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2007年1月

不都合な真実

映画「不都合な真実」見ましたか?

映画の感想はまた後日。とりあえず、バナーを張っておきますので、是非公式サイトを見てみてください。

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今までの候補者の中で、一番大統領になって欲しかった人は、もう政治に興味がないようです。

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気管支炎になりまして・・

麦門冬湯を飲んで、大人しく寝てたんですが、治らないのでのハーブティーを作って飲みました。

気管を広げて、咳を沈める効能を持つハーブを11種類(ユーカリ、ティーツリー、エキナセア、カモミール、マロウブルー、ツタアニス、パセリ、ジンジャー等)混ぜて、強めに煮出し、2時間おきに200ミリリットルずつ飲用。見事に、1日で咳はとまりました。

多分、英国・独逸だとここまで効能が強いハーブティーを家庭で勝手に作って飲むには、プラクティショナーの処方箋がいると思います。(市販の漢方薬が効かない気管支炎を止められるハーブティが家庭で作れる国、って何か変ですよね。)

でも、残念ながら、咳のしすぎで喉を痛めてしまって、声が出ません。痛み止めのハーブ(リコリスやアーニカ)を飲めば、痛みは和らぎますが、痛くないのと治ったのは全く違うので、とりあえず痛み止めは飲まず、粘膜を回復させるネトルやシソを飲んでます。

でもまだ、声を出すと激痛がします。うーん、不便。

それに、これだけ喉が荒れている状態で町を出歩くと、マスクをしていたとしても、タバコの副流炎で咳き込んで、咳喘息状態になってしまいます。

勤務先と最寄の駅の間の道は喫煙マナーがひどくて、朝の通勤だけで洋服にタバコの臭いがしみつきます。この2年間、いろいろなルートを工夫してみましたが、オフィスの立地上、煙害にあわずに出社することは不可能です。

一応、渋谷区にも歩行喫煙禁止条例はありますが、区が守らせようと強い態度に出ない限り、なかなか守られないものですね。

それに、道だけではなく、会社のある敷地の喫煙マナーもひどく、喫煙場所ではない建物の入り口の直前で喫煙をしている人がいるため、煙を浴びずには建物に入ることができません。会社から一歩出るとタバコの煙に取り巻かれます。

どう考えても、この喉の状態で出社したら悪化します。

中央区(銀座のど真ん中)、千代田区(内幸町と神保町)、港区(神谷町)で勤務していたときのことを思い返しても、どこも、ここまで喫煙マナーはひどくありませんでした。区の問題なのか、恵比寿という土地柄なのかは分かりませんが、恵比寿にオフィスが移転してから、オフィスに寄った日は、必ず洋服がタバコくさくなります。

なんで、恵比寿が「住んでみたい街ランキング連続3年ナンバー1(HANAKOより)」なのか、私には全く分かりません。何でなんだろ?マナー悪い町だけどなあ。

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スキル・知識の陳腐化が始まった業界で生き残るには

今年に入り、大手ヨガスタジオの閉鎖が続いています。ヨガスタジオが増える一方で、ヨガ人口がなかなか増えないことが原因です。

残念だとは思う一方、仕方ないなとも思います。

NYでは、ヨガはライフスタイルの一環として生活の一部になりました。しかし、それはあくまでも予約不要、1回1000円(8-9ドル)、インストラクターの宗教背景を入り口に掲示し安全性をアピール、という事情あってのことです。

日本でヨガをライフスタイルの一部とするには、ヨガスタジオの料金はあまりにも高価すぎます。

では、週に1度程度行うエクササイズと考えるとどうかというと、ラグジュアリーナスポーツ施設と考えるには、あまりに施設が貧弱であったり、スタッフの教育が行き届いていません。(熱心さは分かるもののサービスの本質をはずしていたり、ホスピタリティとおせっかいの区別がついていなかったり・・・)

また、宗教が身近になかったインストラクターが大半なので、宗教と哲学の区別がつかない発言をすることも多く、受講生がぎょっとすることも多々あります。(実際、仏教系宗教団体が経営しているヨガスタジオなどもありますし・・・・)

また、こうしたスタジオ側の事情だけではなく、日本でヨガブームを担っている世代(20台後半から30台半ばの女性)にとっては、ここのところ景気が回復してきたので、次々と目新しい遊びが出てくるし、豪勢な遊びに行く機会も増えてきた、というのも理由のひとつだと思います。

昨日の情報セキュリティの記事と同じことなんですが、どの業界であっても、専門家教育がビジネスの主流になった時点で、その業界はビジネスとしては衰退傾向にあると考えられます。

基本的に、国家資格で守られていない場合、専門スキルというのは陳腐化します。限られた人が持っていたスキルや技術を元にコンサルティングをする、という形から、そのスキルや技術を不特定多数の人に書籍やセミナー・資格制度などで提供する、というように知識は広く流通し、いずれは、常識となるわけです。

ヨガスタジオの多くが、高価なインストラクターコースを併設するようになりました。インストラクターコースのベーシックコースには、ほとんどヨガをしたこともない生徒もたくさんいます。どう考えても、現在のヨガスタジオにそれだけの求人キャパはありません。ですから、ヨガインストラクターを養成するという目的というよりは、主たる収入源であると考えられます。

しかし、こうしたビジネス環境にもかかわらず、受講生が増え続け、顧客満足度も高いスタジオもあります。なにが違うのでしょうか。

ここ半年間で良い評判を聞く機会が多かったのは、UTLと神南プラクティスでした。神南プラクティスはあまりホームページが充実していなかったの、UTLを参考に考えてみました。

まず第一に、値段。やはり安いです。特に、熱心に通い続けたいと考える会員にとっては、他の大手スタジオの約半額です。

それから、ブログをみてみると、スタッフ教育にも配慮しているようでした。私が以前、尊敬していると書いた門川義彦さんの笑顔教育を受講しているようです。ということは、おそらくスタッフ教育もしっかりとしているのでしょう。

また、インストラクターコースの最上級コースとして、スタジオ開設指導をするコースを追加してあり「ベーシックコースを受ければインストラクターになれるかも」という幻想を抱かせるスタジオよりは良心的だと思いました。

そして、ホームページにはしっかりとインストラクター・スタッフが宗教勧誘をすることを強く禁止している旨が表記されています。宗教団体がヨガスタジオを隠れ蓑にすることが多いということを知らないスタジオもあれば、隠したがるスタジオも多いなか、これはとても公平な態度だと思いました。

問題は、この料金設定で、サステイナブルなビジネスとして成り立つのか、ということですね。ちょくちょく、ビジネス動向を確認していきたいと思います。

ホームページを見て初めて知ったのですが、なんとこのスタジオのディレクターは私も良く知っている人でした。某スタジオから移ってたんですねえ。知らなかった。

2年ほど前、私がバカ・アーサナ(鶴のポーズ)がようやくできるようになって喜んでいたら「じゃあ、次はその腕をまっすぐに伸ばそうね」とにっこりと、悪魔のようなアドバイスをしてくれたインストラクターでした。これで腕を伸ばすって、一体、、、と当時は混乱していました。いえ、今は伸ばせます。おかげさまで、上腕がとてもたくましくなりました。あのアドバイスがなかったら、今でも腕を曲げたままやっていたと思います。

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セキュリティ本が売れるようになって喜ぶ会社と悲しむ会社

昨年から、情報セキュリティ分野の知人が立て続けに専門分野の出版をしています。

ペネトレーションテスト入門 情報システムセキュリティの実践的監査手法

これは、前職で大変お世話になった古川さんの本です。

昔から、儲かる話よりもコンサルタントやエンジニアの教育になることにとても興味を持っていた方ですが、出来上がった本も、古川さんらしい、新人ペンテスターにとっての良書となっています。

昨年から、インシデンドレスポンスやペネトレーションテストといった、一部の特殊技術を要する分野の書籍が続々出版されるようになりました。

これは、明らかに情報セキュリティ分野の裾野が広がり、情報セキュリティを促進する主体が、専門知識を有するプロフェッショナルから、上級システムユーザー側に移ってきたことの現れでしょう。

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読書速度測定のサイト

ここで読書速度を測定してくれます。

みなさん、どれくらいの速さですか?

私は、普段ビジネス書を読むときの読み方だと、

一般 5340~8450
小学生 17371

小説を読むときの読み方だと、

一般 4200~5000
小学生 3700

でした。

小学生向けのコンテンツのほうが音の楽しみが多く、意味内容は少ないため、この差が出たのだと思います。

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多様性を受け入れる組織と受け入れない組織の見極め方

前回の記事を読んで「知名度も多様性もない会社からは、さっさと転職しよう」と考えた方もいるかもしれません。もしかしたら、勤務先に明確なスタンスがなく、これからの将来、会社がどうなるか皆目見当がつかない、という方もいるかもしれません。

そういう方は、是非、以下の質問にYES/NOで答えて見てください。

あなたが勤務する組織の業種
1.最終消費者をターゲットとしたサービス・商品を取り扱っている
2.社会的弱者または社会的弱者をサポートとするサービス・商品を取り扱っている
3.法人を対象としたサービス・商品を取り扱っている

あなたが勤務する組織の社員構成比率
1.女性社員が30%を超えている
2.女性社員が30%未満だが派遣・アルバイトなど非正社員労働者が30%を超えている
3.1・2のいずれでもない

あなたが勤務する組織の社長・会長など経営幹部の経歴
1.ダイバーシティを進める企業で経営経験(または管理職経験5年以上)があるメンバーが2人以上いる
2.育児・介護・地域貢献などの分野で積極的に労働力として機能しているメンバーが2人以上いる
3.1・2のいずれでもない

あなたが勤務する組織の人事制度設計部門の習熟度
1.人事制度設計部門の部門トップ(または2名以上のスタッフ)がダイバーシティを進める企業で人事制度設計をしたことがある
2.人事制度設計部門の部門トップ(または2名以上のスタッフ)が育児・介護・地域貢献などの分野で積極的に労働力として機能している
3.1・2のいずれでもない

私は、この質問の中で1つでも1または2という回答がある会社の場合、近い将来に多様な働き方を認める組織となる可能性が大きいと思います。今すぐに多様な働き方を認めてもらわないと家族や自分に支障がある、というのではないかぎり、少し様子を見るだけの価値はあると思います。

反対に、全ての回答が3である中小企業の場合、多様性を認める社風を形成することはほぼ不可能だと思います。今すぐに多様な働き方を認めてもらわないと家族や自分に支障がある、という事情が発生してしまう前にさっさと転職したほうが良いと思います。

もしかしたら「会社はダイバーシティなんて認めないけど、私の上にいる上司がとても理解があって働きやすいんだ」という方もいるかもしれません。反対に「会社はダイバーシティを進めようとしているけど、私の上の上司が全然理解していないんだ」という方もいるかもしれません。

前者の方はおそらく転職しようなどと考えていないでしょう。反対に、後者の方は転職を考えているかもしれません。しかし、私の意見は正反対です。前者は転職したほうがいいし、後者は転職しないほうがいいと思います。

前者の方、よく考えてみてください。上司の方が明確にあなたが働きやすいように工夫をしてくれているのに、組織として会社が後押しをしていない、ということは、会社としては明確に「多様性はいらない。その上司の責任の範囲で勝手にやっていろ」とうメッセージを発しているわけです。モデルケースが社内にありながらそれを制度化することができない組織が良い方向に変化することは、事実上不可能です。その上司の方が別の部署に異動したり退職した途端に、あなたは困った事態に巻き込まれます。

私自身、実は後者の立場になって退職をしたことがあります。会社は多様な働き方を認めていたにもかかわらず、私の直属の上司だけが売上至上主義で、親の手術を目前としていた私に対して、3ヶ月の地方勤務プロジェクトを命じました。ほかにもいろいろ理由はあったのですが、結局、これが直接原因となって退職したわけです。(辞意を告知してから退社まで3週間という異例のスピード退社でした。当時のチームメートには多大なご迷惑をおかけしました。ごめんなさい。)

しかし、1年半後にその上司はプロジェクトメンバーや他のディレクターからの評価を得られず退職しました。彼の退職と同時に、元勤務先からは「戻っておいで」というお誘いが来ました。

良くも悪くも「社風に合わない管理職は2年程度で淘汰され」ます。多様性を受け入れる気がない組織で多様性を訴える管理職は2年もすればいなくなるし、反対に、多様性を前提とした組織で多様性を無視した管理をする管理職も2年程度でいなくなります。

ですから、社風をじっくりと見極め、もしも、まだ社風が出来上がっていないようでしたら幹部社員や人事制度設計部門のメンバーの特性をじっくりと見極め、今 居心地が良いか悪いかではなく、将来この組織がどうなっていくかを考えて、勤務先を選んで欲しいと思います。

今回のこの記事は、社員数200人程度までの中堅中小企業を想定しています。大企業の場合は、ここまで属人性が強くなく、業種によってダイバーシティの進み具合に差があります。ご興味がある方は友人がブログに書いたこちらの記事をお読み下さい。

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外資系企業で女性活用が進んでいる理由

先日、日本資本企業以外で勤務したことがない熟年男性達とダイバーシティや女性活用といった視点の会話をしていました。

私にとって、日本に進出してきた外資系企業で女性の活用が進んだ理由は、明確でした。おそらく、このサイトで常連として書き込みをしてくださっている方々にとっても、それは「常識」だと思います。

正解は、

知名度がなくて、スキルフルな男性や男子学生が採用でいなかったから。

特に私が働き始めたバブルの真っ最中は、大手企業に大学卒であれば誰でも入れた、と言えるほどの超売り手市場。日本に進出したばかりの知名度もゴーイングコンサーンにも疑義がある外資系日本法人(や駐在所)で、有能な男子学生など、採用でいるはずもない時代でした。

あれから20年が過ぎた今、立ち上げの困難を担ってきた現地法人の社員が管理職となり、幹部社員となり、結果として女性を積極的に活用して日本市場で生き残れた外資系企業だけが注目を浴びているわけです。

ところが、日本資本の企業でしか勤務したことがない男性にとって、この事実は全く知らないようでした。

外資系企業が女性、育児をしている人、介護をしている人を積極的に活用してきたのは「それだけの時間的、精神的な余裕があったから」「欧米では男女平等が当たり前だからその理念を導入したから」と思い込んでいたようです。

当然のこととして、彼らには、知名度がない組織で多様な働き方を認めないと、その組織には将来がない、という概念がありません。

私は、立ち上げ期のコンサルや研究所に勤務してきました。だから、自分自身の実感として「知名度がない中小企業ほど多様性を認めなければ生き残れない」と、絶対の自信をもって言い切ります。

私が、どの組織でも多様な働き方を認める組織作りをしたい、と言い張り続けてきたのは、私の信念や理念以前に、そうでなければ生き残れないという切実な危機感があるからです。

しかし、立ち上げ期の企業に勤務したこともなければ、会社の知名度で苦労をしたこともない人たちにとっては、「多様性という理想論はわかるけど、そんなことは会社が大きくなってから考えればいいことだ」となるわけです。

つまり、日本の大企業出身者にとって、労務管理の原則は「企業が管理しやすいように画一的に」という立場であり、多様性は「余裕があったらやること」です。しかし、私にとっての原則は「できるだけ多様に働かせる」という立場であり、管理は「管理職が未熟・無能で管理できない場合にだけ強化するもの」です。

この二つの考えは決して相容れることはないし、両立させることは不可能です。組織は、組織設計の段階でどちらのスタンスを取るのかを明確に定めなければいけません。

景気の回復にともない、有効求人倍率はどんどん上がっています。特に、組織がほしがる地頭が良い人は、争奪戦だと言ってよいでしょう。

こんな中で、多様性を認めずに管理を強化する企業が生き残っていくことは不可能です。

しかし、残念ながら、そのことを理解している企業の幹部はまだまだ少数です。そして、こういう幹部の下からは、心ある人たちはどんどん流出していくことでしょう。

20年前に外資系企業が日本に進出した時と現代の大きな違いは、働き方に関する情報や組織風土・社風に関する情報は、ネットで検索すればすぐに入手できるということです。

20年前は、私のように「親の介護をしていて急に休みが必要になるかもしれない」とか「乳幼児を育てていて夫が全く協力してくれない女性」など、ある意味「ほかに選択肢がなかったから外資系に行った」という人が中心でした。

当時は、「会社で高い給与を得ること」「昇進すること」だけが正しい価値観で、その価値観に合意はするけれども、実践でいないという人が中心だったように思えます。

しかし、現代は「妻が専業主婦で子育ては彼女が中心だけど、平日の夜と休日は自分が中心に子供と向き合いたい」「会社で金銭を稼ぐことと、地元に貢献することを両立したい」といった価値観を持つ人が一定の割合で存在します。そして、私の実感としては、こうした価値観を持っている人の方が、少なくともコンサルタントとしては優秀である人が多いようです。

おそらくこの価値観は今後ますます加速すると思います。私は17年前に父親を亡くしているので、私の経験ではなく、同世代の友人を見ていての客観的な感想として、猛烈会社員として勤務し続けた親の退職後の姿を間近に見ている人が、劇的に価値観を転換させ、「仕事だけの人生なんてとんでもない」といい始めることが多いからです。

現在、組織の中核として働いている30台半ばから後半の親が退職しはじめています。一部の退職者は、退職後に地元に受け入れられ、今まで以上に生き生きと生活しているでしょう。

しかし、私が知る限り、多くの友人は
・親が急に老け込んだ
・会社ではもう必要とされていないのに頻繁に会社に顔を出して迷惑がられている

と言って悩んでいます。

こういう姿を間近に見続けた世代がどういう価値観を持つようになるかは、明らかでしょう。

そんな時、知名度もない、多様性もない中小・中堅企業は、どうやって有能な人材を採用するつもりなのでしょうか。

多くの中小・中堅企業は「知名度がないから人が取れない、だから知名度を上げよう」と考えます。そして、多額をメディアに支払うわけです。しかし、中小企業にとって多額でも、大企業にとっては微々たる金額です。メディアへの露出の多寡で、大企業と争おうというおろかな戦略しか取れない中小企業が生き残れるはずがないでしょう。

みなさんが働く会社の原則は、どちらにありますか?その原則で将来にわたって生き残ることができますか?

どうかじっくりと考えてみてください。

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人生の半分が社会人に!

社会人18年目になりました。人生の半分以上の年月が「職業人」になったわけです。

時間給、年度契約、業務委託契約、正社員などいろいろなタイプの契約形態で働いてきました。株式会社、LLP、監査法人、大学、独立行政法人など、所属した組織のタイプもさまざまでした。お客さまも、いろいろでした。

日本企業に所属している時には、数回にわたって降格・左遷されているわけですから、平穏無事な社会人生活だったとは言えないでしょう。

しかしこの18年間を振り返ってみると「職業人」としての自分よりも「家族」としての自分の方が大変だったなあ、と思います。

ただ働いているだけだったら、コンサルティングファームで一定の成果(売上、品質ともに)を上げることは、私にとってはあまり難しくないな、というのが正直な私の感想です。多分、コンサルティングというビジネスが私の根っこの部分にとても適合しているのだと思います。

自分の本質にあっている仕事をしているので、仕事内容での苦労は、正直なところほとんどありませんでした。

私にとって一番難しかったのは、プロフェッショナルとして働きながら「家族の一員としても金銭だけではなく労務担当者としても、精神的な中核としても責任を果たすことが重要だ」という意識を持ち続けること、そしてそれを意識するだけではなく、実行しつづけることでした。

もしこの18年間を振り返って、仕事の上での成果しか思いださなかったら、私はとても大きなショックを受けると思います。しかし、幸いなことに、家族と真剣に向き合ってきたことも思い出せます。

そして、職業人としての責務を果たしながら、家庭人としての責務も果たせる環境を支えてくれた、プロジェクトのチームメートやお客さまの顔を思い出すことができます。

上述のとおり、組織人としては何度も降格したり転職せざるをえなかったり、とあまり優等生ではなかった18年間でしたが、私の価値観を理解して、支えてくれた友人・プロジェクトのチームメート・お客様にはとても恵まれた、面白い18年間だったと思います。

支えてくださっているみなさん、本当にありがとうございます。

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ウィスパリング

今朝は、朝から頭をフル回転させなければいけませんでした。

礼拝が始まってから飛び込んできた方が、香港からの観光者で、知っている日本語は「こんにちは」だけ。

教会堂は満席に近く、宣教師夫人をはじめとする通訳者の隣に座ってもらうことは難しそうでした。

そのため、入り口近くに座っていた私が通訳をすることにしました。

が、最大の問題は「私も、遅刻ギリギリで今日の説教箇所に目を通していないし、讃美歌もチェックしていないので、日英で同じメロディーの讃美歌であるかどうか分かっていない」ということ。

ようするに、一言で言うと「準備不足」です。

同時通訳機器のセットアップがされていなかったので、ウィスパリングという聞き手の耳元でささやく技法での通訳になります。

実は、私はこの技法で礼拝通訳をするのがかなり苦手です。

小さい声を特定の聞き手にだけ聞こえる大きさにコントロールしながら通訳するウィスパリング自体はどちらかというと好きな技法なのですが、礼拝説教だけは別です。

なぜかというと、訳していると感情がこみ上げてきて 小さい声で話すのが辛くなって来るんです。

実は、讃美歌を歌っていると感情がこみ上げてきて涙が溢れてくるので安定的に歌うことができません。「君もそこにいたのか」「血潮滴る」などは、歌詞を見ただけでウルウル来ます。

こんな人間がウィスパリングで礼拝説教を通訳するのは、かなりチャレンジングです。

でもまあ なんとか 無事に(泣かずに)、通訳できました。

それにしても、帝国ホテルは何で、宿泊客にここを紹介したのでしょう。隣の駅に中国語と英語で礼拝している教会があるのに。。。

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ニヤマ2:サントーシャ(知足)に対する私の考え

私には、人をうらやむという感情がほぼ皆無です。

私は私のままで愛されている、十分な恵みを与えられている、という考え方に起因するように思います。

ある飲み会で「私は素面の自分のことが好きなんだよね。お酒飲まないと言えないことないし。だから生活の中にアルコールって必要ないんだよ。ワイン好きだけど。」と、発言したことがあります。そうしたら「コンサルタントっていうのは、それくらい自信がないとできないんですね」と言われました。

随分誤解されているなあ、とは思ったんですが、場の雰囲気を壊しそうだったので、理由を説明しませんでした。

仕事の内容にしても、家族にしても、今のままで良かったと思っています。何に問題もないのかというと、そんなことはありません。職場でも家庭でもさまざまな問題はあります。中には生死に関わるような大きな問題もあります。でも、そのことが不満や不安にはなりません。

足りないことや出来ないことがないから自信があって人をうらやまないというわけではなく、足りないことや出来ないことがあってもそのままの自分を愛されているという確証があるから不安感がないんです。

それに、私よりも頭がよい、外見がよい、知識が豊富、仕事ができる、身体機能が優れている、優しい、人がいたら「この人と知り合えて良かったなあ」と思います。

絶対的な愛が注がれているという確証があったら、あまり人は不安にはならないものです。だから、日頃から「知足」という習慣は比較的実践できているのではないでしょうか。これは、私に限らず、クリスチャンにも限らず、唯一神・創造神信仰を持つ世界中の多くの人々に共通した特性だと思います。

日本の漫画やドラマを見ていると、ステレオタイプなアメリカ人像として「自信過剰」で「自己主張が強い」人が描かれます。しかし、本当は自信過剰なのではなくて「自分に出来ないことがあってもありのままで受け入れられている」という自己肯定感に基づく「主張」なんですよね。

例えば、会社や社会で一定の役職についている人の中には、収入が高い仕事(=責任が重い仕事)ほど価値があり、自分にそれだけの仕事をなす能力がある、ということを自己肯定の最大条件としている人が見受けられます。

こうした、収入という数値で計れる物差しに価値を置いている人達は、他人からも自分からも常に点数をつけられて、合格不合格を判断され続けるわけで、本質的な自己肯定感は低い人が多いような気がします。

そして、自己肯定感が低い人の口から出てくる言葉は、自分に対する卑下か、他人に対する批判(本人は冷静な評価のつもりのことも多々ありますが)が多く、やはり感謝はありません。

ヨーガは「ナマステ(ありがとうございます)」で始まり、「ナマステ(ありがとうございます)」で終わります。また、「シャンティ、ナマステ(あなたに輝きがありますように、ありがとうございました)」で締めくくるインストラクターもいます。

キリスト教もヒンズー教も、重視する姿勢は変わらないのだなあと思わされます。

何かを始めるときと終わりに手を合わせ、感謝を表す。挨拶が出来る。

そういう人は、収入や役職とは関係なく、自己肯定感が高く安定している人なのではないでしょうか。

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ニヤマ1:シャウチャ(清浄)に対する私の考え

体をきれいに保つということはある程度できていると思います。(おそらく、日本で暮らす一般的な社会人であれば、これはあまり難しくないかと思います。)

また、動作所作を含め、周囲に不快感を与えないと言うことは仕事柄、チームメートの模範となる必要もあるため、日々気をつけているため、近頃は意識せずとも実践できていると思います。

しかし、心の中はどうでしょう。町中に出ると、怒りの感情がわいてくることが多く、清浄とはほどとおいと思います。

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ヤマ4:ブラフマチャリヤ(禁欲)に対する私の考え

ヨーガスートラというヨガの精神的指針となる書物では、配偶者以外との性行為を明確に禁止しています。特に独身者に対して強く戒めています。その理由が面白くて「ほかにしなければいけないことがおろそかになるから」なんですよ。道徳的にどうのこうの、じゃなくって、エネルギーの配分という視点から禁止しているわけです。

私の場合は、性的なことだけではなく、体力、精神力を含め、自分に与えられているエネルギーを理解して、このエネルギーを配分して公私ともに生活しているほうだと思います。日頃から、Body Mind Heart and Spiritのバランスを取ることを意識しているので、多少は実践できているのではないでしょうか。

そのため、心身ともに異常に疲れすぎたり、エネルギーが余りすぎたりすることはなく、布団に入るまでは元気に過ごし、布団に入ったらすとんと寝ることができます。

でも、以前は不眠症に悩んでいたんですよね。年がら年中、風邪をひいて体調を崩していたし。

当時は、今がんばらないと後で後悔するかもしれない」「確かに体調悪くて苦しいけど、後でかならず楽になるから」と将来を見越して行動していたんですよ。でも今は、今必要なことに全力投球するだけ。今、休息が必要なら、休息する。働く必要があるなら働く。

そうしたら生活も性格もシンプルになったので、ブラフマチャリヤというのは、無理な禁欲生活ではなく、シンプルライフ・LOHASライフの延長なのではないでしょうか。

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明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます

2006年は主日(日曜日)に始まり、主日で終わりました。11年に一度の巡りです。

そのため 元旦礼拝と大晦日祈祷会というものがありませんでした。

今日は、2年ぶりの元旦礼拝です。

私の新年は、元旦礼拝に出て、その足で職場に向かい、今日から始まる一年も公私共に、主なる神の導きの内に進められるようにと祈ることによって始まります。

どうやら私は他人からは、いろいろな計画や目標を立て、確実に実行するタイプに見られているようですが、実はそんなことはありません。今、目の前に与えられていることに全力を注ぐ、ただそれだけを繰り返してきました。だから、仕事における目標はないし、こうなりたいていうキャリアビジョンもありません。
おそらく今年も、さまざまな課題や困難や恵みがあるとは思いますが、いい感じに流されながら、その時その時、神様に祈りながら、懸命に処していきたいと祈ります。

(だから、フランクリンプランナーのような目標達成型ツールが合わないんでしょうね。)

今年も、自分の力でコントロールする一年ではなく、神様にコントロールされる一年になりますように。

私の知り合いには、有能であるが故にさまざまな事態に対してコントロールをして、それがうまくかないと多大なストレスになる人がたくさんいます。私も、疲れていて余裕がないとオーバーコントロールになりがちです。

でも、手放すものは手放してしまうと、「自分が生きている」のではなく、周囲に生かされているていうことに気づかされて、自然と感謝の言葉が会話の端々に出てくると思うんです。

自分が今日 口にした言葉の内、どれくらいが感謝と喜びに満ちていただろう、また、心に思ったことのどれくらいが、神と人、動植物への感謝だっただろうか。

1日の最後に、そのように振り返ることができる一年でありたいものです。

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