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吉原大門の前で小学校の担任に会ったことがある子供が成長すると、、、

私のような大人に育ちます(笑)

私の外見や、普段の仕事内容を表面的に見て、私が青山だとか恵比寿・代官山にいるような誤解をしている方がいるようですが、実際には根っからの下町の人間です。

私は、尾久、荒川、三ノ輪、日本堤、清川といった隅田川沿いの町に生息しています。佐賀の電気が通っていないド田舎で生まれ、その後は隅田川沿いの河川敷で生活しています。

永井荷風、樋口一葉をこよなく愛している、と言えば文学好きな方なら、だいたいの人物像が分かるかと思います。

小さい頃から、河川敷や公園のブルーテントや、昼間から路上で開帳する丁半ばくちは日常的に見かける生活の一部でした。吉原の横を通っていれば、大人に対する尊敬というのはあんまり醸成されないものです。このエリアの子供は、比較的早熟で、そして大人達の二枚舌を知っていますから、あまり大人の言うことを真剣に受け取らない、親をあまり尊敬していない子供が多いのではないでしょうか(苦笑)

山谷の記事を読んで、私がボランティアで山谷で何かをしていると誤解した方がいたようです。そうではなく、山谷は私の生活圏の一部なのです。

しかし、私が小さい頃、山谷(日本堤、清川、東浅草)は日雇い労働者の町であって、ホームレスの町ではありませんでした。

山谷は、日本の戦後の復興を支える労働力の中心でした。出稼ぎ労働者が、集中して寝泊まりをして、短期間で稼いでは故郷に帰っていく。そういう町でした。

活気があって、喧嘩っぱやくて、柄が悪くて、小学生にとっては、怖くて自転車を全力でこいで通り過ぎる、そういう町でした。

それが、私が高校生の頃から少しづつ何かが変わってきました。

そして、バブルがはじけ、その「何か」が何であるかがハッキリしました。

高齢化です。

バブルのさなか、若い労働力は、肉体労働から離れ、比較的楽だと思われる、しかし手に職が付かない仕事を選んで就業しました。結果として、日雇い労働に従事する土木作業員は、急激に高齢化していきました。

そのため、「活気があって、喧嘩っぱやくて、柄が悪くて、怖い」と感じていた町の雰囲気から、少しずつ活気が失われていたのです。

そして、バブルがはじけ、建設着工件数が激減した時、山谷の簡易宿泊所で生活する多くの日雇い労働者達は、簡易宿泊所の費用を支払えなくなり、頼る身寄りがない人たちは、公園や路上で生活し始めたのです。

路上に出てきた彼らを見たときに、激しい高齢化に愕然としました。

これが、私が小学生の頃に吉原(という地名はもうないですが)で女性達をからかっていた人たちと、同じ集団だとは思えませんでした。

その上、東京都は町並みのクリーンナップと称して、地下街や東京の中心地区から、路上生活者を山谷の簡易宿泊所に集め始めました。

そして、今のような、働きたくても今までの過酷な肉体労働や、習慣的な飲酒による深刻なアルコール依存により、働くことができない人たちが集まる町になってしまいました。

東京都や台東区、荒川区は、自立支援と称して技能講習を提供しています。しかし、この講習を受講するためには、文字の読み書きから修得しなければいけない人、まずは身体の痛みを解決しなければいけない人がたくさんいます。しかし、特別予算すら使いつくした台東区には、もうこうした人たちに対して生活保護手当を支給する余裕もありません。

私だけではなく、このブログを読んでくださっている、多くの方が日々歩いている道路、歩道橋はどうやって出来たと思いますか?重機類が入ることができるようになるためには、どうやって障害物を撤去すると思いますか?

今までに暮らしてきた家の基礎工事は、誰がしたのでしょうか?ネコ車をおして、コンクリートを運んだのは誰でしょうか。その人が、その工事で身体を痛めて働けなくなって、今は路上で寝ているかもしれません。

先日、アウトドアスポーツの専門店で冬山登山をする方々とお話をする機会がありました。路上生活の日常を説明したところ、冬山登山の登山隊の方が口を揃えて「自分達の体力では3日持てば良い方だと思う。苛酷すぎる。」と言いました。

冬山登山のエキスパートであっても「健康を維持できるのは3日」と言う生活を、関節に持病を抱える人たちがしています。

この町で暮らすには、2つの方法があります。

朝晩の町を歩く時に、目線を上に向けて、路上を見ず、何か目に入っても、見ないふり、気づかないふりをするという方法。

もう1つが、しっかりと彼らの生活を直視するという方法です。

私の生活の中には、常に路上で寝ている人たちの姿があります。そして、彼らの多くが野良猫の面倒を見て、少ない食糧を分け与えている姿を見ます。

しかし、ホームレスは当たり前ですが天使などではありません。日常的に飲酒をしているため、少しでも腹が立ったり意見が対立すると感情的になり、すぐに喧嘩になります。カッターを振り回し、路上で排泄をし、生協の宅配食糧を持って行ってしまいます。

こういうこと、全てが、私の暮らす町の日常生活の一部なのです。

私という人間ができあがる過程で、この町で暮らしてきたということが与えている影響ははかりしれないものがあります。高度成長経済時に使い捨てにされた労働者達は、私が所属する地域コミュニティの主要メンバーの一員です。

ボランティアというのは、自分と関係のない人たちのために何かをすることだと思います。

しかし、彼らは私と同じ地域のコミュニティのメンバーであり、他人ではありません。

彼らがアルコールから離れ、健康を取り戻し、地域の労働力と消費者として戻ってくるまで、私のふるさとである隅田川河川敷地区の活性化もないと感じています。

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