« コンサルティングサービスの品質を判断する | トップページ | アルコールが壊すもの »

できない役割をできないと言う選択をする

私たちはいろいろな役割責任を負って生活しています。

人によって役割は違いますし、役割に対する重要性の重みづけも異なります。また、役割をどの程度細かく定義しているかも異なります。

家庭も会社も人の集まりですから、お互いが自分が重視している役割責任だけを遂行しようとすれば、当然、コンフリクトが発生します。組織の多様化によりワーキングスタイルが異なる人が増えれば、想定もしていなかった役割責任を重視している同僚が増えますからコンフリクトが大きくなりがちです。多くの組織がコンフリクトマネジメントの自信がなく、多様化を恐がるのも理解できます。(だからと言って、自分の能力の低さを理由に管理放棄して良いのかは別問題ですが)。

しかし、最大のコンフリクトは他人との役割責任の違いではなく、自分で認識している役割が 明らかに自分の能力や体力気力を越えていて、こなすことが不可能な時に発生する自分の中でのコンフリクトではないでしょうか。

各種手帳術や時間管理術の本を読むと、多くの役割のバランスをとって何とかこなしていく方法がかかれています。確かに、工夫のノウハウを知らない人が読むことで役に立つことも多々あります。しかし、一方で「工夫さえすれば何とかできるんだ」という幻想を与えてしまっているのではないかと感じることもあります。

人の能力には限界があります。もちろん、のびしろはあるし、いずれはできるようになることもたくさんありますが、少なくとも、今日現時点ではできない、ということはたくさんあるわけです。

バリバリ仕事をしてきて、職場でさまざまな役割を負っているときに結婚をして妻・夫という役割を新たに担ったり、子供ができて親としての役割を負ったとします。または、一般社員の時に結婚して子供ができて、ある程度これらの役割のバランスをとることはできていた時に、管理職に出世したとします。

ワーキングママを対象とした記事では「100点を目指さないで、会社員として60点、母親として60点だとしても両方あわせたら120点なんだから」ということがかかれています。確かにそのとおりです。しかし、母親として60点でも母親業を首になることは少ないですが、現在の日本の会社の慣行では社員として60点では大変に居心地が悪く、やめざるをえない状況に追い込まれることも少なくありません。ですから、どうしても、社員としての点数をできるだけ増やして、家族生活にしわ寄せを与えるという選択肢をとるか、社員としての役割を放棄する(退職する)ことになりがちです。

男性の場合は、社員としての役割を放棄するという選択肢をとる方は大変に少なく、当然のこととして、家族生活にしわ寄せを与える人が大半です。

また、社員という役割はいくつかの役割から構成されます。たとえば私の場合は、クライアントに対してサービスを提供するコンサルタントとしての役割、チームをマネジメントするという役割、チームメンバーを教育するという役割、営業マンとしての役割などがあります。多くの方が外部折衝の役割(私の場合はコンサルタントと営業マン)を重視し、その他の役割にしわ寄せを与えがちです。

そして、家庭生活でも仕事生活でも、しわ寄せを与えている人は自分のしていることを「仕方ないこと」「家族・部下は受け入れなければいけないこと」であるという前提で振る舞います。それは、今までの日本の教育がそうであったし、世間もその前提で動いているのだから、自分一人が別の役割を重視しようとしても他人が認めてくれるはずがない、という想い(と事実)があると思います。

しかし、私にはこうした想い(事実)を受け入れなければいけないという理由が全く理解できないのです。なぜかというと、こと仕事に関して言えば、できない役割は放棄すれば良いと考えているからです。

たとえば、コンサルティング得意だけどコンサルタントを育成することが苦手な人がいたら、得意なことに特化して、苦手なことは人に補ってもらえば良いと想っています。また、たとえば人事部門には、大きく4つの役割(人材採用、労務管理、リテンション(退職引き留め)、制度企画)があります。この役割をすべてこなすことができないのであれば、委譲できる業務は現場や外部委託先に委譲して、絶対に自分がやらなければいけない業務にだけ特化すれが良いと考えています。

たとえば、仕事での役割責任が大きすぎて、仕事だけではなく家庭での役割責任も果たせなくなっているとします。そうしたら、どちらの役割も放棄して、ゼロクリアで新しい生活を始めるという選択肢だってあると思っています。

家庭での役割責任を果たすために仕事での役割責任を減らせば、給与が減ります。たとえば時短をとって育児をすれば給与が減ります。給与が減るということは責任が減るということですから、堂々と仕事での役割責任を減らせばいいと思います。周りの同僚がどう思おうと、給与をもらっていないのですから、早く帰ることに罪悪感を感じる必要などありません。また、給与を支払っていないのですから、罪悪感を感じさせるような言動をとることはおかしなことだと思います。

たとえば、管理職としての責任が重すぎて担いきれないと感じているのであれば、スタッフ職に戻るという選択肢があります。高度成長時代と異なり、管理職はありあまっているし、反対に手を動かすことが出来る人は採用しにくい時代です。組織の中でのポジションが下がるという選択肢をしても良いのではないでしょうか?

つまり、仕事関連の役割責任というのはアウトソースしたり、給与自体を減らすという選択をすることで、放棄したり軽減することができるものだと考えているのです。

一方、家庭での役割責任を減らすとどうなるでしょうか?というか、そもそも、家庭での役割責任って減らせるものなのでしょうか?家事労働自体はアウトソース可能です。しかし、家庭での役割責任は「家事労働者」だけではありません。妻としての役割、夫としての役割、親としての役割、これらは軽減したりアウトソースすることができるものなのでしょうか?ましてや、仕事関連の役割責任の大きさを理由に、軽減したりアウトソースするということが可能なものなのでしょうか?

私は、違うと思っています。

もちろん、役割責任を果たすこと=時間をかけること、ではありません。一緒にいる時間が少なくとも、相手を思いやり、一緒にいることがうれしいというメッセージを発することはできます。しかし、仕事での役割責任が大きい方の多くが、家庭での役割を果たすべき場で「自分のことで精一杯」になり、自分という役割のメンテナンスをすることでいっぱいいっぱいになってしまいます。例え家族と一緒にいても、自分のこと(または仕事のこと)しか考えていない状態では、夫や妻・親としての役割を果たしているとは言えないでしょう。

もちろん、あらゆるバランスを常に上手にとることはできません。ですから、どこかにしわ寄せがいくことは多々あります。しかしそのときに「今は余裕がないから、しばらくこの役割を放棄させて」と相談することもなく、「自分がしている行動の優先順位は世間的にみたって妥当なんだから受け入れろ」という態度を一方的にとり続けてはいないでしょうか?

あなたが採用している役割責任に対する対応は、日本で普通に生活していると、周囲から自然と学び、当然のこととして身につけた価値観かもしれません。しかし、その考え方は、本当に正しい優先順位なのでしょうか?

父の学校 http://blog.goo.ne.jp/harvesttime/e/523de624f8cef3ecfc9ed6a82a20fa0b

ファーザリングジャパン http://www.fathering.jp/

私は、職業生活というものは、給与を減らすと言うことで役割責任を減らすという選択が可能だし、日本で暮らしている限り、いざとなったら生活保護を受けてでも暮らしていくことは可能であると考えています。また、私自身が親の破産(と病気と死亡)を通して、生活に困窮して生活保護を受けた経験からも、家庭と仕事で仕事を優先しなければいけないという経済的な事情は、よほどのことがないかぎり、発生しないと感じています。

しかし、家庭と仕事で仕事を優先するのは前述のとおり今までに培ってきた価値観だけではなく、そのほうが楽だ、という事実があります。仕事と家庭での役割では、絶対に、仕事での役割の方が簡単です。それは、どちらのほうが、多少なりとも論理的に動けるか、手順書細分化して管理できるかを考えれば明らかです。

このブログでは何度も書いていますが、私が現在の勤務先に転職した理由は、当時のCTOが「優秀なコンサルタントというのは、よい家庭人でなければいけない。絶対だ。」と言っていたからです。

私も、その通りだと感じています。家庭人としての役割を果たすことはとても難しいです。正直なところ、私自身、家庭がうまくいっているとは言い難いことの方が多く、その難しさを毎日痛感しています。家庭人としての役割を果たすことができるほど、気持ちの切り替えが上手で、タスク・スケジュール管理、モチベーションマネジメントが上手であれば、世間的には難しいと言われているプロフェッショナルサービスであっても、簡単にこなすことができると考えています。

ですから、そろそろ、価値観を切り替えてみませんか?あなたが持っている価値観は、日本が軍国社会を突き進み、戦後の経済復興をするために必要だったから、社会単位で植え付けられた価値観です。あなたがその価値観を持っていること自体は、自然なことだとおもいます。しかし、時代は変わりました。アメリカ社会は、9.11のインパクトによって、多くの猛烈サラリーマンが家庭に回帰しました(詳しくはこちらの本の日本語訳者序文をお読みください。私が昨年に呼んだ本の中ではベスト5に入る良書です)。しかし、あのような悲劇がなければ、価値観を正常に戻すことができない、などということは、悲しすぎます。

仕事と家庭両方の役割責任を果たすことができそうになかったら、例え男性であっても、仕事での役割責任を放棄する、減らしてみるという選択肢をしてみませんか?ずっと、とは言いません。まずは一週間、いえ、明日から始まる週末の2日間だけでも結構です。家庭人として、自分が果たしてみたい役割を全力で果たしてみませんか?そして、そのことを通して身につけた、気持ちの切り替え能力や、タスク・スケジュール管理、モチベーションマネジメントを職場で発揮してみませんか?

食べるために働いている。家族にために働いている。そんな勝手なことはできない、という心配もわかります。しかし、本当にそうでしょうか。

果たそうとしても果たすことがでいない、家庭人としての役割の難しさに「どうせ出来ない」と思って、逃げているだけではないでしょうか?

でも、もしもそうだとしたら、仕事と家庭の役割責任には大きな違いがあることを知ってください。

職場で「できない」と言ったら、できる方法を考えたり、誰かに変わってもらう方法を考えることになります。出来ないことを出来るという人はただの困ったちゃんなので、出来ないと言い出すことはとても良いことです。が、結果的に、誰かに役割責任を負わせなkればいけません。

しかし、家庭での役割責任は違います。家族に対して「できない」と言うこと、そのこと自体が、実は役割責任を果たしたことになるのです。家庭は、ビジネスをする場ではありません。気持ちを交換しあう場です。ですから「自分が果たしたいと思っている役割を、今は果たすことできないんだ」という思いを伝えることで、ほとんどの役割は果たしたことになるのです。まずは、できない、ということを認めてみませんか?そして、そのことを家族に伝えてみませんか?

もしかしたら、あなたが「自分が果たしたいと思っている役割を、今は果たすことできないんだ」と伝えても「それでもやりなさい!」というような泥仕合になってしまうかもしれません。でも、それはすでに、家庭が気持ちを交換しあう場ではなく、労働力を交換しあうビジネスの場となってしまっているからです。家庭をビジネスの場にしたのは誰でしょうか?仕事のために家庭での役割にしわ寄せを与え、役割責任を果たすことを軽視してきた人ではないでしょうか?

ですからまず、家庭では、家庭人として振る舞ってみてください。できないことは出来ない、出来なくて苦しい、と伝えるところから始めてみませんか?

そして、その上で、まずは週末、次に1週間、少しずつ、自分の価値観を疑ってみてはどうでしょうか?

|

« コンサルティングサービスの品質を判断する | トップページ | アルコールが壊すもの »

仕事に対する考え方」カテゴリの記事