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違っていても大丈夫・・・かな?

先日、仕事の関係で前職の同僚と上司と会いました。2人とも、現在は大手コンサルティングファームの取締役をしています。

仕事が終わって別れる際に「名刺交換しよう」ということになりました。2人とも、上述のとおり大手コンサルティングファームの取締役です。しかし、名刺の肩書きは「マネージャー・システム監査人」と「マネージャー・公認会計士」でした。一方、私の名刺のタイトルは「ディレクター」だの何のと、いろいろくっついています。

2人は私の名刺の肩書きを見て「ディレクターになったの?」「大丈夫?」「可愛そうに」と声をかけて「お茶飲んでこー。ちょっと話そうよ。」と誘ってくれました。(その後の予定が詰まっていたのでお茶は飲まずにそのまま別れましたが。)

次の会議への移動の道中、不覚にも、涙が込み上げてきました。そして、今自分が、どれほどストレスを感じているのかを自覚しました。

数年ぶりに会った人であっても、一緒に仕事をして、私の性格や気質を理解していれば、私にとっては現在の肩書き(=職責)が快適でも最適でもないことが推察できるわけです。

私はマネジャーという「組織をマネージする」立場に強い誇りと自信を持っています。また、組織方針を自分で作ってディレクションするというスタイルのマネジメントではなく、メンバー全員で話し合って運営方針を策定するというスタイルを採用しています。そのため、前職でも「ディレクター」という肩書を使うことを強く忌避して、結局使いませんでした。

二人とも、私が仕事において大切にしていることや私がワクワクすることが何であるかを覚えていてくれたので、ディレクターという肩書を見て「嫌がっているだろうなあ」と推察してくれたのだと思います。

世間的には、コンサルティングファームのディレクターはマネジャーよりも偉いのだと思います。しかし、私にとってはこの肩書はちっとも嬉しくないし、むしろ自分が仕事においてもっとも重視していること(=ディレクションしないこと)を軽んじられているようで、悲しくなる肩書きです。(そのため、親しい友人はご存じのとおり、近頃はCSR関連やその他の会合で別の名刺を使っています。)

悲しいことですが、現職においては「私が働きたいと思うインセンティブが何であるか」を理解している人は一人もいません。

選択理論心理学では、人間にはだれにでも5つの基本的欲求があると考えます。「生存」「愛・所属」「力・価値」「自由」「楽しみ」の5つの欲求です。各欲求の強さは脳の構造によって決まっており、変化するものではないと考えます。基本的に、誰でもこの5つの欲求のすべてを有しているものの、欲求の強さのパタンは人によって異なります。また、欲求を充足させる方法は人によって異なり、基本的欲求のパタンが同じだからと言って、同じ行動を採用するわけではありません。

給与や肩書によって鼓舞されるのは人並み程度には「力・価値」の基本的欲求がある場合です。

先日の選択理論倫理学の講座で「後だしじゃんけんをする」というゲームをしました。「後だしじゃんけんで相手に勝ってください」とお願いするとスムーズに勝てるのに、「負けてください」とお願いするとかなり頭を使わないと負けることができない、基本的に人は「勝ちたい」という欲求がある、という解説でした。

しかし、私はこの解説を聞きながら「あーやっぱりなあ」と自分で自分の特異性をしみじみと感じていました。小さい頃から、人に負けたくない、勝ちたいという感情がほとんどなく、試験の順位にも成績にも全く関心がない子供でした。「○○ちゃんはあれだけできるのに」などと親に言われても「だって、私は別の子だもん」とあっけらかんとしていまいた。成績表にも興味がないし、試験でどれほどよい順位であって「あっそー」という感じでした。教師も親も、あまりの淡白さにあきれはてていました。

大人になった今でも、人と自分を比べてうらやましいと思ったり、自信を持ったりということがまったくありません。私は私、人は人、それぞれ違っていておもしろいね、という感じです。

今はちょうど目標考課の時期なので、コンサルタントのスキルを並べて点数をつけています。私自身も売り上げやその他の貢献を比較して、点数をつけられています。多くのコンサルタント達が評価の点数に一喜一憂してることは十分理解しているので、真剣に評価していますが、実は私自身は人と比較して評価されても、全く感情が動きません。ですので、本音で言えば「ある局面で発揮するスキルの一部をきりとって点数をつけているだけなんだから、そんなに深刻にうけとめることないんじゃないの?」って思っています。とはいえ、とっても真剣に評価はしているので、コンサルタントとして成長したい、という前提があるのであれば真摯に受け取ってもらえるとうれしいですが。。。

ところが私自身は、このブログでは再三書いているとおり、コンサルタントとしてのキャリアビジョンもなければ、会社で出世したいという思いもないし、世間に名前を知られたいという思いもないわけです。そもそも世間に対しても周りの人に対しても「影響を与えたい」という欲求が働きません。

ですから、5点満点で4.5だとしても2.5だとしても「ふーん、そうなんだ」という状態です。上司としてははなはだ管理しにくい部下なわけです。(ごめんなさい。。。心から申し訳なく思ってます。)

じゃんけんの実験では「勝つのも負けるのもどっちも同じ」に感じました。

ビジネス人生で何度も降格・左遷にあっていますが、実は精神的なインパクトは微々たるもので「組織管理上、降格する必要があるなら、まあ仕方ないなあ」という感覚で受け入れていました。また、自分の価値観を人に受け入れてもらいたい、という感覚も乏しく「私が私の価値観を持ち続けることを邪魔しなければ、あなたが私と違っていても全然OK」と感じます。研究もコンサルティングも大好きですが、その結果を広く世間に知らしめたいという思いはなく、何度すすめられても本の執筆に気が乗りません。

小さい頃からの行動パタンや現在の志向性を考えると、私は「力・価値の欲求」が大変低いようなのです。ですから「生存の欲求」が満たされる程度(=生活できる程度)の給与以上に給与が増えても別に嬉しくないし、肩書きがついたからといってうれしくもないわけですし、世間的にはショックだといわれる降格・左遷に対したショックを受けないようです。

もちろん、信仰があるから何とかなるという思いがあることも事実ですが、これは信仰というよりも生まれもった気質に依る方が大きいと思います。

よく勉強する子供でしたし、今でも研究・勉強・仕事どれもしているほうだと思います。でも、それは「楽しい」し「喜んでくれる人がいる」からしているだけで、仕事や勉強の結果を人がどう評価するかは実はあんまり関係なのです。

また、多様性を生かした組織作りのための活動をしていますがこの価値観を周りに広めたいという強い思いがあるわけではありません。「あなたの価値観を認めるから私の価値観も認めてね」「最終責任は自分でとりますから、私をコントロールしようとしないでね」という「自由」でいたいという欲求が強烈に強いために「多様な組織が私にとって必要」なのです。

前述のとおり、基本的欲求は5つあります。「生存」「愛・所属」「力・価値」「自由」「楽しみ」です。私の欲求のプロフィールは、「生存」欲求は人並み、「愛・所属」と「楽しみ」がやや強め「自由」がMAXで「力・価値」がMINだと思われます。

多くの組織のトップマネジメントは「力・価値」の欲求が強く、出世競争に勝ち残ってきた人たちです。現在の勤務先の経営陣の多くが日本を代表する大企業で一定の成果を上げてきた人たちで「力・価値」欲求がきわめて高い人たちです。この欲求が高ければ「良い影響を人に与える」ことに対しても熱心になれるわけで、マザーテレサや高名な理論家・政治家などはこの欲求を「良い方法で満たした好例」といえます。つまり、この欲求が高いことは悪いことではありません。組織のトップとしては、自然なことだと思います。

しかし、問題なのは彼らの多くが「力・価値」欲求が高くない人に対する欲求充足の方法を知らないことです。給与をあげても、タイトルをあげても喜ばない人がこの世にいるのだという事実を理解できないことです。

冒頭で紹介した元同僚と上司は、「力・価値」欲求が高い人たちだと思います。何冊も著書を出し、自分の名前を売るということに時間とエネルギーを割いています。しかし、私がそういうことに興味がないことを理解していました。そのため、元上司は私に対して感謝の念を表明するためには、いろいろと工夫をしてました。

  1. 「管理しなくてもちゃんと成果あげてくれたから、どこでどういうスタイルで仕事してもいいよ」と言って、完全自宅勤務を制度化して私に適用することで「自由の欲求」を満たしてくれました。
  2. コンサルティングサービスや共同研究をとおして法則性や理論を見つけてツールづくりをするという仕事を与えることで「楽しみの欲求」を満たしてくれました。
  3. 常に業務改革や組織改革関連の人事業務を与えることで「愛と所属の欲求」を満たしてくれました。
  4. 常に気を配っていることを態度と言葉で伝えることで「愛と所属の欲求」を満たしてくれました。
  5. 「あんまり興味ないだろうけど」と言って、一応出世もさせてくれました。

人には個性があります。それぞれ気質も違っていて、自分がうれしいと思うことを人がうれしがるとは限りません。

元同僚と上司の二人を見ていて「自分と違っていても相手を受け入れて、そしてケアすることができるんだなあ」ということを改めて思い出しました。

選択理論心理学の講座の中ではこのことをたくさん感じました。でも、実生活の中でこのことを実感したのはひさしぶりだと思います。

違っている私を認めて、そしてケアしてくれてありがとう。同僚にも上司にも恵まれていたんだなあ、としみじみと感謝する出来事でした。それと同時に、私という個人の特性を理解している人が職場に一人もいないこの1年間がどれほど私にとっては大きなストレスであるのかを、しみじみと実感してます。

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