

しかし、「上司たるもの社長たるもの、部下・社員に弱みなど見せられるか!」という人がたくさんいます。

私自身、私に対して「分からない」「できない」ということを伝えることができずに、結果的に私を無視するという方策に出た上司の下で、とてもとても苦労をしたことがあります。彼は、上司である以上、仕事の面では部下よりも全て万能であろうと振舞いました。しかし、専門性が分化しているコンサルティング業界において、常に上司が部下よりも全ての面で優れているということはありえません。

実際問題、現在の私のチームで教育研修が一番うまいのは私ではありません。私は、私のチームのメンバーが私よりも上手にできることが増えれば増えるほどうれしいです。それは、私ができないところを補完して、チームとして強くなれるからです。

常に部下よりも優れていようとしない大きなメリットの1つが、この「チームとして強くなれる」という点だと思います。

「上司たるもの社長たるもの、部下・社員に弱みなど見せられるか!」という人には、少しだけ考えて欲しいのです。

そういうマネジメントをしていて、会社全体として、チーム全体として強くなれますか?

あなた個人が立派に見えることではなく、会社全体として、チーム全体として強くなることが、あなたのミッションなのではなかったのですか?

私は、分からないことを分からないと、まだ自分にはできないことをできないと正直に言う人と一緒に働きたいと、心から願っています。

追伸

文中で使った「全人格的な交わりである信仰」という感覚を、無宗教の人に説明するのは、相当に難しく、挫折してしまいました。文章力があるクリスチャン(じゃなくっても良いので特定の宗教を持っている方)、ご自分のブログでぜひ、この感覚を説明して記事をトラックバックしてください!

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薬補は食補にしかず

以前、風邪をこじらせて全く食事ができないと訴えたときに、かかりつけの漢方薬剤師さんに言われた言葉です。

そのとおりだなあと思います。

ここのところ、体力的にも、精神的にも相当に無理を続けていたので、そろそろ危ないな、と思っていたら、気管支炎になってしまいました。(熱の高さや全身の痛みを考えると、インフルエンザかもしれません。潜伏期間を考えると、先週の土曜日以降に私に会った方は、発病しないように、十分にうがい手洗いをして食補をしてください。)

夫に頼んで、腰に温灸をしてもらったら、何とか食事ができるようになりました。山場は越えたので、後2-3日で復活しそうです。

明日から、アジアコンテンポラリーダンスのコンテストが横浜で開かれるので、フル参加をして堪能しようと思っていたのですが、しばらくは、のんびりしようと思います。

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仕事で励まされた言葉

先週のグループミーティングで、職場の同僚から「出版社につとめている友人が募集しているので、仕事で励まされた言葉を教えて下さい」という話がありました。

私は、わりと上司にも同僚にも恵まれてきたので、いろいろな言葉のプレゼントをもらっています。教会でも、たくさんの人にいろいろなアドバイスをもらってきました。

1つだけベストを選ぶということはとても難しいなあ、と思いました。なので、いちばん古い励ましの言葉をあげたいと思います。

「大丈夫、江戸時代の人は当たり前にやってたから。どんな工夫をしてたのか調べてごらん。」

You can do it. Because it was everyon's choice in Edo era. Check the tactics what they did.

学生生活と、仕事と、介護の3つの役割でつぶされそうになっていた私に当時の上司が言った言葉です。

彼は日本に来るときに、日本の文化をかなり深く調べたそうです。インド人の彼に日本文化を教えてもらうというのもおかしな話ですが、彼の話を聞いて、その後いろいろと調べてみました。

すると、江戸時代の社会システムに生きていれば、介護を家庭で行いながら、仕事も学問も続けることが可能だったということが分かりました。

男女の役割が明確に分かれ、女性が家事労働だけに追いやられ、高度な教育や複雑な業務から排除されはじめるのは、明治以降であり、それも主に戦後に加速した「きわめて現代的な現象」でした。

現代的な人間関係や現代的な職業観に縛られていたらさまざまな役割を両立することは難しいかもしれない、だけど少し違った視点を持ち込めば、実は当たり前のことでしかないのかもしれない。

そう気がついた瞬間、とっても気が楽になりました。

核家族として孤立するのではなく、地域としっかりと結びついて、互いにサポートしあおう。それが難しければ、インターネット(当時はパソ通)のバーチャルなネットワークでサポートしあおう。

仕事と同じくらい、家庭生活も価値があると心の底から信じよう。

自分でできることを全てするのではなく、自分ですべきことと人に頼むべきことを考え、タスク管理とスケジュール管理をして、上手にアウトソースしよう。

何かのために自分を犠牲にするなんて考えないで、やりたいこと以外はアウトソーシングしてしまえ~。その代わり、私が得意なことを苦手な人がいたら、代わりに引き受けよう。

こんな風に、ほんの少しだけ考え方をスライドしてみたら、いつの間にか、役割バランスの間で翻弄されることがなくなりました。

なので、この言葉がいちばん古い励ましの言葉です。

でも、これって出版社がもとめているタイプの言葉じゃないなあ。う~ん、別の言葉の思い出をまとめて送ることにしようかな。。。。

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杖(ステッキ)が余っていませんか?

山谷の人々に奉仕する会では、毎週日曜日に東京都台東区の玉姫公園(通称 山谷)という場所で、給食活動にあわせて、ホームレスの方々の治療をしています。

毎週300人ほどの方が給食に来られます。彼らが歩いている様子を見ると、足首がほとんど動かせずすり足でしか歩けない方、外反母趾がひどく足を地面につけられない方など、明らかに歩き方がおかしい人の方が多いことに驚きます。ホームレスの90%以上が、何らかの動作障害を抱えています。

飲酒のうえでの事故や、喧嘩などによる怪我もあるにはありますが、実際には土木作業による怪我(労働災害)が原因という方が少なくありません。日雇いで働き、怪我をしたら切り捨てられ、働くこともできずに路上生活になった、という方が、とてもたくさんいます。

作業中にふくろはぎを大怪我しその怪我をかばって歩いていたために(おそらく)コンパートメント症候群になっていると思われる方の応急措置をしたこともあります。この方の場合、怪我で仕事をできなくなった時に、寮を追い出され、貯金もなかったため路上で生活を始めたそうです。

私自身、労災で右手を大怪我した際に雇用主に騙され、それからの半年間の生活に途方にくれたことがあります。店の評判にかかわるから店内で大怪我をしたということは言わないで欲しい。どうせ契約社員は労災を使えないのだから、病院では家で怪我をしたと言うようにと指示され、馬鹿正直にそれを守ったのです。

18-9歳にかけてのこの時期のこの経験が、今の私を作ったともいえるので、恨んではいません。(以前に経緯を記事にしているのでご参照ください。)しかし、それは私の場合、良い方向に転がったからというだけで、多くの労災隠しの被害者は、怪我の後遺症と怪我の期間の路上生活でその後の人生がガタガタになります。

一度路上で生活を始めると、冷えと栄養失調で、あっという間に体はがたがたになります。1ヶ月も路上で暮らせば、膝も足首も曲がらなくなります。

路上生活のきっかけとなった怪我自体もきちんと直していない人も多く、きちんと固定さえしていれば、、、、という骨の変形を頻繁に見かけます。

国や組織に対する不信感で病院には行きたくないという方や、病院に行ってみたけれど治療を拒否された、という人がたくさんいます。

そのため、歩行が困難な人がたくさんいます。彼らに、杖を届けたいのです。

衣類や食糧は寄付で集まるのですが、杖は一般の寄付の呼びかけでは、なかなか集まりません。

そこで、比較的高齢者で杖を持っている人が集まる接骨院の中で、寄付を呼びかけていただけないか、と思い至りました。そのため、複数の接骨院に呼びかけたのですが、とても残念ながら興味をもってくださる院がすくなく、なかなか杖が集まりません。

主旨にご賛同いただけましたら、周囲で杖を使っている方に、予備の杖がないか聞いていただけないでしょうか?

また、A4版のポスターを作りました。学校や会社、教会でこちらを張っていただければうれしいです。(スタッフという文字を、あなたのお名前に書き換えてください。)

http://www.kitanet.ne.jp/~iwan/1st.pdf

誠に勝手ながら、送料はご負担いただければと思います。

送付先
〒114-0013 東京都北区東田端2-8-2  らくらく堂鍼灸整骨院 前田
http://2raku.com/tnp_htabata.html
または
〒111-0022 東京都台東区清川2-18-3  山谷の人々に奉仕する会
http://blogs.yahoo.co.jp/sanyadendousyo

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