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2007年2月

夜の新宿 山手線

とても久しぶりに 週末の夜に新宿にいました。
今 山手線の中です。

一滴もアルコールは飲んでいないのですが、電車の中にいるだけで 酔いそうです。うー気持ち悪い。

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生のトマトも消化できないようだ

私は、赤身の肉の脂を消化することができません。正確に表現すると、消化できなくもないのですが、消化をするためには、多大なエネルギーを消費するため、大変に体力を使い、疲れてしまうし、胃腸も疲弊するので、食べると体調が悪化します。このことは、小さい頃から、赤身肉を食べてから2-3時間で胃が重くなるので体感的に理解していました。

チーズを食べると同じような症状を呈する家族もいます。

日本とアメリカでは同一ブランドの市販薬の成分構成がかなり異なります。これは、薬事法が異なるというだけではなく、主に人種による消化酵素の違いが原因です。しかし、消化酵素の構成は、実際には人種だけではなく、かなり個体差が大きいです。

ここ数年間、青汁しか飲んでいない青汁オバサンという人の消化酵素を調べたら、動物性たんぱく質を分解する酵素がほとんどなく、かなり牛に近かったというデータを見たことがあります。この方の場合、生まれつき草食動物に近い酵素であったのか、完全菜食を続ける中で変質していったのかは不明です。

近頃のBSE騒動を見るまでもなく、草食動物である牛に肉を食べさせるというのは異常な行為です。牛は、草だけを食べてあの大きな体を維持することができるように創られているのであって、肉を食べる必要などありません。同じように、草食動物とほぼ同じ酵素しか持たない人に乳製品や肉を食べさせるのも異常な行為ですし、不必要な行為です。

私の場合は、乳製品を効率的に活用してたんぱく質に変えることが出来る体質です。ですから、アーユルヴェーダの考えにあるように「チーズは完全食!」と言ってチーズばかり食べていても、多分、元気でいられます。しかし、具合が悪くなる人もいます。反対に、焼肉屋で霜降り肉を山のように食べても元気一杯な人もいますが、私は具合が悪くなります。

これは、好き嫌いの問題ではなく、単なる体質の違いです。

日本の学校給食は、アレルギーでもないかぎり、体質に合わない食べ物を食べることを強制します。何でも食べることが正しいことだと教育します。しかし、体に合わない食べ物を数十年食べ続けたら、どうなるのでしょうか?アレルギーが悪化したり、自律神経のバランスが崩れるのは当然なのではないでしょうか?免疫力も下がりますから、さまざまな疾患にかかりやすくなるとも思います。

イギリスの総合病院に行くと、自然療法科(総合化、初診という名前の場合もあり)という科があります。そこでは、フィジオセラピストと呼ばれる人達がいます。フィジオセラピストは、ホメオパシー、ハーブ、マッサージ、鍼灸、カイロ、整体といった幅広い代替療法と、運動生理学、解剖学を学んだプロフェッショナルです。日本の代替医療制度とは異なり、医療制度の一貫として扱われていますので、保険が使えます。体質確認のために血液検査や毛髪検査、MRI、CTなども活用して生まれ持った気質と体質・現在の体質を確認するところもあります。

彼らは、患者さんの体質を確認しながら、まずは食事や運動などの側面から生活を立て直すことで慢性疾患や不定愁訴を解決できないかを探ります。そこでも解決できない場合に、薬剤投与という方法を選択します。

イギリスの総合病院と日本の総合病院で75歳の女性に対して処方している薬の種類を比較すると、日本はイギリスの3倍以上という統計数値があります。日本の保険制度が破綻する原因の一つが、高齢者への薬剤の過剰処方です。その解決策の一つとしても、イギリスの取り組みは参考になると思います。

などと偉そうに書いていますが、何のことはない、実はこの体質検査をやりたくてやりたくてたまらないんですよ(苦笑)。

本当は、この検査をしなくても、体に合っている食べ物と合っていないものは、かなり把握しています。多分、自分の理解と検査結果はそれほど差がないと思います。でもね、やりたいんだなあ。

今までは、イギリス・アメリカ・ドイツなどに行かないとできなかったんだけど、いつの間にか日本でもこの検査をする施設ができてるんです。

ウェブサイトを見ると、

●自分に合う食材、合わない食材(肉、魚、野菜、飲み物、調味料、サプリメントほか)
●自分に不足しがちな栄養素
●自分に起こるストレス反応と対処法
●自分に合った運動法
●なりやすい病気とその予防法
●体内時計と睡眠のバランス

などが分かると書いてあります。主催者はイギリスの自然療法科で働いていた日本人のようです。

し・か・し、高~い!!

イギリスで受ける3倍近くの単価です。健康保険が使えませんし、検査を受ける人も少ないでしょうから、固定費(フィジオセラピストの人件費と臨床検査器具)を考えると、この値段になるのは当然だとは思います。思いますが、なかなか、あっさりと出せる金額ではないです。

今週に入ってから、疲れていると生のトマトを消化するときに胃に負担がかかっていることに気がつきました。他にも、多分、苦手な食材やハーブがあるはずです。

保険、どうして使えないんだろう。この検査を保険使ってやらせて、体調に気をつけるようにさせたら、生涯医療支出は激減すると思うんだけどなあ。

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オーブンを買いに行ったけど

オーブンを壊してしまいました。

魚を焼いていた時に、魚を包んでいたアルミホイルの一部が破れていることに気がつかず、フィッシュオイルがオーブンの熱源にボタボタと落ちてしましました。頑張ってあらってみようとしたら、熱源に水が入ってしまったらしく、今度は温まらなくなってしまいました。

このオーブンは、前職を退職する際に同僚がくれてものです。(前職の職場に、私が自宅からコーヒーメーカー等を持っていって寄付していたので、そのお返しにもらいました)。とても大切なものだったので、自分のミスで壊してしまって、がっかりしています。

成形パンを焼くので、温度調整が出来ることとと、釜内が均一で同じ温度に保てること(熱源が下にしかないタイプは×)、蒸し料理を作る頻度が高いのでスチーム機能があることが条件です。

この条件で調べると、実売で3万5000円くらいから18万円くらいまであります。数千円の違いであれば、ブランドや使っている石の違いなどで説明がつくのですが、ここまでの価格差がいったいどこからくるのか、全く分かりません。

店員さんに質問すると、いろいろと答えてはくれるのですが、少しでも高いものを売りつけようという考えがミエミエで言っていることがどこまで正確なのか、信用が置けませんでした。

私自身、会社員としてのメイン業務は営業です。業務時間の約8割が営業活動です。売上責任も有りますし、もちろん、数字上の義務も負っています。ですから、物やサービスを売ろうという気持ち自体は良く分かります。しかし、お客さまが必要としていない機能を売りつけたり、誤解を与える表現を使ってまで、営業をしようとは思いません。

売上責任を達成するために、自分の倫理観を犠牲にしようとは思えませんし、そんなことをする必要もないと思ってます。こういう考えを声高に主張すると、そんな綺麗事を言うな、と言われそうですが、長い目で見て、自分の倫理観に従って提案・営業活動をし続けている人の方が、生涯売上高は格段に高いと思います。

機能やサービスの範囲を適当にごまかしたり、できもしないことを出来ると言う営業(コンサル含)をたくさん見てきましたが、当然のこととして、そういう人はリピートオーダーの率が格段に低いです。また、適当なことを言ってしまうので、製造部門やコンサルの現場から信頼されず、その人が取ってきた仕事を誰もやりたがりません。

大手量販店数件に行ったのですが、信用できる売り子さんと一人も会えませんでした。ネットの口コミサイトに書き込めば必要な情報は得られるとは思いますが、それって、何か変ですよね。

こういうレベルの店員しか置けないから、サービスで差をつけることができず、価格競争になっていくんだなあ。だから、家電量販店は薄利多売しか生き残る道がないんだなあ、ということが良く分かる出来事でした。

数千円から1万円程度のコンシェルジュ費用か、ポイントカードのポイントで、客観的な立場から買物アドバイスをしてくれる家電のプロのようなサービスをしている人(またはお店)というのはないのでしょうか?

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何故働くのか

人にはそれぞれ、働く理由があると思います。家庭で働く、会社で働く、フリーランスで働くなど、働き方にもいろいろあります。

私は、大学在学時代から一貫してベンチャーカンパニーで働いてきました。収入という面から考えれば外資系金融に行った方がはるかに高額の収入を得られます。ポジションという面から考えれば、執行役員や取締役としてのお誘いもありました。ネームバリューという面から考えればベンチャーにいるはずもありません。気楽さという点でも、やりたいことを実現できるという点でも、フリーランスになるほうが間違いなく快適です。フリーになっても、今の収入と同じだけを稼げる自信もあります。

しかし、現時点では、これからも組織の中で働き続けたいと考えています。それは、私が「未来からの留学生」だからです。未来のあるべき日本の姿を想定し、それに向かっていくために、未来から現代に留学してきた学生として、藤沢市遠藤というド田舎から送り出されたからです。

未来のあるべき姿を描き出し、起業という道を選んだ友人もいます。大企業や、官公庁を内側から変えるという道を選んだ友人もいます。アーティストとして、世に向けて歌い続けている友人もいれば、スポーツ選手として夢を持つ大切さをプレーに込めている友人もいます。

私は、既存の枠組みとは違う組織となる可能性がある創業期の組織を選び、その組織が必要としているスキルを提供する、という道を選びました。ずっとコンサル業界にいますが、実はコンサルティングにはこだわりも興味もありません。「経営陣とそこに集まっているメンバーの思考の柔軟さ」を重視した結果、ずっとコンサル業界にいることになった、というだけです。それは、思考の柔軟さが欠けていては、既存のビジネスの在り方に引きづられ、新しい労働の在り方を考え、実現し、世界に向けてメッセージを発信することは出来ないと考えたからです。

繰り返しになりますが、私はコンサルタントとしてのキャリアには興味がありません。コンサルタントとして出世することも、世間に名前が知られることも興味がありません。私が働く原動力は、私が所属する組織が世間に対して新しい働き方の枠組みや組織の枠組みを発信できるかどうか、というただ1点です。

現在の勤務先に入ることにしたのは、当時のCTOが飲みながら「優秀なコンサルタントは家庭人としても優秀でなければいけない、絶対だ」と言っていたからです。こういう発想をすることができる人とであれば、面白い組織が作れるのではないかと考えました。

未来の働き方、それがどういうものであるか、まだハッキリとした姿が見えているわけでは有りません。日々、走りながら考えています。しかし、それでも「向かってはいけない方向」であるかどうかの区別はつきます。また、「向かってはいけない方向しか選択することができない組織」とそうでない組織の区別もつきます。(組織は生き物なので、日々この方向も変わりはしますが・・・・)

ベンチャー企業のビジネスが拡大する方向には2種類あります。1つ目が、いつか大きくなって、既存の大企業と同じようになりたい、という方向。2つ目が、大きさよりも、ビジネスのフレームワークや組織のフレームワークで独自性を発揮していきたい、という方向。私が支援していきたいと考えているのは、この2つ目の方向を選んだベンチャー企業です。

1つめの方向を選んだ組織が、いくら高額を提示しても、どれほど高いポジションを提示しても、私は働きません。私にとっては、働く意味がないからです。今ある社会制度や枠組みの延長として組織をとらえ、ゆくゆくは既存の大企業と同じようになりたい、と考える経営方針の下で、私が働き続ける、という選択肢は、ありえないのです。しかし、2つ目の方向に沿ったビジョンを実現できる仕事であれば、無報酬でも喜んで働きます。(だから、CSR関連の仕事は安価または無報酬でやっています。)

もしかしたら、家族の都合とか、健康上の理由など、いろいろなことでこの前提を放棄せざるをえなくなるかもしれません。しかし、少なくとも今は、家族も友人も、こういう姿勢を見守ってくれています。だから、もうしばらく、わがままを貫かせてもらいたいと思っています。

加藤寛先生、高橋潤二郎先生、関口一郎先生 孫福さん、今、私がやっていることを見たとして「よくやっている」と言ってくれますか?それとも「金のために働いてるのか?」と叱責しますか?近頃、よく考えています。

SFCに対して、世間はいろいろと評価しています。私にとってのSFCは「未来を創る大学―慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)挑戦の軌跡」に書いてあるとおりの場所です。よろしければ、ご一読下さい。

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TRIFLE

友人が「TRIFLE」というタイトルのブログを運営しています。

『「とるにたらないこと、ありあわせのもの、たわいないもの」そんな名前のお菓子に寄せて』とブログに書いてあるので、お菓子の名前であることは知っていたのですが、どんなお菓子なのかは知りませんでした。

出張先で、とうとう見つけました。ちょっと、嬉しい。

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出張申請を書きながら、うんざりしています

出張するたびに「出張申請」なる書面を作って会社に提出します。紙かデータかの違いはあっても、どの会社でも同じような申請が義務付けられていると思います。

この書面を出すたびに、心の中で軽くうんざりします。それは、日本の労働法の限界というか、前提を思い知らされるからです。

ご存知のとおり、「出張の往復時間は業務時間外」です。判例法でも、労働基準監督署の見解でも、同じ結論が出ています。つまり、日本の労働環境における一致した意見ということになります。ですから出張手当というのは会社が「好意で」出してあげているお手当てなわけです。

「移動時間は好きなことに使えるのだから業務時間ではない」という解釈は間違いではないと思います。しかし、この考え方には大きな欠陥があります。それは「労働者には仕事以外にもしなければいけないことがある」という前提が忘れられているということです。

移動時間中に食事を作ることはできないし、部屋の掃除をすることもできません。ましてや、家族に投薬をしたり、子供を寝かしつけることができるはずがありません。

こうした機能を代替するためには、1日あたり6000円から15000円程度を支払って、ハウスキーパーやベビーシッターを雇わなければいけません。家族に外食させるのであれば、その費用も上乗せです。

子育てや介護をしている人が出張できない、というのは嘘だし、そういう目で見られるのは大変に迷惑です。そんな目でみるのは、配慮ではなく、単なる蔑視です。しかし、こうした人達が出張をするとコストがかかるということは事実です。

例えば、就学前の児童を3泊4日の出張に連れて行くと、4日間地元の保育所に臨時預かりで預ける金額と、ホテル代が追加コストです。しかし、この場合は「子供と向き合う時間を削る」というヒッドゥンコストはかかりません。ですから、多くのお母さん達は長期出張に子供を連れて行くわけです。

しかし、子供がいる男性社員はどうでしょう?おそらく、連れて行かないですね。それは、「家族から子供と向き合うという機能を期待されていない」ということもあるとは思いますが(そして、それはそれで、大変 情けないし、悲しいことだとも思いますが)、最大の理由は「日本の労働制度は、労働者というのは会社以外では働いていないという前提で組み立てられているから」だと思います。

日本の就業規則には世界的に見て労働界七不思議とも思える不思議な条項があります。それは「副業禁止条項」です。業務時間外に何をしようと勝手なはずなのに、就業時間以外に対する拘束を就業規則でしているわけです。しかも、この条項に対して裁判所は「違憲であるか合憲であるか現時点では判断できない」としています。その理由は「そもそもこの条項は労働者の過労を防ぐためにあるから」だそうです。

ここ半年間ほど、こうした日本の労働制度を「当たり前のこと」としか考えてこなかった方々とご一緒する機会が多々あります。彼らからしてみると、会社以外で就労義務を負っていないということは「当然のこと」です。そして、私からしてみると会社以外で就労義務を負っていないということは「家族としての責任放棄」です。また、「継続的に学習する姿勢の放棄」とも感じます(時間外に大学院や語学学校に通うという前提が皆無な発想なので。)

しかし、日本の労働制度を考えると彼らの考え方を国は「当然のこと」と考えていることは明らかです。

労働基準法は労働者を守るための制度なはずです。しかし、こうした労働基本法ですら、企業戦士を前提として作られているのが、日本の現状です。少子化は、当然の帰結でしかありませんね。

出張申請を書くたびに、心の底からため息がでる今日この頃です。

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