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2006年11月

女性のほうがテーブルマナーが良いか?

レストランなどで食事をしているかぎり、男女のどちらのほうがマナーが良い・悪いということはありません。

しかし、ビジネスの場に限っていえば、圧倒的に男性の方がマナーが悪いです。

なぜなのか、考えてみたところ「マナーが悪い女性は、上司にかわいがられないから、必然的に淘汰されていく」というのが回答なのではないかと思い至りました。

良い悪いは別として、ビジネスの現場は男性社会です。男性エグゼクティブが重用してくれないかぎり、ビジネスの場で生き残っていくことは困難です。そして、一定年齢より上のエグゼクティブの価値観では、マナーが悪い女性社員を身近に置いておくという選択肢はないのだと思います。(ちなみに、私の場合は、男女問わず、マナーが悪い社員と一緒に食事をするという選択肢はありません。)

例えば当社には、極端に猫背な男性社員はいますが、極端に猫背な女性社員はいません。姿勢が悪い女性は面接段階で落ちるからです。(私が面接した場合は、男性であっても落としますが・・・)

男性は、採用面接の際に、男性に対して「マナーや姿勢・言葉遣い」といった基本的なヒューマンスキルをMUST条件とはしない傾向があります。しかし、女性に対しては、こうした基本的なヒューマンスキルは厳格に要求します。

一方、女性面接官の場合は、男女関係なく、こうしたスキルを厳格に要求します。ですから、女性が面接をして採用をした社員が基本的なヒューマンスキルが原因で負の遺産になるリスクは著しく少ないのだと思います。

とはいえ、エグゼクティブと呼ばれるクラスで、とんでもない箸遣いをする方とはお会いしませんので、男性であっても、マナーが身についていない方が一定のポジションより上に行くことは少ないのだと思いますが。。。。

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遠い親戚に出会いました

出張中に乗ったタクシーの運転手さんの免許証を見たら、同じ苗字でした。しかも、名前に「信」が含まれています!

実は我が家の男子の名前には、代々「信」という文字が入ります。

もしや、と思って運転手さんに出身を確認したところ、福岡市内でした。なので、偶然かなあ、と思って黙ったところ、運転手さんの方から「お客さん、○○の出?」とどんぴしゃの村名を言われました。

なんでも、運転手さんのおじいさんの代で町に移住したそうです。(日露戦争の時代だと言っていました。)

運転手さんの曽祖父が、私の祖父の祖父(曾曾じいちゃん?)のようです。運転手さんは私の祖父の名前を知ってました。

運転手さんのお子さんの名前までは「信」が含まれるけど、お孫さんの名前はバラバラだそうです。

信仰の継承がそこまでだったという意味なのか、クリスチャンホームだけど違う名前をつけたのか、までは確認できませんでした。どちらだとしても、ちょっと残念ではあります。

とはいえ、信仰の自由が保障されている現代ですから、名前を符牒として使う理由なんて、もうないですからね~。何も、同じような名前をつけ続けなくてもいいな、と思いました。

いくら九州とはいっても、すごい偶然!本当に驚きました。

運転手さんは、ご自身のルーツはご存知でしたけれど、まだ1度も村を訪れたことがないとか。今年の台風13号でかなりの被害を受けた、という話をしたら「早く行かないと誰も住まなくなっちゃいますねえ」としみじみとおっしゃっていました。

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出張の楽しみ

出張の楽しみ

今日は天神のマクロビオティックレストラン エバでランチでした。

実はこのお店、マクロビオティックとしてはかなりいい加減。

生野菜のサラダは出るし、ニンジンの皮は剥いてあるし、マクロビオティック食と肉魚で揚げ物の油を分けてないらしく油に動物性タンパクの香りがうつっています。

でも、いいんです。美味しいから。

ビーガンやフルータリアンの友人を連れて行くことは出来ないけど、私のような適当マクロビアンには、かえって、このくらいのいい加減さが、気楽な感じがして、居心地が良いのです。

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食事中に箸を振り回して話す人は会食に行かないで下さい・・・・

お客さまから、お食事や飲み会に誘われることがあります。

私は新人の時に、お客さまに対して直接出欠のお返事をするのではなく、上司(私の業界の場合はそのお客さまを担当しているアカウントマネジャー)に食事のお誘いを頂いた旨の報告をして、食事をして支障がないかどうかを確認するように、という指導を受けました。それは、一般社員には分からない、お客さまとの微妙な関係もあるし、私自身にお客さまと食事に行くことには何か支障があるかもしれないからです。

管理職になってみると、どうしてそういった指導になるのかが良く分かります。お客さまと契約金額の最終交渉の真っ最中であれば、一回の会食への出席を値引き交渉の切り札にされることもあります。また、多くの若手社員は食事やお酒のマナーが悪く、お客さまの前で飲み食いをさせるわけにはいかないという現実もあります。

  • カトラリーや箸を持っているのに、手を振り回して話をする
  • カトラリーや箸を持った手で口を隠しながら話をする
  • 猫背で口を器に近づけてスープを飲む
  • ワインを勝手につぐ(勝手じゃなくても、女性がつぐのは大変みっともないです)
  • 左手に飲み物を持ちながら、右手で食べ物を食べる
  • お客さまも金銭負担をする飲み会で勝手に飲み物を追加する
  • ひじをつく
  • 左右の手をバラバラに動かす
  • 中華料理で人の料理まで取り分ける

こんなのは、まだまだ高尚な指摘です。

そもそも、箸や皿の使い方を知らないのではないか、と思われる食べ方をする人が多すぎます。また、どれほど親しいお客さまであっても、顔色が変わるほどアルコールを飲むのはとんでもないことです。

どれほど親しくても、あくまでもお客さまであって、エンターテインするのは私たちの責任です。勧められるままに泥酔するまで飲みたいのであれば、仕事関係以外の場にしてほしいものです。

人材採用の最終面接で、レストランを使うことが多々あります。これは、何も贅沢をしているのではなく、いくつかの目的があります。その1つが、「食事のマナーすら守れない人が、気を配った仕事をすることは難しい」という考えのもとに、飲み食いする様子をしっかりと観察しているのです。

しかし、こういうことは自分が採用面接をする側や、管理職、売り上げ責任を持ってはじめて実感することなのでしょう。「ビジネス関係がある人の前で食事をするなんてとんでもない!」と思われる、あまりにも雑で品がない食べ方をする人が、お客さまと食事をしたり、採用面接の食事の場に現れます。

お客さまと食事に行きたいのなら、テーブルマナーくらい、完璧にしてほしいものです(ため息)

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来週から何食べよう

会社から徒歩圏にある唯一のマクロビオティックレストランが、改装のため11月27日から来年1月8日まで閉まります。

お弁当を作って持っていっても、急な外出で食べる場所が見つからないことも多いので、ランチは原則として外食です。

でも、大半のレストランや市販の弁当は、口に入れた途端に、科学調味料の味がしたり、肉魚卵からは抗生物質を大量に投与されているなあという刺激があります。

特に、食材が生きていた時に投与されていた抗生物質は、表示もされないしお店に聞いても分からないので、気味悪いです。

私が働いている街は、見た目の美しさにこだわったおしゃれなレストランが多く、食材に配慮したレストランは数軒しかありません。

街のターゲットが20代半ばだから、仕方ないのかなあ。

さて、来週からはどこでランチしようかな。困ったなあ。

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ゾットすること

もう随分と昔の話になります。

年齢も性別もバラバラの仲間5-6人で食事に行きました。和気あいあいと話しながら食事をしていたところ、アルコールが切れたので、追加注文をしようとしました。

料理を運んできたウェイトレスさんに、幹事役の最年少の男性が声をかけて、追加注文をしていました。その瞬間、私の背筋がツーっと冷たくなり、酔いは完全に醒めました。

なぜなら、この幹事役の男性の注文の言葉遣いが、仲間内に対する態度と違って、とても尊大だったからです。

私は、自分にとってメリットがある相手や、立場が上だと思っている相手には丁寧に接するのに、それ以外の相手に対しては丁寧に接することができない、という人を信用することができません。

もちろん、そういう人であっても、ある目的のために一時的に一緒にいる人であれば、特定の期間 目的(プロジェクト)を達成するために一緒にいることはできるでしょう。ですから、プロジェクト期間だけ一緒にいることはできます。

しかし、私たちには、精神的・金銭的・社会的立場・健康など、良い時もあれば悪い時もあります。調子がいいときだけは付き合うけど、調子が悪いときは適当にあしらう、そういう人を仲間として接することができるほど、私は人間ができていません。また、私自身、こうした側面で相手に対する態度をコロコロ変えられるほど器用でもありません。

仲間というのは、全人格的にその人なのであって、何か条件をつけて大切にしたりしなかったりするものではないと思います。

「自分よりも立場が上か下か」という視点で態度をコロコロと変える人に対して、面と向かっては誰も責めないかもしれません。でも、少なくとも私は、心の底からゾッとしています。心底、嫌悪感を感じます。

もちろん、目上・目下で語調や言葉遣いが変わることは自然だと思います。でも、言葉の背景に見え隠れする、気遣いや思いやりを変える必要があるのでしょうか?

仕事や教会などで、私は、こうしたタイプの人にチヤホヤされることが多いです。こうした人は、私に対して丁寧に丁寧に接してきます。

でも、私はその人たちを受け入れません。ここまで丁寧にへりくだっているのに、何でLammyは自分のことを受け入れないのか、と怪訝に思うようです。しかし、私は、私に対する態度だけをみて、その人を受け入れるわけではありません。私は、「私」と「私が大切に考える人たち」全てに対する態度を観察しています。この両者に対する思いやりが著しく異なる人を、私は絶対に受け入れません。

もちろん、神様はこういう人のことも愛していらっしゃいます。それは分かります。確かに毎日、何回も「我らが罪を赦すごとく 我らの罪をも赦したまえ」と祈ってはいます。でも、人の存在価値に優劣をつけて態度を変える人を「赦す」ということは、私には何よりも難しいのです。。。。。。

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今 戦争が起こったら

先週から今週にかけて、3人の方に「ブログ更新しないの?」との言葉をいただきました。気にかけていただけて感謝です。

長時間マウスを使うと、まだ少し手が痛むので、携帯電話から投稿する設定をしました。短文でタイポが多くなると思いますが、少しずつ、更新していきたいと思います。

今日は、聖書を持たずに仕事にきてしまいました。

祖父は、戦時中に、聖書を取り上げられて 独房にいれられても、 4福音書と詩編全てを暗記していたので 何も困らなかったそうです。私はというと、こういうときに読むべき御言葉があったはずだ、ということくらいは分かりますが、とっさには出てきません。。。。

御言葉を蓄えることよりも、ビジネスで求められる専門知識を蓄えることを優先している毎日を反省しています。

内部統制の実施基準とグリンスパン長官コメントを熟読しても、魂は安らがないし 人間が作った制度を学んでもはせいぜい3年しか役にたたないんですよね。まあ、もちろん、熟読してはいますけどね 仕事柄。

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