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2007年9月

心理学者から見た痛みとは

痛みと身体の心理学

身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価

どちらも、精神医学・心理学の側面から「難病」「痛み」を取り上げた良書です。「痛みと身体の心理学」は一時期絶版になっていて、入手が困難でしたが、再版になっています。

どちらも「身体と心がつながっている」ということを理解するために、大変すばらしい書籍です。是非、ご一読下さい。

私は心理学(と聖書)のフィルターをとおして物事を見ます。自分が線維筋痛症にかかったときも、心理学のフィルターをとおして自己分析をしました。ですから、身体が痛むということは「心にも何か関係がある」と考えていました。

ただ、そのことを安易に発言すると「やっぱり線維筋痛症は心の病気なんだ」と誤解されることが恐ろしいので、身体の痛みをコントロールするために心にも目を向けよう、という意味の発言はしないようにしてきました。

身体の痛みと心が関係している、というのは「心が弱い、精神的に問題があるから病気になる」という意味ではありません。あくまでも、本来は機能するはずの免疫力や、休息を取ろうとする本能を押さえつけてでも別のことをさせようとする力が「心」にはある、という意味です。

働く機械として考えると、眠いとか疲れたという本能や免疫力が働くのを押さえつけて労働をすることができる、というのは有能なビジネスパーソンなわけです。でも、生物としてはどうでしょうか?問題ですよね。でも、それは社会生活上身につけた処世術だったり、世間から絶賛される行為だったりするわけです。

ですから「身体の痛みと心が関係している」というのは「心が、身体の痛み(生き物としての本能)を無視させることができる」という意味でしかありません。

とりあえず今は期末でバタバタなので、書籍の紹介にとどめます。

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自分の強みはなかなか分らない

今日はとても久しぶりに、キャリアカウンセリングちっくなことをしています。

コンサルティングファームの管理部門にいた頃は、コンサルタントのキャリア相談やメンター業務が多かったので、一日の大半がキャリアカウンセリング、ということも珍しくありませんでした。しかし現在はリーダー職のシニアコンサルタントがコンサルタントのキャリアカウンセリング・メンタリングをしてくれるので、目標管理設定の時以外は私にはお声がかからず、寂しい日々です。

キャリアカウンセリングをしていると、毎回「自分の強みは自分だけでは見つからない」と思わされます。

私自身も、10代から20代にかけては、教会や会社でいろいろな人から「Lammyとは何者なのか」を考えるサポートをしていただきました。

自分が得意だと思っていること、家族が見ている自分像、自分が希望する将来、こうしたことと「自分らしくいられる職業」というのは必ずしも一致しない場合もあります。

また、自分にとっては当たり前のことが、人から見ると「ものすごいこと」であることも多々あります。

今日お話しをした人は、この3年間「チームメンバーが出社したらスムーズに仕事を遂行できるように」という思いから、毎日始業の2時間前には出社しているのだそうです。

自分で当たり前だと思ってやっていることなので、それがすごいことだとは全く思っていないわけです。

家族も「始業が早い会社だなあ」と思っていたそうで、まさか「自発的に2時間前に出社していた」とは思いもよらなかったようです。

この人、すごいですよね。でも、本人は「自分に何ができるのか分りません」「自分には強みなんかないんじゃないかと思います」と言うわけです。

人は時として「自分にとって当たり前の努力」や「自分にとって当たり前の能力」を「すごいこと」だと認識できません。

私は「コツコツと勉強をしたり物事を徹底的に調べる」ということをすごいことだとは認識していませんでした。夫は「人の肌にふれると、悪いところや悪いところと関連があるポイントの温度が違うということが分かる」ということをすごいことだとは認識していませんでした。

この人にとっての早朝出勤、私にとっての勉強の習慣、夫の指先の感覚のように、誰にでも自分が気が付いていない「すごいこと」というのがあるのだと思います。

私は目標管理面談の時に、面談者本人のことだけではなく他のメンバーのことを「どういう人だと思っているのか」を聞きます。そして、GoodPointであれば本人にフィードバックしています。おそらく、自分では知らない強みに気が付けるのではないでしょうか。(私が始めたことではなく、私が29歳の時の上司がやっていたことをぱくっています。ちなみにインドでは当たり前のしくみなのだそうです。)

こういうフィードバックが自然に発生する仕組みを作るのが、マネジメントや管理職の業務なのだと思います。

残念ながらこういうマネジメントシステムを構築しようという管理者がいない組織に所属しているのであれば、お互いにフィードバックをしあってボトムアップで仕組みになるようにしてみるのも良いと思います。

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残業を許容する雰囲気は、作業の効率化を阻害する

昨日、面白いことがありました。

今週は上期の期末なので、とても忙しいのです。これは私だけではなく、コンサルタント達もみな同じで、年に2回来る業務の繁忙期です。

おそらく日本中の多くの会社員が「期末に連休が続いても休日出勤だよ。何がハッピーマンデーだよ。」と少々忌々しく思っていると思います。

この忙しさの中なので誰もが「業務量が多いことが当たり前」になってしまっています。ですから、残業をしたり休日出勤をすることに対する心理的な抵抗感が低くなっています。

そのため、普段であれば「何とか効率化できないか」と徹底して考える癖がついているコンサルタント達が、安易に残業をして業務量に対処しようとしているのです。

昨日、私の感覚では2時間未満で完了すると思われる作業に対して6時間程度かかるという申請があり、いくらなんでもそれはおかしい、と思って詳しく話を聞きました。

すると、ツール化できる作業を手作業で行なおうとしていることが判明しました(ちなみに、たとえ手作業でやったとしても3-4時間程度の作業なはずなので6時間かかるというのは、作業が遅いか、残業してもいいやと思っていてスピードに対する貪欲さが欠けているのかのどちらかですが・・・・)。

残業したくないという意識がある人で、冷静に考える余裕があれば「何とか作業を省力化できないか」と考えたと思います。自分でツール化の方法を思いつけなくても、誰かに相談してアドバイスをもらうこともできたと思います。

しかし、
・時期的に、忙しいことを許容せざるをえない
・残業してもいいや、というマインドで仕事をしている同僚がいて、自分だけ効率化してもボトルネックの関係上、残業になる

という状況で、普段は行っている「省力化のための努力」をしなかったのです。

この状況を見て「こうして忙しさの負のスパイラルは回っていくのだなあ」としみじみと感じました。

普段であれば残業をしていれば目立ちますから、何とか早く帰ろうとみんなで努力します(努力してくれない人もいますが・・・)。

しかし、期末のように「どれだけ時間管理ができる優秀なコンサルタントであっても残業しなければいけない」量の仕事がある場合は、遅くまで会社に残っていても、ぜんぜん目立ちません。周囲も「どうせ早く帰れない」という雰囲気です。

時期的な問題、同僚の残業に対する意識の低さなどがあいまって、普段だったら「何とか早く仕事を終わらせてやる!!」というオーラがバシバシと出ている人であっても、残業しよう、という方向に流れているのです。

私は日常的には「残業はしない」という大前提でプロジェクトを組みます。しかし「残業してもいいや」という人がプロジェクトに参加していることがあります。そうすると、プロジェクト全体がどんどん遅延していきます。1人の人のマイナスの影響を全体が受けるのです。ですから、時間管理やタスク管理ができない人は、できるだけ早い段階でプロジェクトから外します。このようにして、プロジェクト工数が想定以上に膨らんだり超過勤務が生じることを予防しようとしています。

この対応に対して「残業したいんだったら自由にさせればいいじゃないか」「管理しすぎ」と社内でも批判されていることは十分理解しています。

しかし、今回の出来事をとおして、やはり「残業を当然と考える雰囲気は、効率化に対する工夫を阻害し、結果的には品質も悪化させるから、許容できない」と、しみじみと思いました。

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今日も出張

今日も出張
ここのところ、仕事と学会の両方で出張が重なっています。

東京駅にはこういうお弁当がありますが、地方に行くと「焼き肉弁当」とか「生姜焼き弁当」「かつ弁当」などばかりで、食べられるものが見つからないことがあります。

今日は久しぶりに大都市に行くので、マクロビオティックレストランがあります。夕食が楽しみです

そういえば、一席設けて下さるという申し出に、堂々とお店を指定してしまいました。。う〜ん、まだ会ったこともない方なんだけど、多分、かなりの変わり者って思われましたね。

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ライフスタイルに合わせて仕事を選ぶ

仕事に合わせてライフスタイルを変えることが当たり前だった時代、単身赴任や超超過残業は当然のことでした。介護や子育てといった家族の課題だけではなく、勉強したいとか、趣味に時間を使いたいといった、ライフスタイル的に会社に絶対的な価値をおかない人たちは、滅私奉公を求めるこうした企業に勤務せず、独立したり自由業になったり、とライフスタイルに合わせて仕事を選んでいました。

しかし、近頃は、ライフスタイルに合わせて仕事を選ぶのではなく、希望する会社で希望する業務に従事しながら自分が希望するライフスタイルを貫こうと考える人が増えてきたのではないでしょうか。

私は普段、多様性をとても重視するという視点の記事をたくさん書きます。また、企業に多様性を広げるための活動もしています。ですから、こういうことを書くと驚かれるかもしません。

でも、私は、こうした「希望する会社で希望する業務に従事しながら自分が希望するライフスタイルを貫こう」という風潮を、おかしいと感じているのです。

例えば、私が勤務するコンサルティングファームでは、お客さまにお金をいただいて働く時間(チャージ)以外に勉強をすることが必須です。勉強内容は、必ずしも自分にとって興味があるものだけではなく、お客さまにとって必要なものになります。ですから「自分の興味の有無に関係なく勉強をする」ということと「時間をやりくりして勉強の習慣をつける」ということが必須要件です。定時まで勤務した後で専門学校や大学院に行ったり、週末に学校に通う人も珍しくありません。

自発的な勉強ですから、時間の融通はききます。ですから、チャージで異様なアサイメント(仕事の割り当て)をする上司にぶつからない限り、勉強時間を確保することはわりと簡単です。とはいえ、いくら時間調整が簡単とは言っても、勉強時間をビジネスタイムであると考えると、かなりの時間がビジネスタイムということになります。

私の感覚では、チャージビジネスが年平均で一日6時間程度で、ノンチャージ(自分の勉強と部下の指導)が年平均で一日6時間程度というのが、コンサルタントとしての平均的な平日の過ごし方だと思います。(つまり、一日平均12時間労働という意味です。)

これは自営業や経営者の平均的な労働時間でもあります。コンサルタントはよく「個人商店」と呼ばれますが、労働時間という観点でも、同じような感じだと思います。

一日7-8時間寝るとして、残りは4時間程度です。通勤して、食事して、家族とおしゃべりして家事をして、軽くストレッチや有酸素運動などをしていたら一日は終わってしまうと思います。つまり、コンサルタントという人生を選んだ時点で、趣味は勉強という人生を選んだ、ということだと考えています。

もちろん、そういう人生を楽しいと思う人もいれば、苦痛で仕方がない人もいるでしょう。私は勉強が人生の中心となる生活が苦痛な人が無理してコンサルタントという仕事をしても、成長するのは難しいと思っています。そういう人は、別の仕事を選べば良いのではないでしょうか。

私がしっているある治療家の方をご紹介したいと思います。

彼は、苦しんでいる患者さんのためには自分のプライベート時間が減っても当然だと考えています。実際問題、私自身も、彼の治療院が閉店日である日曜も祝日も、毎日毎日治療を続けてもらったことで、線維筋痛症の治癒を迎えることができました。

自分はスーパーマンではないから、休みの日に家族と約束をしていて、平気で寝過ごして予定をすっぽかしたりしてしまうそうです。だけど、早朝に、子供の肘がはずれたという電話がかかってきたら、眠気は覚めると言います。

ワークライフバランスを考えなさい、とアドバイスをする方もいるそうです。でも、彼にとっての「ライフ」は「治療家であること」なわけです。「治療家であること」が「ワーク」ではない以上、端から見てどう思われようと、彼の中ではワークライフバランスは取れているのだそうです。

私は、プロフェッショナルというのは、本来はこうあるべきなのではないかと感じています。プロフェッショナルといのは「プロフェッショナルであること」は「ワーク」ではなく、「ライフそのもの」と言える人たちのことを指すのではないでしょうか。

私は、自分の経歴をコンサルティングファーム勤務と呼ばずに「プロフェッショナルサービスファーム勤務」と呼びます。それは「プロフェッショナルというライフスタイルを選んだきた」という思いがあるからです。

ですから私は「コンサルタントをしながら、でも毎日2-3時間はだらだらしたい。毎日家でごろごろとテレビドラマを見たい」という多様性を許容する必要はないと思っています。こういう人は、コンサルタントという仕事を「ワークとしてだけやりたいです。ライフスタイルにする気はありません。」と考えているわけです。しかし、プロフェッショナルになりたい、ということは、ワークとライフの区別が曖昧になる、ということなのではないのでしょうか?

しかし現実問題として、「コンサルタントとして働きたいです。でも、9時-5時でお客さまからのチャージビジネスをこなす以外は全部自分の時間として自由に使いたいです。自分の時間には、自分が興味を持てることしかしたくありません。」こういう人が、たくさんいます。

私は「それだったら別の仕事に就けば?」と思います。

「9時-5時でお客さまからのチャージビジネスをこなす以外は全部自分の時間として自由に使いたいです。」ということを許容する職種はたくさんあります。何も、コンサルタントなどを希望しなければ良いと思います。

ライフスタイルと仕事(職種)が一致していなければ、会社側も迷惑ですし、周囲の批判的な視線にさらされ続けるわけですから、本人も自尊意識が劇的に低下しつづけます。ですから、メンタルヘルスという面からも望ましくないと思います。

仕事は、自分の価値観とライフスタイルにあったものを選んだほうが会社も本人も幸せだと思います。

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過労? いえ、多分違います

今日、オフィスの給湯室の扉で左の手のひらを思いきり挟みました。

実は、同じ場所を土曜日にぶつけています。

痣ができて皮がむけているところをぶつけたので、かなりの痛みでした。

こうした怪我をすると、整形外科と東洋医学(整体)の考え方の違いをよく理解できます。

整形外科に行って「ぶつけて擦りむいた」と言ったら、湿布と痛み止めをくれるでしょう。でも、きちんとした整体に行けば「何でぶつけたのか」を探ろうとするはずです。

体の一部をぶつけたり挟んだりするということは、左右のバランスが崩れていたり、体イメージが崩れているということです。

表面的な痣や、打撲の措置だけではなく、この「ゆがみ」の原因を特定しなければ、再発してしまいます。

もしかしたら、過労で体の反応が悪くなっていて、危険を避けられなくなっているのかもしれません。その場合、表面的な症状にだけ対処していたら、大怪我につながるかもしれません。

私は、普段の仕事で「マネジメントシステム」の仕組みの一貫として「根本原因の特定」をするお手伝いをしています。

根本原因の特定が性格の根っこにまで浸透しているようで、自分の体の問題も同じように取り扱おうとします(笑)

例えば、盲腸が腫れたから切ろう、と医者が言っても、盲腸が腫れる原因を考えて、その原因を除去しようとしています。20年苦しんだ慢性盲腸炎は、肉食と牛乳を控えて完全に納まりました。30年間、毎月のように38℃以上発熱し苦しんだ扁桃腺炎は、口呼吸を完全に止めて、耳下腺と胸鎖周辺の筋膜マッサージを毎日するようになって、こちらも完全に納まっています。

さて、今回の左手の怪我の根本原因は何でしょうか。会社の人も読んでいるので「過労だと思うから、休ませてもらおう」と書きたいところですが、実際は違います。

先週の木曜日に、普段は開けてある扉が閉まっていて、暗闇の中でぶつかり、目の下を怪我しました。痛みは取れているのですが、まだ微妙に腫れていて、視野が普段よりも狭いようです。そのため、左の手を動かした時に、普段は見えている角度で焦点が合わずにぶつけているようです。

ということは、普段通りに生活していると、目の腫れてがおさまるまで、左手を怪我し続けることになります。

原因は分かりました。しかし、わりと粗忽な私が、目が治るまで左側に気を付け続けることができるのでしょうか。

多分無理なので、忘れないように左の手に包帯でも巻いて、忘れないようにしておくことにします。(内輪ネタですが、こういうことを「工夫」と言います。分かります?>リーダー職から工夫しろと言われ続けてる皆さん)

おまけ:普段あけている扉が閉まっていたのは、家族と喧嘩をしまして、喧嘩相手が勢いで閉めてしまったからです。というわけで、左手の怪我の本当の根本原因は、かなりの疲労で一分でも早く寝たがっている家族に対して「部屋を片付けろ」と言い続けた、私の思いやりのなさかもしれません。

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得する学歴、ムダな学歴

雑誌の特集見出しです。

一流企業(公務員含む)を目指すための学歴として、どこまで必要かをトピックとしています。

世の中の親たちが興味を持っていることを特集するのは当然のことだとは思います。

とは言っても、10年後の産業構造や技術水準がどうなっているのかという仮説が一切なく、現状の積み上げで論を展開されても、何の参考にもしようがないのではないのでしょうか。

論理展開がいい加減な記事を読みたがる大人たちに将来を口出しされ続ける子供が、どういうキャリアビジョンやキャリアイメージを持つようになるのか、興味深いです。

また、論理矛盾がある仮説を押し付けて、しかも予測が外れ場合(まず間違いなく外れるでしょう)、親はどういう責任をとるのでしょうね。

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あいさつ運動

ある会社の受付でぼーっとしていたら、軽やかな音楽とともに女性の声のアナウンスが始まりました。

ただいま○○(会社名)では、あいさつ運動を推進中です。

「おはようございます」は「今日も一日一緒にがんばりましょう」という思い、

「ただいま戻りました」は「良い仕事をしてきました」という報告、

「お疲れ様でした」は「今日も一日ありがとう」という思いを伝える言葉です。

私たちは、あいさつで、すばらしい会社を目指します。

といった内容でした。

こちらの会社の社員の方々は、このアナウンスや「笑顔運動」というワッペンを「恥ずかしい」とおっしゃっていましたが、私は「いいなあ」と思いました。

ベタといえばベタな活動ですが、こういう活動をしなければ、職場に来ても「おはようございます!」と元気に挨拶をすることができない人が多いというのが、多くの職場の現状なのではないでしょうか。

また「おはようございます」と挨拶をしている人がいても、顔も上げずにパソコンのモニターに顔を向けたまま、口先だけで「おはようございます」と返事をしている人も多いのではないでしょうか。

朝の顔色は体調や精神状態を推察する良いバロメーターです。また、外出先から帰ってきたときに、どういう口調で「戻りました」と言えるかで、仕事がうまくいったのか何か問題があったのかを推察している管理職は多数いるはずです。

が、残念ながら挨拶などの基本動作ができない人がたくさんいて、具合が悪いのかしつけがなっていないのか分からないことが多々あります(苦笑)。

私が勤務しているコンサルティングファームにかぎらず非製造業で「あいさつが行われるように工夫したい」と思っても、ワッペンやポスター・アナウンスは行いにくいでしょう。挨拶の重要性を認知していても、できる工夫にたかがしれています。おそらく、総務部門が社内掲示板やイントラネットに掲示をする程度だと思います。

たしかに多少気恥ずかしい思いはありますが、社内の雰囲気を明るくするために、いろいろな選択肢があるというのは良いことだなあと感じました。

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静岡駅の待合室

静岡駅の待合室
東海道新幹線の静岡駅の待合室です。

温かい豆乳(メニューにはないですが、どの店舗でも出してくれます)を買って、ノンビリと新幹線を待ってます。

アメリカのスターバックスだと豆乳にも、ソイラテと同じように砂糖が入っていて強烈な味わいですが、日本だと「ごく普通の調整豆乳」の味がします。

ところで、砂糖入りの豆乳って、おいしいと感じる人が多いのでしょうか。

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ひどすぎる

通勤途中に院外処方薬局があります。今朝、この薬局の前を通りかかったところ、燃えるゴミの袋がありました。

中身は、印字エラーになった処方箋と薬袋でした。

氏名と処方薬が全て読めます。

中には、デパスやリタリンという文字もありました。

私が住んでいるマンションの方がクラリチンを処方されていることも分かりました(クラリチンで良かった、というべきでしょうか?)。

薬局の人に写真を見せて注意したのですが、アルバイトのと思われる女性は「ちゃんと破ってますよ」と言っていたので、印字エラーになった処方箋を4つに破って捨てるというのは毎日の標準業務手順だったようです。

私とその女性が話しているのを見て、奥から出てきた薬剤師が、事情を察して外からゴミ袋を回収してきました。この薬剤師が言うには「シュレッダーはあって、スタッフには患者さま名が入っているものは全てシュレッダーするように指示している」とのこと。

指示するだけで結果を確認しないという、典型的なマネジメントシステムの欠陥ですね。

ゴミ袋の写真を撮りましたが、アップできるものではないので、担当保健所に送って削除しましました。(保健所は近日中に現地に行くと行っていました。)

これが一般薬局の患者さまへの意識ということなのでしょうか。ひどいですね。

さて、朝からこんなことをしていて、私は出勤時間に間に合うのでしょうか(苦笑)

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コメント大歓迎、でも

いつもお読みいただいて、ありがとうございます。

このブログでは、記事へのコメントを大歓迎しています。疑問に思われたことやご意見など、自由にコメントしていただければと思っています。

ただ、お願いしたいことがあるのです。

コメントをされる方、ブログを読まれる方にはいろいろな立場の方がいます。

ご自分が書かれたコメントをほかの方が読んで、不愉快になったり、心底傷ついたりしてしまうことがないか「投稿」ボタンを押す前に、少しだけ自分以外の人の立場になってコメントを読み返してみてください。

ビジネスは社会「科学」ですから反証可能性があって、討議すべき内容だといえます。ですから、このブログがビジネスのことだけを書いているのであればこんなお願いはしなかったと思います。

でも、実際には検索サイトやWikiなどからこのブログにたどりつく方は、ビジネス関係、クリスチャン関係よりも「線維筋痛症関係」の方が多いです。

病気に対して興味を持っている、という方だけではなく現在進行形でこの病気で苦しんでいる方も多数読まれています。

以前このブログにも書きましたが、この病気に対しては世間の誤解はまだまだ大きく「単なるなまけ病」「肩こり程度で仕事を休むな」など、病気の痛みだけではなく、日常生活の中で本当に嫌な思いをするという精神的な痛みも抱えている方が大半です。

ですから、病気に関するコメントをしてくださるときは、こういった方々が読んでいるのだ、ということを覚えておいていただけないでしょうか。

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注意されたという事実を無視する人

相手が何回か同じ失敗を繰り返した場合、口頭ではなくメールで注意をするようにしています。

口頭で伝えても相手はその場しのぎの言い訳でごまかそうとすることが多いため、記録に残る形で「根本原因の特定と改善策の提出」を依頼しないかぎり恒久措置が出てくる可能性が低いためです。

しかし、残念ながら、書面で注意されるまで改善しない人というのは、このメール自体を無視する確率がとても高いのです。

自分よりも職位が高いラインの上司に注意をされると返信しているようですが、自分と同じ職位だったり、自分よりも職位が低い、または人事評価上のラインが異なる場合、メール自体を無視して一切返信をしない人が多々います。

特に、職位が高い人ほどこの傾向が顕著です。職位が高くなればなるほど、周囲は本音を隠してちやほやします。表情や口調、コミュニケーションスタイルなどは、一定の職位になってしまうと注意してもらえる機会はほぼ皆無になります。

若い頃からサービス業に従事して徹底的に訓練をされてきたというわけでなく、言っての年齢になってからサービス業(コンサル含む)やサービス業界の間接部門に来てしまった場合「現場の若手にとって当たり前のことを経営陣や上級管理職が出来てない(=現場が上級管理職を尊敬しようがない)」という状況が起こりえます。

この状況で的確なマネジメントを行うことは困難です。ですから、本当であれば上級職になればなるほど、注意をしてくれる人というのは、金銭では得難い存在なはずです。

一昨日、ある学会で個人情報の取り扱いの一部に危険な行為がありました。そのため、事務局にメールをしたのですが返信がなく、事務局長にメールを出し直しました。すると、その日のうちに注意に対する感謝と、再発を防止するために学会事務局メンバーへの教育をしてほしいという返信がありました。

この事務局長は、ビジネス誌を購読している人であれば、おそらく名前を言えばご存知の方が多い著名人です。

即返信があって驚いたとメールしたら「誉められたら1週間、怒られたら1日以内に返信するようにしています。注意されて返信しないということは、直す気がない、相手とコミュニケーションを断ち切りたいと思っていると判断されるのを覚悟するということだと思います。」という主旨の返信がありました。

こういうふうに考えられるから、ある分野で第一人者になれるのだなぁ、と感心しました。また、このように考えられるからこそ、周囲に誤解や不満を生ませずに組織をマネージすることができるのだろう、と感じました。

と同時に、この半年ほどで、特定の人に送った注意メールを立て続けに五回連続して無視されているので、この事務局長の考え方に沿うと「本人に直す気がない」のか「Lammyとコミュニケーションを断ち切りたい」と思っていると判断したほうが良いのかなぁ、と考えてしまいました。(5回も無視されてたら、いい加減注意するな、という意見があるのも分かってはいるのですが・・・・・)

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江ノ島に来ました 続き

江ノ島に来ました 続き
江ノ島に来ました 続き
今日は20匹位のネコに会いました。

ご飯だ〜、と駆け寄ってくる子が多いのに、ご飯をあげても興味を示さず「それよりも、撫でて欲しいよ〜」と言うように、私の手の甲に頭をこすりつけて来る子が二匹いました。

一匹は、撫でてもらった後、しばらく私の足元に丸くなって休んでいました。

人間に撫でてもらう気持ち良さや安心感を知っている地域ネコ(野良猫)の大半は、もと飼い猫です。

土産物屋のおばさんが「この子は捨てネコなんだよね」と言っていた子は、店頭でお腹を出して寝てました。こんな風に、安心できる場所を見つけられた子は良いですが、多くの子達は、かなりオドオドと暮らしていました。 また、車がいない代わりにトビがいます。子猫が生き延びるのは大変そうでした。

江ノ島は、都心に比べると、確かにネコにとって暮らしやすい場所だと思います。

でも、意地のの悪い人もいるし(実際、一人のおじさんに嫌がらせをされました)、休日は子供が多くて安心して寝られないようでした。

島に入ってすぐの道脇に「地域ネコの去勢手術・不妊手術のための募金箱」が置いてあります。

江ノ島に行かれたら、ぜひ、少しでもご協力をお願いします。

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江ノ島に来ています

江ノ島に来ています
ネコにご飯をあげに来ました。

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祖父の命日に思い出したこと その2(人の上に立つ覚悟)

病院で、あまりにも急なことで呆然としている私に、周囲の大人が「Lammy、考えてもみてごらん。おまえは、おじいちゃんが誰かの世話になったり、呆けて変なこと言うのを見て耐えられたのか?」と言いました。

それを聞いていた病院の看護婦さんが「ごめんね、Lammyちゃん、申し訳ないけど、今までずっと看護婦をしてきたけど、私はそんなおじいちゃんのことは看護はできなかったと思う。」と言いました。

これを聞いた母が泣きながら激怒していました。

「他人にとってのおじいちゃんと、家族にとってのおじいちゃんは全然違う!」と怒鳴ってました。

でも、実はその時に私が感じていたのは、周囲の大人に対する怒りでも、祖父を亡くした悲しみでもありませんでした。

なぜだかとても淡々と「人の上に立つということは、こういう風に思われるということなんだ」と考えていました。

人の上に立つということ、自分の夢のために周囲を巻き込んで組織をある方向に率いると言うこと、ビジョンを描き集団を統率するということ、そのためには知識やノウハウなどという小手先のことではなく「全身全霊でリーダーにならなければいけないんだ」ということを、皮膚感覚としてひたひたと感じていました。

祖父は決してスーパーマンではなく、家族にとっては問題が多い人でした。しかし、家族としてではなく、組織のトップとして考えてみると、確かに優れたリーダーであったのだ、ということを認めざるをえません。

組織における精神的な支柱であり、組織規範の生き写しという存在。

例え本人が目の前にいなくても、その人のことを思い出すと背筋がピンと伸びる存在。

反対に、困難にぶつかっても、その人のことを思い出すと「何とか助けてもらえる」と安心する存在。

さまざまな意志決定で悩んだときに「あの人だったら何て考えるだろう?」と自然に思い出される存在。

リーダーというのは、そういう存在だと思います。人の上に立つということは、場当たり的な対応ではなくて、その人の人格そのものを周囲がリーダーと認めることができる人になる、ということなのだと思います。

さて、私はどうでしょう。

16歳の私にとって、周囲が寄せる期待が重苦しく「こんなものは私は背負えない」と思いました。私は祖父の葬儀の日に「私は組織のトップにはならない」「こんなものは背負わない」と決意しました。

あれから20年以上が過ぎました。

私が所管するチームのメンバーには、心の底から申し訳なく思いますが、正直に書きます。

今でも同じように思っています。私はリーダーにはなりたくない。あんなものは背負いたくない。今でもそう思っています。

一方で、就業時間中に平気で酒を飲む管理職、組織における精神的な支柱になることを拒否する組織長、組織規範を作り上げることを「単なる間接部門の書類仕事」としか考えない経営陣に対して、心の底から怒りを感じる自分がいます。

組織のメンバーにビジョンを示し、そのビジョンのために小手先の表面的な言葉ではなく、全身全霊を捧げようとしない「自称リーダー」を見ると、何かしなきゃなあ、と感じる自分もいます。

嫌だという思いと、何かしなければ、という思いの狭間でゆれながら、10年もリーダー職をやってきたことになります。

いつか吹っ切れて「組織のトップになってみよう」と思う日が来るのでしょうか。それとも、このままなのでしょうか。

祖父のことを思い出すと「人の上には立ちたくない」と心の底から強烈に思ったことを一緒に思い出します。この記憶が薄まるのは、なかなか難しいように感じています。

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祖父の命日に思い出したこと その1

「店に戻りなさい、お客さまが入ってくる。」

祖父の最期の言葉でした。

享年82歳、私は当時16歳でした。

駅で倒れ、病院に運ばれて、意識がないまま2日後に亡くなりました。駅の売店の店員さんが駆け寄ってくるのを見て言った言葉が最期の言葉でした。

「活字を手に取ろうとしている人の邪魔をしてはいけない」と言い続けた祖父らしい最期の言葉だと思います。

収入、障害、国籍や民族に関わりなく、あらゆる人に学習のチャンスを届けたい。

収入に関係なく「自分の教科書」を持つことができる幸せ。兄弟のおさがりではなく、自分の名前を教科書の書き込むことができる幸せ。

収入に関係なく、誰でも新刊を読むことができる幸せ。

図書館まで歩いていけない場所にも来てくれる移動図書館や宅配図書館。

目が不自由な人が希望すれば無料でつく朗読ボランティアが配備された図書館。

祖父が夢見たことが、今の日本では「当たり前」になりました。

しかし、その弊害として「何で勉強しなきゃいけないの?」という子供(と大人)が大量生産されました。

必死になって獲得した権利を、平気で捨てる人たち。

それは、仕方がないことなのだとは思います。しかし、今あるものが当たり前ではないのだ、誰かが戦って獲得したものなのだ、ということは語り継いでいきたいと思います。

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セミの雨宿り(?)

雨風の影響を受ける時間が最短と思われる4を選んで帰ってきました。

帰ってみたら、リビングの床の上に、こんなものがいました。

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元セミと思われます。

セミは昆虫なので、頭と胸と腹の3カ所があるはずです。でも、これは腹の部分がありません。

大雨と風を避けて我が家に逃げてきたところを捕まったのか、それとも大風で庭にたたきつけられたところを我が子達に拾われたのか・・・・・

腹部はどこにあるのかなあ。部屋のどっかにころがってたらやだな。でも、ないってことは食べちゃったってことだしな。

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台風で足止め

自宅から2.5キロくらいの場所で、台風で足止めをくらっています。ここから我が家までは

  1. 歩く(35分くらい)
  2. 自転車(15分弱)
  3. バス停まで15分歩いてからバス(トータル25分くらい)
  4. 駅まで5分歩いてから電車(トータル40分くらい)
  5. 別の駅まで5分歩いてから電車に1駅乗ってバス(トータル30分くらい)

という帰り方があります。

自転車が一番早いのですが、この台風の中、自転車で帰る勇気はありません。歩くのも絶対に無理(パソコンを持っていなければ歩くという選択肢も考えますが、私は大丈夫でもLet'snote君が無理だと思います)。

そうなると3から5が選択肢になります。

バス停ですぐにバスが来てくれるなら3という選択肢なんですが、ふきっさらしのバス停でバスを待つのは結構大変そう。

さて、どうやって帰ろう。それとも、風がおさまるまで、このままスタバで仕事してるかな。

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週休3日制のプロフェッショナルサービスカンパニー

上場を検討中の週休3日制のプロフェッショナルサービスカンパニーを経営している友人がいます。

スタッフの一人が育児休業制度に基づいて、1年間の育児休業を取得するのに伴い、育児介護休業制度を変更し「一年以上、最高で休業取得時の勤務年数まで休業できる」に改正しようとしています。

しかし、監査法人と証券会社から「ただでさえ週休3日制という不利益があるのに、優秀と想定される社員ほど不在期間が長くなる制度まで導入されたら、株価が下がるから株式引き受けが難しい」と、大変あからさまに嫌がられたそうです。

現在日本市場に上場している企業で週休3日制を維持しているのはイーキャッシュのみです。代表取締役のブログによると、週休3日制にしたからといって生産性が下がったと言うことは全くないようです。

毎年報道されていることですが、日本の労働生産性は他の先進国と比較すると著しく低いです。工場の生産性の高さを考えると、この生産性の低さはホワイトカラーが主原因であると考えられます。ですから、この低さのままでオフィスワークが主のプロフェッショナルサービスファームが週休3日制になれば、それは確かにステイクホルダーにとっては大問題でしょう。

しかし、ここまで低いということは、言い換えれば「効率性が高い企業で週休3日制にしても、競争力に差が出ない」ということを意味します。

私は、ビジネスパーソンとしての始めの11年間を、主にアメリカとオーストラリアの会社でアメリカ資本の企業を担当していました。その後に日本資本の企業担当に異動し、現在は日本資本の組織に所属しています。

日米の経営には、一長一短があります。どちらからも学ぶべき点はあります。

しかし、ことホワイトカラーの労働生産性という点では、日本企業から学ぶものは、ほとんどありませんでした。スピード感と集中力、無駄を省く仕組みという点で、米豪企業と日本企業は大人と小学校ほどの違いがあります。例えば会議の効率性という一点を取り上げても、同一時間の会議からのアウトプット(意思決定件数など)は数倍の差があります。

私が知っていりある日本企業の会議では、数時間集まって、課題は認識したけれど誰が何をするかは1つも決まらなかった、ということが珍しくありません。正直なところ「こんな会議ならアジェンダを配って終わりにして」と思います。日本企業の労働時間の長さ、生産性の低さは、他の先進国での勤務経験があると直感的に理解できます。(理解したからといって巻き込まれる気はないですが。)

労働生産性を高く保つ仕組みを導入した上で週休3日制にしても、平均的な日本企業とは十分に闘えます。ただ問題は、労働生産性が高い組織で働いたことがない人がこの違いを理解して株式を買ってくれるか、ですよね。

日本でも質が高いSRIファンドができて、労働生産性が高く、お客様にも従業員にも感謝されている企業が高く評価される仕組みができあがることを切に希望します。

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外面 内面

今朝の通勤電車で、斜め前方にアライアンス先の幹部社員がいました。

社員証をつけたまま、大声で携帯で話してます。話し終えると、網棚にあった週刊ジャンプを取って読み始めました。

ちなみに、話している内容は某社のレイドの構成でした。英語で大声で話していて、いかにも「英語自慢」的で、かなりみっともなかったです。

見た目という点からも、ワイシャツは第二ボタンまでだらしなく開けています。

普段からそんなにマナーが良いという印象はない会社ですが、幹部社員がこれじゃあ、スタッフを躾るのは難しいでしょうね。

内面と外面が違うのはある程度は自然なことですが、品格やマナーというのはにじみ出て来ますから、外面だけを良くすることはできないと思います。

この姿を見たら「当社が監視してないと、お客様先で何をしてるか分からない」と感じるので、少なくとも私は一緒にビジネスをしようとは思わないです。

自分自身が商品であるという自覚がない人にプロフェッショナルだとか、コンサルタントだとか名乗らないで欲しいです。

写真を撮ったのでアップしようかと思いましたが、顔がはっきりと写りすぎているのでやめておきます。

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学会に自転車で行ったら

今日から明日まで、所属している学会の年次大会が明治大学で開催されています。

組織心理学や経営論の学会は、学問畑の人だけではなく産業界の人も多いため土日開催か金曜日から始まって日曜日に終わるという学会が一般的です。(組織心理学会とぶつかったので参加しませんでしたが、先日ブログにお書きした選択理論心理学会の年次大会も今週末にありました。来年はぶつからないで欲しいものです・・・。)

しかし、基本的に土曜日は学校で日曜日は教会の私にとってはあまり有り難くありません(発表をせずポスター参加のみの言い訳をしやすいので、ついつい手抜きをしてしまう、という点でもあまり有り難くないかも)。

今年は幸いにして、学校から自転車圏での開催だったため久しぶりに参加しました。

ただ、盲点だったのが明治大学で自転車置き場をなかなか見つけられなかったことでした。しかも、学校に行くときのラフな服装に自転車だったので、警備員さんが学会に来たという説明をなかなか信じてくれず、身分証明書まで見せないといけませんでした(苦笑)。

自転車に乗ってる人も随分増えて来たんように思いますが、まだまだ地位は低いですね。

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