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明日、退職する覚悟で仕事をする

年度末です。一年間に行ったプロジェクトのワークロードの予実管理をしています。コンサルティングファームの主要原価は人件費、つまり管理対象は各コンサルタントの労働時間数です。

プロジェクトをはじめるときには、誰が何時間を要するかを見積もり、この時間に各コンサルタントの単価を掛けてお客様への請求金額を計算します。

当初見積もりよりも実際にかかった時間数が長ければ、残業代+オフィスの水道光熱費+通信費+法定福利の会社負担分が増額となります。2時間残業して残業代を1万円もらったとすれば、会社が実際に負担している金額は、2万円から2万6千円程度というのがコンサルファームの相場でしょうか。

つまり、よほど採算性が高いプロジェクトでもないかぎり、残業は著しいコスト増、という労働集約型ビジネスの典型です。

一年を振り返ると、プロジェクトの予実がほぼ同程度の人と、常に短時間の人、常に超過している人がいます。常に短時間の人というのは、本人の努力というよりは、未知の業務に対して過大見積りをする傾向がある人であって、過大見積りに基づいてお客様に見積もりをしています。会社にとっては得ですが、お客様にとっては損を与えています。ですから、今までの実績に基づいて、過大見積りにならないように、見積もり時にコントロールをする必要があります。このパタンは、上司さえしっかりと数値管理をしていれば、早期に気がついて、本人に自信をつけさせてあげられれば、比較的簡単に修正できます。

難しいのが、常に超過している人です。プロジェクトマネジメントが悪くて超過しているというパタンもありますが、だとしたら同一プロジェクトでその人だけが突出して超過するというこはありません。明らかに、本人のメンタリティや考え方の癖が原因です。何人もの人たちを見ていて、1)から3)のパタンが多いように思います。

1)明らかに所定時間以内に完了しない業務量をお客様から依頼されても断らずに受けてくる

2)お客様の要望水準ではなく「自分が納得できる水準」まで成果物の品質を高める

3)お客様の要望しているものではなく「自分が作りたい」と思ったものを作って提出した結果、お客様から作り直しを要請される

私は、考え方の癖が直るには最低1年程度はかかると思ってます。ですから、こうした癖がただちに直るとは考えていません。長時間労働が会社に与えるマイナスの影響を説明しつづけ、納得してくれるのを待ちます。しかし、一年 経っても、全く改善しない人がいることも事実です。

先日、あるコンサルタントと話していて気がついたのですが、業務時間が超過し、改善しないコンサルタントの多くは「いざとなったら休日出勤や徹夜してでも間に合わせるさ」と考えているようです。初めから、残業してもいいや、と思って働いているわけですから、所定時間以内に終わるはずがありません。

しかし、実際に本人が超過勤務をして業務を終わらせているわけではなく、実際には周りがフォローをして終わらせているわけです。時には、こういうパタンの人が病気になったり、家族が病気になることもあります。本人は残業をいとわないかもしれませんが、サポートしてくれる同僚が残業を厭わないとは限りません。ただでさえ、自分の仕事に追加で、同僚の仕事を負うのに、その同僚が残業を想定して仕事をしていたら、どうなるでしょう?

ハッキリ言っておきますが、こういう人は、ただの迷惑です。

このブログでは何度も書いていますが、私が初めてサラリーマンになった時、私の父は末期癌で病院と自宅を行ったりきたりでした。いつ病院から呼び出されるか分からない状態でした。その後、ほかの家族も病気になったり、学生と会社員を両立させたり、と常に仕事以外の役割責任を負ってきました。こうした役割責任を果たすため、

「明日、急に休んだとしてもほかの人に移管できる程度には仕事を可視化しておく」

「今すぐに私が退社したとしても自分がマネージしている組織の人件費と必要間接コストをまかなえるだけの営業上の仕込をしておく」

「今すぐに私が退社したとしても、お客様に迷惑をかけないレベルのコンサルタントを育成しておく」

上記の3点を、自分に義務付けてきました。そうしなければ、業務の品質を維持することは不可能だったからです。

ずっとこの会社にいるつもり、ずっとこの仕事をするつもり、だから自分には関係ない。そう思う人が多いことでしょう。その覚悟はすばらしいと思います。しかし、現実は違います。親はどんどん年をとります。自分だって、配偶者も、子供も、親族も、親友も、いつ倒れるか分かりません。

私の身におきたことは、誰にでも起きうることです。

「家族が倒れた、子供が生まれた、だから今までと同じ働き方はできません」「自分が病気になるなんて想像もしてなくって、、、」「妻がこの年で癌になるなんて、思ってもみなかったんです」

家族が倒れる心痛は、本当によく分かります。ですから、こういう「想い」を軽視するつもりは、全くありません。

しかし、社会人としては、それではいけないとおもいます。家族の病気や怪我というのは、不測の事態などではありません。いつだって、誰にだって起こりえる、身近な現実です。仕事と家族の両方に対して責任を果たして生きたいと考えているのだとしたら、青天の霹靂だというスタンスになってしまうことのほうが、大きな問題です。

こういう事態が発生したときに、可能な限り、自分にも家族にも同僚にも負荷をかけないように業務と私生活を設計しておくということは、社会人である以上、義務なのではないのでしょうか?

私には、働き方、仕事の種類、会社の立地、住む町、子供の学校、こうしたことを選ぶ基準軸(価値観)がブレているように感じる人が多いのです。たとえば、「家族の誰かが病気になった時に、ヘルパーさんなども使いながら、自分たちらしい介護・看護をできるか」「自分が倒れてもお客様に迷惑をかけずに業務が進むか」と考えているとは考えにくい生活スタイル、業務スタイルの人があまりにも多いように感じるのです。

日本の少子化の原因を「長時間労働」であるという記事を読んだことがあります。確かに、長時間労働は家族に対する責任を果たすという視点からも、良くないことだと思います。しかし、私はそれだけではなく、長時間労働を前提とした業務スタイルは、仕事の品質とゴーイングコンサーンという点でも、マイナスでしかないと考えています。

それに「明日は会社に来られないかもしれない。」という覚悟で仕事を続けていると、著しいスピードで業務スキルが身につきます。ですから、育児や介護をしながら業務をしている人って、総じて優秀で業務の可視化ができていると思っています。

ですから、本当に突然辞めるかどうかは別としてこういうスタンスで仕事をすることは、とても大切だと思います。

ただ、これはあくまでも「執行役員以下」にだけ適用すべきスタンスだとも考えています。それ以上の上級管理職は、常に3年先を考え、社長は10年先を考え、そのための投資をすべきです。

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