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200万円プレイヤーから700万円プレイヤーへ(超長文)

今年で社会人17年目になります。この17年間で、年収は10倍以上になりました。少しずつ増えた時期もありますが、大きく2回増加しました。

この2回の変化の際にには共に「大きな身体についての気づき」がありました。この2回の大きな気づきを、ブログで少しずつ共有していきたいと思っています。

1回目の大きな変化では、年収が140万円から700万円になりました。1回目の倍増(5倍増)は「表情に対する気づき」がきっかけでした。19歳の時です。そして、2回目の変化は「ボディサイズに対する気づき」がきっかけでした。

近頃、「年収300万円時代」などと騒がれていますが、当時の私からしたら「300万円もあったら・・・」と、うらやむべき数字です。しかし、ある日突然、月々10万円ちょっとで扶養家族有、という生活から20歳にしては高給取りに変わったのです。

年収140万円の時、私は中華料理屋で鍋を振っていました。でも、ある晩、厨房からお客様にビールを出そうとしてコップを右手に、ビール瓶を左手に持って歩いていた瞬間、足を滑らして転んだんです。右の手のひら、手の甲、腕、肘合計で120針縫う大怪我でした。

その中華料理屋は、労災申請をしなかっただけではなく「出勤できないならクビね」と通告・・・。目が見えなくなったばかりの母親をかかえて、本当に路頭に迷いそうでした(幸いにも公営住宅に入れましたが)。

当時は、泣く気力もありませんでした。泣いたり、笑ったり、怒ると、お腹が減るんですよ。で、お腹が減ると、食べるものがないので、余計にイライラしてくるんです。

当時は、奨学金で大学に通っていたので、大学を辞めて本格的に働き始めれば、こんなに貧乏はしなくてすむ、ということは理解していました。でも、例え大学を辞めても、3ヶ月間は手が自由に動きません。水商売だって、水割りもつくれない包帯ぐるぐる巻きの女の子を雇ってくれないです。冗談ではなく、本当に「じっと手を見る」毎日でした。

また、最悪なことに、右手の怪我は大学の期末試験の直前でした。私が通っていた大学は追試受験者には優(A)を出さない、というポリシーを開校以来持っている大学です。レポートはキーボードを叩けば何とかなりますが、試験は全く受けられませんでした。試験科目は最高の成績でもBになります。奨学金が止まることは明らかでした。

ほかに何もやることがなかったので「苦学生が怪我をして働けなくなっただけではなく、その期間に試験をしてBをつけるというのは、建学の姿勢に反するではないか」と試験を実施した教授達6人に文句を言いに行きました。

この6人と話しているうちに、その後、私の人生を大きく変える気づきが与えられたのです。

とても話しやすい教授がいる一方、二度とこいつとは話したくない、と感じる教授がいました。この6人の中で突出して話しやすかったのが、現千葉商科大学学部長でJR民営化の立役者でもある加藤寛教授でした。話しやすかっただけではなく、加藤先生と話していると「この大学に残りたい。加藤さんが作りたいと思っている理想のキャンパス作る手伝いをしたい」という熱い想いが沸々と湧いてきました。

6人の研究室を一巡した後、家に帰る電車の中で「何でA教授には言えないことを加藤先生には言えたんだろう」「今まで感じたことがない学校への愛情とか愛着がどうして湧いたんだろう」と考えました。

6人の教授は、皆、豊かな学識がある世間的には著名な人たちです。でも、コミュニケーションスキルは全く違いました。会話の流れからも、加藤先生が「苦学生の貧しい生活は全く理解していない(←知識は他の教授と全く変わらない)」ことは明らかでした。つまり、話しやすさは専門知識が原因ではないことは明らかでした。

当時の私は、19歳としては知識が豊富で頭は良い、と思っていました。でも、知識量が原因ではない、何か別の要因が引き金となって、加藤先生がやりたいと思っているゴールを、私は受け入れて、協力したいと感じました。

でも、怪我をして、学費もない私には何もできないな、と思っていました。ただ「未来への留学生を作るキャンパス造り」は私の夢ではないのに、自分の夢のように感じた、人に想いを伝播させることができる人がこの世にはいる、ということだけは頭の隅っこにひっかかっていました。

その晩、鏡で自分の顔を見た瞬間に、私が「人に想いを伝播できない」「他人が自分の思った方向では全く動かない」理由の全てを理解しました。鏡の中には、一番話しにくかった、冷たく感じた教授と全く同じ顔つきの自分自身がいたからです。そう、

  • 背中を丸め
  • 顎を出し
  • 人を見下すように下目づかいで
  • 身体を少し斜めにし
  • せわしなく肩を動かし
  • 口角が思いっきり下を向いたへの字口で
  • 眉と眉の間に縦の線がくっきりと浮き出ている
  • 左右の眉の高さが違い
  • 口を右斜め上に大きく歪ませている

19歳なのに、不幸そうで、老けた顔が映っていました。末期癌を宣告されてからの父の姿にそっくりでした。

自分の顔を鏡で見ながら、ボロボロと泣きました。貧乏でもいい、こんな顔のまま、死んだように生きたくない、A教授みたいな年寄りにだけはなりたくない、と心底思いました。

それから1週間、加藤教授が話している時の様子を思い出して、鏡を見ながら

  • 胸をはって
  • ゆったり、悠然とうなづき
  • 目を大きく見開いて
  • 思いっきり、口の両方の端っこを耳に近づけ

にっこりと笑う練習を繰り返しました。どうせ手が動かなかったので、他にやることもないですからね。

1週間、鏡を見ながら笑っていると、なんだか自分のことを可愛く思えてきました。自分のことが可愛く思えてきた瞬間、人も可愛く思ってくれるんじゃないか、と期待が始まりました。そこで、今後は、文句を言うのではなく「助けて欲しい」と言うために、話しやすかった教授を3人選んで、何とか大学に通い続けたい、と訴えることにしました。交渉ではなく、嘆願でした。初めての経験でした。

奨学金はとまりましたが、学費と生活費をまかなう方法を教授達が一緒になって考えてくれ(ずっと働きながらではありましたが)大学だけではなく、大学院まで行くことができました。

私は、まず、表情を変えました。すると、人が私を助けてくれるようになりました。次に、手と腕の動かし方とクビの動かし方を変えました。すると、人が私の手助けを素直に受け取ってくれるようになりました。こうしてWin-Winの関係が出来上がり、スパイラルアップしていきました。

その後、歩き方を変え、立ち方を変えました

そして、複数の人が集まっている場で主導権を取るための立ち居振る舞い、別の人が主導権を取り易くするための表情や話し方、正反対に人の記憶に残らずにその場に留まるために必要な態度など、場を読んで、自分の最終的なゴールを達成するために必要な態度を取ることに注力してきました。

私は、健康になるためでも、人から外見的によく見られるためでもなく、組織の中で生き残るためのポスチュア(姿勢)」を意識してきました。この視点に立つと、実はあんまり参考になる情報が日本にはありません。

ここ2-3年で、米国のイメージコンサルティングが、少しずつ、組織心理学の視点を組み入れています。昨年から男性の「外見力」に関するビジネス書が日本で出ています。ですから、頭だけではなく、見た目と見られ方も大切だ、という考え方は、数年かけて日本でも浸透していくと思います。

歩き方や姿勢の本は、イメージコンサルタント、整体・鍼灸師、医師といった人たちがたくさん出しています。でも、彼らはその専門分野での知識があるだけで、日常生活や会社人生活として必要なポスチュア(姿勢)を前提としていません。

健康を考える整体師、見た目を重視するアパレル・エステ、哲学論になる経営学者やビジネス啓発家。

実際に、人と人との関係性の中で生きていくためには、どの視点も大切だと思います。

このブログでは、今までに私が意識してきたことを、柔道整復師であり鍼灸接骨院の経営者であるパートナーとの暮らしの中で再整理して、書いていきたいと思っています。

19歳の私が読めたらもっともっと早くハッピーになっていたであろう本:

笑顔の法則(アフィリエイとではありません。履歴は取っていないので、らみぃに知られることなく購入できます。)

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